思考日記20日目
今日はクリストファー・モーリーの発言を使う。
アメリカの小説、随筆などを手がけた作家で、代表作に「巡回文庫」「幽霊の出る古本屋」など。
今回は彼の
「成功とはただ一つしかない。自分の一生を自分流に生き抜くこと。それだけである。」
歴史を問わず、世界中の功績者やインフルエンサーが語る、自己の価値のあげ方や成功する方法などに、
社会の常識から外れ、自己流に生きる
という考え方が良くなされている。
ここでいう社会の常識とは誠に不明瞭で、解釈の分かれるものになっており、短文で説明することが難しい。
広く現代の日本で定義されていることとすれば、
「学歴を積んでいい企業に就職して、安泰の生活ができること」
という感じだろうか。
ある意味、これから外れた成功者ほど、学歴や安定を否定する傾向にあるかもしれない。
では、社会の常識から外れるとは、どのようなことなのか。
モーリーの発言にある「自己流に生き抜く」というのもこれに直結していると考えていて、「やりたいこと」や「レールにそわないこと」のようなニュアンスが自己流に生きるということになるのではないかと考えている。
しかし、その結果が自身の生活水準などに反映される形でリターンがあるかどうか(稼げるかどうか)と、その道で生きていくことが「成功かどうか」は、全く話が別になってくるというのもまた一つ論として存在する。
やりたいことをやって生きていけるのは一番だが、それであまりお金が稼げなくて生活が貧しくなってもモーリーの主張によれば成功ということになっている。
逆に、社会のレールに乗り、労働者として汗水たらし毎日働き続けた結果、巨万の富を得ることができたとしても、それが「やりたいこと」でなければ成功と呼べないということになっている。
なかなか共感しづらい話で、私は納得していない。
今回どう締めるか考えた結果、
「自己流に生き抜く」ことによって為し得た結果が、そのまま成功に直結するとは限らないし、「自己流に生きない」選択のすえにも、成功の可能性は十分にある。その先に充実があるかどうかもまた、人の生き方によって変わってくる。
という解釈にすることにした。
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