思考日記28日目
今日はアントワーヌ・オーギュスタン・クールノーの発言を使って語ることにする。
フランスの数学者、哲学者、経済学者で、数理経済学の祖とされている。関数と確率を経済学に持ち込んだことで知られ、「需要と供給」の条件概念を世に送り出したのも彼である。
今回、クールノーの
「大衆が求めるのは比類なきまでの凡庸さだ」
という言葉を使って考察する。
民衆が普遍を好み、平凡を愛することはこれまでもいくつかの言葉を拾っていく中で扱われてきた内容だ。
今回も例に漏れず、大衆が求めるその凡庸さが一番の理想であるということが暗に示されている。
また、それが最善であるかは分からないという点もこの言葉には含まれており、例外にも新たな普遍の鍵が仕込まれている可能性を孕んでいるということも視野に入れておかなければならない。
では、民衆の選択はいつでも凡庸なのか、という話。
これは、革命という現象を用いて否定することができる。
民衆は何かを変えたがることだってあるという例だ。
あくまで大衆、民衆、市民は一番善い方法を探って日々考えながら生きているので、それが最善、安全であるかは関係ないこともある。
苦難を乗り越えた先に、安定、安心、平和な世界があるのであれば、民衆はそれを選択することができる。
権力者の言葉が強ければ強いほど、その意思は固くなる。だからこそ、民衆を動かす権力者は言葉遣いに細心の注意を払う必要がある。
よって、今回は
民衆は凡庸さを求めるが、権力者の言葉に操られ、その時々で一番善いと思われる選択をすることがあり、それが凡庸だあるかは分からない。
という解釈で締めることにする。
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