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思考日記8日目

今日は荘子の名言を扱う。

荘子は紀元前中国の思想家で、道教の始祖として知られる。

無為自然を基本とした思想は人為を忌み嫌うものであり、俗世間を離れた世界の捉え方をする荘子の思想は、同時代で政治色の強い老子の思想とは一線を画していた。

「面と向かって人を褒めたがるやつは、影に回ると悪口を言いたがる」

という言葉を扱う。

初見、強烈な悪寒が走った。
何を隠そう、自分に当てはまり過ぎている。

これはいわゆる自分の中の「プアー」というやつで、世間体の中にいる自分を重んじる自分の中のマインドである。

狡猾な自分、というか人間の一面を色濃く反映された気分でとても的を射ている。

それだけに強烈な衝撃が私を襲う。

荘子の「思想」であれば、これがいけないことであり、無為自然に自己を置き、そしてそんな嫌悪や好感から解き放たれることが美徳とされるのであろう。

しかし、私は悪寒が走るのと同時に、「これで人間は然るべき」という考えも確信した。

前述してきた中にもあったが、やはり人は何かに依存して生きる。

それは精神的、肉体的な依存が主として話していくが、特に精神的な面に関していえば

嫌悪の対象、という依存があると私は考えている。
何かを嫌っていなければ自己は保つのが難しい、とする考え方だ。
なんだかピーキーな表現に感じるが、決して的外れなことを言っている気はしないし、少なくとも私には実感がある。

嫌悪の対象があるからストレスのはけ口になる。そんな経験があるものだ。

つまり、荘子の言葉を見ても、

荘子はこれによって「人を褒めたり影で悪口を言う人」を非難しているのではなく、人はそういう生き物であることを示しているのだと考えた。
つまり、私はこの言葉を荘子の「思想」とは別なモノとして捉えていいと考えている。

結果、私は最終的に

個人差こそあるものの、人を褒めたり影で悪口を言ったりすること自体、人が生きていく上でやめることができない心の代謝のようなものである。

という解釈で締めることにする。


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