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思考日記1日目

本日は、トーマス・エジソンの

「最上の思考は孤独のうちになされ最低の思考は混乱のうちになされる」

を取り上げる。

発明王として知られるエジソンには、幼少期からの逸話が多い。

電話、蓄音器、電球、トースターなど、生涯で取った特許は1000件を越えたとされている。

そんなエジソンが放った言葉の一つとしてこれを取り上げたが、

ここからは私の境遇に置き換えつつ、この言葉を咀嚼していくことにする。

私は毎日Twitterにイラストを投稿する。
コメディや風刺、ほんわか系などを某コンテンツの二次創作に乗せて投稿している。

描く上で考えなければならないこととして、「ネタ」が存在する。

やはり毎日考えても思いつかない日は思いつかずに机に突っ伏してしまうこともあり、それでも何かを捻り出してなんとか継続している。

ここでエジソンの言葉に戻る。

私はこれを聞いた時、

「良いネタが思いつくのは何気ない時が多くて、ネタが思いつかないときは大体一人でじっと考えているときではないか」

と思った。つまるところ、エジソンと真逆の考えであった。

そうなれば、この言葉が名言とされ、残っている背景には、そういった「俗なネタ」の話ではなく「世間的、社会的な話」に対する見解ではないか、という考察が出た。

そこで、世俗をバックグラウンドにこの言葉を咀嚼してみる。

昨今でいうところの「政治」などでいいだろう。
これは、世間全体の見解が正しく、良い意見、考えをしているとすることに苦言を呈するものではないか、ということを考えてみた。

孤独、というのは人1人単位の話ではなく、組織一つの単位として考える。
内閣なら内閣だし、仲良しのグループなら、仲良しのグループでいい。

そこで考え出される考えというのは「自分と近しいマインド」同士の考えのぶつけ合いの結果であり、ある意味自身らにとっては最上の思考である、と解釈していい。

一方で混乱、というのは異種のマインド同士による話し合い、ぶつかり合いの結果…と捉えてみる。確かに、捩れた議論が繰り広げられることは明確であり、その時間や苦労に見合った結果は見込めない。つまり、ここで下されるのが最低の思考、というわけである。

ここまで考えれば、エジソンの言葉が世俗をバックグラウンドに考えると辻褄が合っているように感じることができる。

しかし、ここで私が考えたのは

「異種との議論から逃避していては将来の見込める解答は出てこないのではないか」

ということ。
わかりやすくいうと至ってシンプルで、
「話し合わないとだめじゃん」ということ。

ここで、私の恩師の言葉を引用する。

一番良い選択なんてない。あるのは最善の選択だけ。それを決定するのは自分だけ。

私は
「一番いいと思っている選択は一番いい結果を生むとは限らない」
と解釈しているのだが、エジソンの言葉に置き換えても似たようなことが言える気がする。

つまり、「最低の思考」こそが一番いい結果を生む可能性を孕んでいることもある、ということである。

エジソンが言いたかったことかどうかは分からないが、私は結果的にこの言葉を

「混乱の中生まれた最低の考えであろうと、いい結果を生む可能性がある、だから混乱から逃避してはいけない」

と捉えることにした。

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