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アウトサイダーとしてのカニエ・ウェスト


こういうのはスピード感が大事だと思って、書き留めてみます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。

Jesus is King、10月26日の午前1時に出ましたね。興奮が冷めやらぬまま、筆を走らせています。本当は一昼夜で書き上げたかったけど、参考の画像を作ったりバイトやらなんやらで二昼二夜かかってしまいました。そもそもリリースが日本時間じゃ日付跨いどんのや!蟹江!!

結構長くなっちゃたので、最初に要約します。

5曲め、『On God』の音楽構成を紐解くと、カニエ・ウェストはブラック・ミュージックを、「黒人特有の感覚」で体現しているのではなく、知性を駆使して再現していることがわかる。それは彼がヒップホップコミュニティの外部の人間(=アウトサイダー)の要素が強いからではないだろうか、という趣旨です。

体現者ではなく、再現者としてのカニエ・ウェスト論考てきな!

それじゃいってみましょう!!


”Some body tell these who Kanye West is"-Jesus Walks
「誰かあいつらに教えてやってくれよ、カニエ・ウェストがどんなやつかって」 -ジーザス・ウォークス

さて、感想といえば、意外や意外。ゴスペルとカニエの親和性は高かった。

カニエの音楽性の最たるものは、エモーショナルな旋律とダイナミックなシンセサイザーやホーンセクションとのレンジ(幅)、それをまとめ上げる彼自身のプロデューサーとしての才覚とインテリジェンスだ。そう考えてみれば、クラシック音楽と黒人霊歌の融合とも言われるゴスペルは、カニエのコアな音楽性に共鳴したのかもしれない。


・収録曲『On God』に見る、グルーヴの可視化

 アルバムに収録されている『On God』では、彼の音楽性を垣間見ることができる。On Godは曲の拍子が通常の4/4拍子ではなく、(おそらく)12/8拍子で構成されている。(楽譜見てないから責任は取れないので、もしキムかカニエがこれを読んでいたら至急DMください)

 さて、『On God』はこの12/8拍子で、一拍に収まっている3つの8分音符の真ん中の音を抜くことで、意識的にラップに間を持たせている。

通常(4/4拍子の曲)のラップに「間」がある場合、これは楽譜に記載できない、プレイヤーによる音の「遊び」や「崩し」のようなもので、これは長く続くブラック・ミュージックの大きな特徴の一つだ。ジャズやファンクにおける「グルーヴ」にも通じる「崩し」は、プレイヤー自身のセンスや幼い頃の音楽環境、それと熟練された技術力をもって顕れる、「感覚」に近いと考えられてきた。

しかしカニエはこの曲の中で、「間」をリズムパターンそのものに組み込んでいる。感覚だと考えられている「間」を可視化し、楽譜の上で作り上げたのだ。

〜〜〜〜以下、説明なので飛ばしても大丈夫です〜〜〜〜

・カニエのラップと「間」の関係性

 通常の4分の4拍子と8分の12拍子が違うのは以下の通り。

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こちらが通常の4/4拍子。

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こちらが『On God』で使われている12/8拍子。いわゆる複合拍子だ。

4/4拍子が秒針のように1拍を4回刻んで1小節がすぎるのに対し、12/8拍子では、1拍の間に8分音符が3つ入る。よくよくOn Godの伴奏を聴くとシンセサイザーの音が、「テテテ、テテテ、テテテ、テテテ」と音を刻んでいるのが聴こえる。この細かく刻んだ3つの音(3連符)をひとかたまりにして、曲が進行するのが12/8拍子だ。

拍子が違った場合、当然ながらラップのスタイルも変わってくる。伴奏で3連符が鳴っているので必然的にその中に音を納めないと不自然だ。

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4/4拍子にラップを乗せる場合(大半はこれだが)、上の楽譜のように『タタタタ、タタタタ』と、音のアタックが表拍と裏拍のどちらかに入る。この音符の音の長さは等しいので、リズムパターンは単調なものになる。そしてこの基本のリズムの崩しこそがグルーヴとなりえるのだが、それはあくまで感覚的なものであり、細かく楽譜の上にパターンとして記すことはできない。

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今回の『On God』のラップのパターンはこうだ。この2種類の音符は音価が違うので、音の長さが違う。♩が長くて、♪の方が短い。長い音と短い音の組み合わせで、「タータ、タータ、タータ、タータ」という抑揚のあるリズムパターンになる。彼自身ではなく、曲の構成がその「間」を生み出しているのだ。

そういえば、シューベルトの『魔王』もベースラインはこうやって3連符を刻むのだけど、どうやらこれは馬の足音をイメージしていて、焦燥感を掻き立てる効果があるのだそう。『On God』のヒステリックにすら聞こえる神々しさは、こういうクラシカルな手法に依るものかもしれない。

そもそも、3連符のような奇数の音数は、普段聞き慣れない音だから、あえて「崩し」の手法としてジャズに用いられることも多い。この「タータ、タータ」の「間」のあるリズムをスウィングとも呼ぶ。どうやらファンクのドラムもこのスウィングの流れにあるらしいのだが、4ビートの拍子を12/8拍子として捉え、3連符の真ん中の音を抜いたリズムをベースとすることで、この「間」を確保するのだとか。本当に奥が深い。。。

長いのでここらへんで割愛。お付き合いいただきありがとうございます。書いてる私はとても楽しいです。まだまだ続きます。

〜〜〜〜説明ここまで〜〜〜〜

 多くの場合このような「間」はラッパーの技術力があってこそだが、カニエはラップの技術力を用いずとも、曲の構成で「間」を作り出した。

そう考えて見ると、カニエ・ウェストはその頭の良さ(インテリジェンス)で「いかにラップの技術を向上させるか」というラッパーにおける最大の命題から、一定の距離を置いている。(まあ、本っっ当に平たく言えば、「プロデューサーだから仕方ないんだけど、ラップはやっぱり上手くないな…」という…。)

