【この際だから森岡賢を語ろう】
さて。
前回、遠藤遼一を気の向くまま論じてしまい「じゃあ、以下2名はどうなのかね」と立ち返った。
言うまでもない。SOFT BALLET(ソフトバレエ)の以下2名、森岡賢と藤井麻輝である。
そもさん、ソフトバレエ(以下ソフバ)はこの3人あってこそのバンドだった。バンドと呼ぶと違和感があるものの、本人たちが一時期自嘲気味に「バンド」と言っていたのでそれでいいだろう。
というのもソフバは、いわゆるロック・バンドのような結束があるわけでもなく、「自己主張の強い3人が協力して音楽を作っていたグループ」といったバンド。難解な歌詞しか書かない無表情の「宇宙野郎」遠藤遼一、演奏するぐらいなら踊って奇声をあげる「クネクネ金髪」森岡賢、客の前でガスマスクを被って鉄板を叩く「破壊こそ我が人生」藤井麻輝。こんな主張しかしない連中が、ロック・バンドみたいに結束できるわけがない。
しかしお互いの役割分担のようなものはとても自覚が強く、歌詞はヴォーカルの遠藤がほぼ担当、夢想家の森岡が描く楽曲スケッチに、藤井がトリートメントを徹底的におこなう。ステージでは遠藤が中心におり、森岡が前に出て、藤井は後ろを固める。奇跡的なバランスで続いたバンドだった。
そのバランスの均衡を保っていたのが、実は森岡賢なのだ。
よしでは、今回はその視点で進めてみよう。
森岡賢。別名「踊る金髪」。
生でも映像でもTVでも、ソフバのライヴを見たことがあれば漏れなく「あのクネクネした金髪、何なの!?」と話題になること必至。それほどにヴォーカルの存在感を食ってしまう、強烈なキャラクター。逆に「え、もうひとりいたの?」と言われるのはバミり位置から動こうともしない藤井だが、それは自身が人前に出たくないためのスタンスなので間違っていない。可哀想なのはヴォーカルなのに存在感の薄い遠藤である。
さて、その金髪。踊るだけではなくもちろん楽器も演奏する。作曲もする。しかしステージでは演奏はほとんどデータ再生してのアテフリなので、ソロ・パートで鍵盤を触る程度であとは踊るか叫んでいる。それこそ始終。あとたまにピアノを弾くこともある程度。
ソフバがTV番組『POP JAM』にてNHKに初登場し、当時の最新曲「EGO DANCE」を演奏した際には、ヘンなスプリングみたいなビヨンビヨンする小道具を持って踊っていたらしく、「なぁ、アレ見た? アレ何なの?」と翌日の学校で音楽好きの間で話題になった。らしい。いや見てなくて噂に聞いただけなんだけど後追いの僕は。
初期PVでも全身タイツに鎖カタビラみたいな衣装や羽が生えた悪魔の全身タイツを着たり、ステージ衣装も露出度の高いハートマークのツナギだとか、とかく「奇抜」。しかも踊ってばかりで、同じくテクノの電気グルーヴで言えば「たまに鍵盤を触るピエール瀧」みたいなもの。
それだけ見た目のインパクトが強く、一見すると何のためにグループにいるのかわからない、謎の存在。それが森岡である。
停止までの本活動期にリリースされたシングル9枚(海外リリースを含む)中、タイトル曲は藤井2曲(ESCAPE、THRESHOLD)、共作1曲(YOU)、残る6曲は森岡のペンによる作曲。特にデビュー曲にしてバンドのアイコン的存在の楽曲「BODY TO BODY」からして森岡だ。以後も森岡によるシングル曲を挙げてみると「TWIST OF LOVE」「EGO DANCE」「FINAL」「ENGAGING UNIVERSE」「WHITE SHAMAN」……ソフバの「代表曲」ばかりだ。
