チバユウスケは絶対に戻ってくると思っていた
いち早くニュースを見た家族から「ミッシェルの人さ…」と言われた瞬間、嫌な予感がしてドキッとした。
ええええええええええ!!!!!!!!
思わずその場で大きな声を上げてしまった。
急いでXを覗いたら、おすすめの一番上に表示された。ザ・バースデイ公式からの報告。
震えた。
うそだろ!!マジかよ!!
チバが……チバが……逝ってしまった。
ミュージシャンの訃報が相次ぐ中でも、チバは絶対に戻ってくると思い込んでいた。
療養から無事に復帰するミュージシャンも多いので、絶対に戻ってくると信じていた。
だから余計にショックだった。
ミッシェル・ガン・エレファントが解散した時、どれほど動揺したか。
アベフトシが亡くなった時、どれほどショックだったか。
思い出した。
10代の頃からこの世界に絶望していた自分は、ミッシェルのラストライブを見終えたらそのまま死のうかなとぼんやり思っていた。
これ以上生きていて何になる。
最高のライブを見たあとに死ぬのも悪くないかもしれない。
本気で死ぬ勇気などなかったが、頭の片隅にはいつも世界の終わりを望む死神がいた。
ミッシェルのラストライブ終演後、冷めやらぬ興奮と行き場のない喪失感を抱えながら会場をさ迷い、はぐれた友人とようやく再会。
友人は激しいモッシュの中でぶっ倒れて救護室に運ばれ、しばらく休んでいたらしい。
体調を気づかい、感傷に浸るのも程々に、知り合いの人に車で迎えに来てもらって帰路についた。また生きのびてしまった。
「あのライブまで生きよう」と思う人は多いだろうが、「あのライブが終わったら死のう」と思う人は多くはないだろう。
ライブに生かされ、ロックやお笑いに繋ぎ止められ、死に損ねてきただけの人生だ。
死にたがりの自分より、まだまだ生きて続けてほしいチバユウスケが先に死んでしまった。
最近、「生きていて良かった」と思うより、「あの時死んでおけば良かったのかもしれない」と思うことが多くなった。
後悔することだらけで吐きそうになる。
昔ブログにつけたタイトル「suicide bambi」は、ミッシェルの曲「スーサイド・モーニング」から名付けたものだった。
「どうせなら晴れた日の朝がいいね」という歌い出しで始まる、カラッとした絶望ソング。
「死にたい朝まだ目ざましかけて 明日まで生きている」と歌う、ピーズの「生きのばし」と同じくらい大好きな曲だ。
ネットで使っている名前「bambi」は、カネコアツシの漫画「BAMBi」から拝借した。
当時、よく行っていたヴィレッジヴァンガードの漫画コーナーのポップに「甲本ヒロト、チバユウスケ推薦」と書かれていて、これは読まなくては!と思って即購入した。
バイオレンスな描写は苦手だが、無邪気で無慈悲な主人公のバンビはとても魅力的でカッコ良く、まんまとハマってしまった。
bambiと名乗らなかったら、ミッシェルの曲名から「ジェニー」とか「リリィ」とか「サンディー」とか名乗っていたと思う。
いつもミッシェルの曲が頭の中にあった。
ギターのアベフトシ亡きあと、二度と再結成することは出来なくなってしまったミッシェル。
アベフトシ以外のギターは考えられない。
しかし年月を経て、あの音色を受け継ぐギタリストがいたら、チバが無事に療養から復帰してきたら、いつかメンバーの心が揃ったら、ミッシェルを再結成してライブをやってほしい。
そんな夢を見ていた。
そんな夢は終わった。
世界は終わってしまった。
アベフトシもチバユウスケももういない。
生き残ってしまった。
くだらない世界だ。
相変わらずの絶望だ。
ミッシェルのラストライブを一緒に見に行った友人は家庭を持ち、ライブに行かなくなり、全く会わなくなってしまった。
ミッシェルのライブのチケットを取るために当時繋がりやすいと言われていた公衆電話に友達と電話をかけに行ったのも、当日券を買うために午前中から赤坂BLITZやZepp Tokyoに行ってひたすら並んだのも、GEAR BLUESのツアーで初めてモッシュの人波に飲まれて必死で周りに合わせて飛び跳ねて息をしたのも、「ジェニー」をやっている時に周りを見渡したらそこにいた観客全員が幸せそうな顔をしていて「こんな世界があったのか!!ここは天国か!!」と思ったことも、YOYOGI RIOTでキラキラした無数の雨粒と激しいモッシュの湯気の向こうに浮かび上がるメンバーのシルエットが幻想的で「このライブ一生忘れないだろうな」と思うくらい楽しかったことも、Mステでt.A.T.u.の代わりに急遽「ミッドナイト・クラクション・ベイビー」を演奏した時にテレビの前で歓喜して「最高だ!ずっと好きで良かった!自分は間違ってなかった!」と思ったことも、イラク戦争が起こって世界が歪み始めた2003年に「世界はくだらないから ぶっとんでいたいのさ」と歌う「GIRL FRIEND」がライブ後の会場に流れてそのストレートな歌声に心が震えたことも、
ミッシェルのラストツアーで札幌ペニーレーンまで一人で見に行って間近で彼らを見た時に「すっげえカッコいいし、オーラもハンパないけど、ロック好きの兄ちゃんが売れても相変わらずロックやってる感じ」がして嬉しかったことも、ラストライブで「ドロップ」が始まる瞬間に群衆の圧力で足が浮いて興奮と緊張と殺気が渦巻く中で「もう死んでもいいや、いや死ぬまで楽しんでやろう」と思ったことも、MCで「単車乗ってどっか行こうぜ!」「ロックンロールのド真ん中!」「バイバイジェニー、バイバイダニー」とか言う純粋なチバユウスケが大好きだったことも、AIR JAM 2018で久しぶりにザ・バースデイのライブを見て「1977」が聴けて嬉しくて楽しくて心から爪先まで持ってかれたことも、全部夢だったのだろうか。
思い出は儚い。
チバがもうこの世にいないなんて。
実感がない。
涙も出ない。
ニュースを見れば現実に引き戻され、SNSを見れば追悼のコメントや写真が溢れている。
先日、ポーグスのシェインの訃報があった。
昨年、ウィルコ・ジョンソンが亡くなった。
以前フジロックのインタビューで、「2003年はTMGEでの最後の出演であり、今は亡きジョー・ストラマーに捧げられたグリーン・ステージでの一発目を飾りました」という話から、チバはこう語っていた。
チバが好きだったミュージシャン、ジョー・ストラマーやウィルコ・ジョンソンやポーグスのシェインとあの世で会って、楽しく酒を酌み交わしているだろうか。
アベフトシに数十年ぶりに再会して、向こうにいるバンド仲間たちと相変わらずロックンロールを鳴らしているだろうか。
なんて、ありがちな想像をしては悲しくなる。
死んだら真っ先にチバに会いに行こう。
色んなミュージシャンに会いに行こう。
そう思ったらあの世が少し楽しみになったり、それも迷惑かもしれないと思い直したり。
後を追って死ぬほどの青さはなく、彼らの分まで生きるぞと思うほどの気力はなく、だらだら続く下り坂のような人生を当分まだ生きていくのだろう。
ミッシェル・ガン・エレファントやROSSOやザ・バースデイの曲を聴きながら、晴れた日の朝の絶望をやり過ごしながら。