ただ、そこにカニエ・ウェストのアウトサイダー性が垣間見えるのだ。

ヒップホップには「どのラッパーのラップがヤバイか」という競技としての側面を見出すことができる(1)。ほとんどのラッパーにとって、キャリアを積むための正攻法は、この競い合いを通して技術を向上させることだが、カニエはその競技の意義を共有せず、競技のコミュニティの中にも属さない。例えば彼がヒップホップ激選区のNY出身だったら、幼い頃から競う相手が身近にいたり、特定のコミュニティに属したりしているだろうけど、事実、彼はシカゴや中国で育っているので、どこかのコミュニティに属すという感覚が希薄なように思える。

だからカニエは、コミュニティのアウトサイダーとして音楽を作る。ブラック・ミュージックの特徴を観察し、作り上げる。特定のコミュニティに属さない彼にとって、黒人としてのアイデンティティは己の中に見出すものではないからである。

カニエ・ウェストはブラックミュージックを、己の中にある感覚で「体現」するのではなく、そのインテリジェンスを駆使して「再現」するのだ。

結果同じブラック・ミュージックに帰結しても、体現と再現ではアプローチの仕方が全く違う。

ちなみにその感覚を極限まで研ぎ澄ませ、体現しているのがJay-Zだと思う。個人的には。


・カニエ・ウェストのアウトサイダー性が彼を成功に導いた?

 よく、ジャズにはガーシュウィンが、ソウルミュージックにはバカラックが、ヒップホップにはリック・ルービン(Def Jam Recordsの創始者)がいるように、ブラック・ミュージックの発展の側にはしばしばアフリカ系でない人々がいると言われることがある。民族に強く根付いた音楽だからこそ、そのコミュニティの外の人間(=アウトサイダー)の視点が、世界規模のマーケティングに必要だったのだろう。

ヒップホップはある意味、コミュニティ意識の強い内輪ノリなジャンルでもある。2010年に中学生だった私が初めてA Tribe Called Questを聴いたときの感想は、「全部同じように聴こえる」というなんともお粗末なものだった。Graduationは大好きなのに、90sのヒップホップはよくわからないな、なんて思ったりもした。その後、ヒップホップの流れとカルチャーをざっくりさらって、ラップの良し悪しが徐々にわかるようになったけれど、わかるようになったのも恥ずかしながら最近の話。

日々カルチャーを体感しているヒップホップコミュニティ内のラッパーやリスナーと、カルチャーの知識があまりないコミュニティ外の人間には、ラップミュージックに対する解像度にどうしても差ができてしまうのだろう。

しかし、カニエはアウトサイダーの目線があったがゆえに、コミュニティ外へのマーケティングに成功し、全世界的なヒットを飛ばしてきた。ラップのスキルではなく楽曲としての完成度を極力高めることで、知識がなくても聴けるキャッチーさを作り上げたのだ。



・アウトサイダーであるがゆえの自己矛盾

 比較的に教育レベルの高い家庭に生まれ、シカゴや中国で育ち、大学まで進学したカニエは、そもそも自分のことをヒップホップやアフリカ系コミュニティの内部の人間だと思っていないところがある。同民族としての帰属意識はあるけれど、特定のコミュニティ出身の人間でないと言う自己矛盾。

だからこそ、カニエの楽曲にときどき顔を出す寂寥感や孤独感のあるメロディは、同じくマチズモから弾かれた、私のようなナードのヒップホップファンには響いてしまうのだけど。

ただ、その自己矛盾は一貫して一貫性のない言動にも表れていて、ここが近年の彼の最大の問題でもある。

コミュニティに対する帰属意識がブッシュの差別意識を非難するのに、外部の人間であるという自認ゆえにトランプの言動に賛同してしまう。オバマがチャンス・ザ・ラッパーやコモンやJay-Zをホワイトハウスに招待したのに、カニエを招待しなかったことも関係しているかもしれない。
それほどまでに、トランプ支持表明以降の彼からは、外部の人間だという疎外感の方が勝ってしまったんだなあという印象を受けるのだ。

「黒人は民主党支持の一枚岩だ」なんて言っているだけあって、自分がその一枚の中にいない自覚があるようだしね。

なんだかもう「黒人コミュニティに属さないアウトサイダーであること」が今の彼のアイデンティティになっているのかもしれない。「同民族として差別と戦う」みたいな連帯意識が他のアーティストに比べると薄いから、奴隷制度に対する失言も出てしまうのかも。
ちょっと言い過ぎかもしれないけれど、「非黒人のカニエ・ウェスト」がときどき顔を出しているような気さえしてしまうのだ。

という、彼のアウトサイダー性に目を向けると、意外にも音楽手法と言動に整合性が取れてしまうかも、という『On God』の感想でした。
彼の音楽性が、このアウトサイダーという認識に立脚してるのが難しいところだなと思います。

そう考えて見るとゴスペルってヨーロッパ由来の教会音楽と黒人霊歌の融合とも捉えられるから、親和性も高いわな。

おわり!お付き合いいただきありがとうございました!

最大限配慮をしているつもりではありますが、もしこの表現は芳しくないだとか、取りこぼしがあったら指摘してくださるととても嬉しいです。

はーーーーー!!!疲れた!本当はもっと早くに書き上げたかったけど、なかなか難しいですね!

最後に、私のとりとめのない話を聞いて、記事にしたほうがいいと強く勧めてくれた友人に感謝します。しかし人のネタでバズ狙うのはやめろ。

2019/10/28

(1)『文化系のためのヒップホップ入門』長谷川町蔵/大和田俊之、アルテスパブリッシング による


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