そんなふうに「耳に残る」フレーズや親しみやすいポップな構成・展開を作るのは天才的に上手い。だが残念ながら決断力がなく、「これでいいのかなぁ」「こうしてみようかなぁ」「藤井くん、どう思う?」などと、とにかくやり直しが多かったらしい。そのため森岡の作曲力を補うのが藤井であり、歌詞で具現化するのが遠藤だった。「歌が入ると理想形と別物になってしまう」などと発言するソロ志向の藤井と違い、森岡の脆弱さを補うところがバンドらしい。
そう。
実は森岡がいるからこそ、バンドとして成り立っていたのだ。
初期楽曲のほとんどを作曲し、シングル曲の大多数を手がける一方、森岡は「自分ひとりで完成させること」ができなかった。だからこそ協力し合えたアルファ期はバンドがステップ・アップするように楽曲の質が上がり、個性が確立していった。
しかしサウンド・プロダクションが藤井中心になった『MILLION MIMMORS』では真逆の方向性になり、続く『INCUBATE』では楽曲の雰囲気が森岡・藤井の二極化。ようやく『FORM』で統合を見せたが活動停止。
その裏には「トリオなので常に『2対1』の図式になりがちだった」という原因がある。遠藤と森岡が仲良くしている一方で藤井が音作りにだけ集中し、遠藤と藤井が話し込むと森岡が疎外感、森岡と藤井が共同作業に没入すると遠藤がひとりで海岸で弁当を食う、といった始末だったらしい。要は常にケンカしていたわけだ。だからこそ主導権の違いでアルバム・楽曲のカラーがまったく異なっていったのだろう。
しかしながら森岡は、藤井が言うところの「憎めない犬」のような存在。誰とも仲良くなりたがり、面倒で手がかかる、しかし面倒を見たくなるし、かわいがると尻尾を振ってついてくる。
この愛嬌がなくては、ソフバは間違いなく続かなかったはずだ。たとえばソフバ後の「minus(-)」は森岡と藤井のユニットだった。ところがこれが遠藤と藤井のコワモテ・ユニットだったらどうだろう? 緊張感ばっかりで、決して長く続くとは思えない。
森岡の毒々しい華やかさがあるからこそ、ソフバはソフバたり得たのだ。
しかし森岡、ソフバの主要シングル曲を作曲しているほどポップな作曲が得意なのに、自分ひとりでは何もできない。
ステージでは目立つ主役のようでいて、CDでの存在感はもちろん「音」のみ。遠藤が中心にいる限り、宿命的に脇役しかできない。自立心は弱いのに自己主張が強い。おまけにシンセ音楽やってるもんだから、ピアノへのコンプレックスが強い。
その裏返しが、ステージなのだろう。
少年期の森岡は鬱々とした日々を過ごして「JAPANとデヴィッド・シルヴィアンに救われた」という内向的な性格。だのにあの、ステージでもはっちゃけぶり。これは明らかに反動でしょう。
これは本人も自覚しているようで、ソフバデビュー直後の映像ソフト『JACK IN』からすでに、自分で「花を添える役」と語っている。おそらくは自分の声がヴォーカル向きではないこと、自分だけでは楽曲を作り上げることが難しいことを本人が最もわかっていたのだろう。
それでも自己主張が強い森岡は、バンド活動でノウハウとともに自信を得たからか? 3人の中で最初にして唯一、バンド活動中にソロ活動を始めている。
ではこの流れで、恒例のソロ作品羅列とまいりましょうか。ね。
1st:Questions (1994)
バンド活動中に発表されたソロ・デビュー作。遠藤しか歌い手がおらず、藤井にダメ出しばかりされるバンド内の創作的鬱憤を晴らす役目もあったと思われる。
