スマホを捨てよ、前を向こう。
ところで、僕はよく道を聞かれるほうである。
久しぶりの投稿のド頭から「ところでじゃねえだろう」と言われても当然の恐縮ではあるが。
さて(←負けない)
つい先日も電車で、耳掛けヘッドフォンをして音楽を聴いているのに「この電車は○○駅には止まりますか?」とご老人に聞かれた。そう聞いた彼の隣りには他の人もいたのに、だ。
しかし困ったことに、僕は「基本的に方向音痴」なのだ。
そのため「んー、たぶん止まりますね……えっと、あっちの電車と違うよな……(スマホで調べて)あっ! 止まりますよ!!」なんて遅い返事をした。そのとき彼はとっくに自分で調べて「あー、ですよね(醒笑)」と返してくださった。んむー。
いかんせん、通勤に使っている電車でも「必要のないエリア」は憶えない。憶える必要がないと切り捨て、憶えようとしていないからだろうか?
しかし実は、これが方向音痴の根本的原因ではないかと思う。
「よし、○○に行くぞ」と決めると、目的地と出発地点を軸に、曲がる部分などポイントになる部分の周辺しか見ない。しかも悪いことに、建物で記憶してしまう。
これって電車で、自分の使う駅しか憶えないのとまるっきり同じわけだ。
だから仮に乗り過ごしたり、聞かれたりしたら応用が利かず、軽い錯乱状態になってしまう。話が違うぞ、別の物語に入ってしまったぞ、と。
しかし周辺だけではなくランドマークやら別のお店やら話題のスポットやら、そうしたものを含めて憶えることができれば、いざ予定が狂っても応用が利く。だのに僕はそれができず、道すがらにあってすぐに戻れる「とりあえず休憩できる場所」に退避したり、時にはスタート地点に戻ったりする。
だから出かける際はまず目的地に着いて、その周辺で時間を潰す。なんともったいない、と思うものの、もはや仕方がないと諦めつつある。
だというのに、初めて訪れた街でも「郵便局はどっちですか?」なんて聞かれたりする。
そんなときの必殺技は「すんません僕この街の住人じゃないんでヘラヘラ」を駆使するわけだが、どうしてこんなに聞かれるのだろう?
それは僕が、きっと「前を向いて歩いている」からだろう。すっごく簡単なことだ。
昨今は「目玉があるのに前を向かない、生物学的に反した歩き方をする人々」が余りに多い。そうです、歩きスマホです。これには毎日本気でうんざりしているのだけども、彼らが前を向けば僕への質問はきっと減る。そうだ、そうに違いない。
だから頼む。前を向いてくれ。生物なんだから。
で、僕は困ったことに、道を聞かれてヘラヘラ困ることも実は嫌いじゃない。
数いる人々の中から「この人は聞いても安全だ」と思ってくれたのだな、と少し感謝したりする。
それこそ電車で自分の隣りに女性が座って「おお、俺もまだまだ隣りにいても構わないと思われてるのか」と安心するように。少年の心を持ったメンド臭い中年の考えることですが。
そんなことを考えて楽しめるのは何だかんだ言って幸せだし、きっと歩きスマホなんかしてたら味わえない。
だから僕は、こんな僕が嫌いじゃない。
皆さん、あたりまえのことですが、歩くときは前を向いて歩いてみてください。
遊んでもどうせリセットするゲームなんかより、少し気持が楽しくなるかもしれませんよ。ほんとに。
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