インスト・パートに比重が置かれ、ヴォーカルは森岡自身が歌う曲はごく少ない。主に外部ヴォーカリスト(男女)を招いて歌わせている。
冒頭曲こそアッパーだが、全体的に浮遊感ただよう「中近東アンビエント」。多国籍というか無国籍な、独特の雰囲気。力を抜いて聴ける佳作だが、ソフバ・ファンの一部しか買わなかったと思う。特に「WHO」なんてブライアン・イーノ的で素敵なのに。
2nd:JAPANESE (1999)
ソフバ解散後、遠藤がエンズとして脚光を浴び(かけて)、藤井がShe Shellを短期間で終わらせてしまう中、満を持して発表した「ロックの」ソロ作。
ソフバの自作曲「EGO DANCE」と同じ「The End of Century Boy」と歌う先行シングル「FAT」で、きっと森岡はソフバにケリをつけたつもりだったのだろう。初ソロと異なり歌モノ中心で、かの香織をゲスト・ヴォーカルに呼んだサード・シングルの「PLASTIC FLOWER」など、聴き応えは全作品中でダントツ。音の粒が全体的にキラキラしていて、実に森岡らしい。実験的な「ZERO」をセカンド・シングルに選ぶなど、多面性も含む。
ただ弱点はやはり森岡のヴォーカル。線が細く、歌の主張がやや弱く感じられる。
多分だけど、コア・ファン以外はこのアルバムが森岡のソロ・デビュー作だと思ってるんじゃないかな。
この時期、なぜか森岡は「KEN MORIOKA.A」名義を貫いた。それはソフバがなくなり、個人となっても「+α」でいたいという意味だとかだったような。記憶曖昧。
3rd:ELECTRONICA (2001)
4th:fantasia (2001)
でも一気に迷っちゃったのが、連続で発売されたこの2作。
どちらも「エレクトロニカ、というよりダンス・ミュージック」な仕上がりで、同じ曲「ELECTRO DISCO」のリミックスを追加するなど、薄く平板な仕上がり。単調なビートが続き、2作品をして「森岡賢というパーソネルが見つからない」。
おそらく中核曲扱いの「ELECTRO DISCO」をアルバムで体言したかったのだろうけど、2枚にして出すことはなかったんじゃかなぁ。凝縮して1枚にすれば。
復活ソフバ (2002~2003)
この時期については後述。
5th:Jade (2006)
復活ソフバを経て、プロデュース業やゲスト参加のあいまに発売されたエレクトロ・ヴォーカル作。ダンサブルな楽曲にゆるやかなヴォーカル、という実に「森岡らしい」作品。
『JAPANESE』に次ぐヴォーカル・アルバムとなったのは、やはり再集結ソフバの後だからだろうか? 安心して聴ける反面、あまり良くない意味で「森岡らしい」側面も強く、曲の起伏が少なく、全体として面白みが薄い。そのうえ再利用アイディアが多すぎて、「才能の再利用感」がすごい。
冒頭インストは「EDGE OF DANCE」と同じフレーズだし、続く2曲めは「ELECTRO DISCO」と歌っている。続く3曲め、4曲めは復活ソフバの「Realise」や「TWIST OF LOVE」に近いフレーズのくりかえし。5曲めは改題しつつもまた「ELECTRO DISCO」(3度め)。6曲めは耽美なメロディと美しい女性ヴォーカルなのに、ほぼワンフレーズのくりかえしで単調。7曲めはまさかの「BODY TO BODY」のリミックス(!)。最終曲にやっと良質の「森岡ポップス」……といった具合。
シングル再構築やアルバム構成など凝ってはいるのだけど、いかんせん楽曲の再利用が多く、魅力に欠ける。もしかしたら「森岡賢ベスト・ワークス」を作りたかったのだろうか?
6th:Modern Racer (2008) ※会場・通販限定
ほぼ全編インスト、というかラフ・スケッチのような感触。たとえば藤井の作り込みに比例させて考えると、デモとかプリプロ並。プツリと切れるように終わる曲も多く、まだ制作途中なの? と思ってしまう仕上がり。
これを「完成形の作品」として世に送り出したことに疑問を抱く。いくら会場限定とはいえ。ヴォイスが入る曲もあるが、ちゃんとしたヴォーカル入りは1曲のみ(しかも本編終了後のシークレット・トラック)。
このあと見かねた(?)藤井に誘われて「minus(-)」結成に至るわけだが……まさかこれがソロ遺作となってしまうとはねぇ。という、ファンとして無念な完成度。残念ながら、森岡の才能が枯渇していくのを強く感じる。没後に通販限定で再販売された(僕もそれで買いました)。
GENTLEMAN TAKE POLAROID:Orfeu (2009)
GLASS BALLEYのヴォーカル、出口雅之と組んだユニット。名義からしてJAPANの名作(名曲)そのままなことからもわかるように、いわゆる80年代エレクトロ・ロック志向。しかしいかんせん楽曲が平板で、ヴォーカルの魅力も弱い。成果も上がらずアルバム1枚に終わった。
ZIZ x KEN.MORIOKA:Salon du Detester (2012)
もとMALICE MIZERのKOZIを中心としたユニット、ZIZに森岡が合流。華やかな音で花を添えるが、いかんせん何から何まで小粒。ここまで来ると「大御所・森岡さん参加です!」という演歌歌手状態なのでは。
minus(-) 始動 (2014)
森岡を「見かねた」藤井が声をかけ、2人ユニットとしてスタートした「minus(-)」。当時は「ソフバ復活か!?」と騒がれたものの、蓋を開けたらダンス・ミュージック一辺倒。とはいえそれは「森岡賢をプロデュースするユニット」として藤井が画策したもので、芯が通っている。
そのため作り込みは森岡単体の比ではなく、藤井特有のノイジーさも含む。そのうえで森岡のヴォーカルもソロより生き生きとしており、ライヴではアイドル・グループ「BELLRING少女ハート」とのコラボなど話題を呼んだ。
順調に作品をドロップしていったが、森岡の逝去を受け、minus(-)は藤井のソロ・ユニットとして存続することになった。と同時に、SCHAFTにも近いノイジーなインダストリアル寄りサウンドに転換したことが嬉しいような哀しいような……。
KA.F.KA - Fantome Noir (2015)
旧友にして盟友、DER ZIBETのヴォーカルISSAYにより結成された5人組バンド。メンバーが知ってる人にとってはものすごい布陣で、(在籍バンド)を連ねるとスゴいことになる。
ISSAY(DER ZIBET)、森岡賢(ex.SOFT BALLET)、土屋昌巳(ex.一風堂)、KenKen(RIZE)、MOTOKATSU(ex.THE MAD CAPSULE MARKETS)……どうだスゴいだろう。ほどなくしてベースがウエノコウジ(ex.THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)に交代したのもスゴい。そのままKenKenが在籍していたら逮捕されて違う意味でまたスゴいことになってしまったが。
帝王のごときISSAYを中心としているので、どうしても「デルジっぽいサウンド」になっているわけだが、その後を期待させるミニ・アルバムを発売。したのに、森岡が亡くなってこのバンドも空中分解してしまった。実にもったいない!
ピアノ・インストCD-R (2018) ※通販限定
森岡の死後、録音されていたピアノ・ソロ曲を3曲収録。タイトルさえなく、通販限定であっという間に売り切れた(ギリ買えました、私も)。
過去にヒーリング・アルバム『Gratuitous Love~光のピアノ~』にピアノ曲を2曲提供し、世界三大ピアノに数えられる「べヒシュタインフルコンサートグランドD280」を演奏していた森岡。常に「ピアノ・ソロを制作したい」と発言していたわけだが、その夢は死後にこうした形で実現した。皮肉なことだが。
ただ……言いづらいが「ごくごく平凡」。
おそらく森岡がピアノ作品を作りたがっていたのは、自己顕示欲の強い彼のこと、「認めてもらいたい」ためだったのだろう。ソフバでは飛び道具扱いで、ソロではその延長でシンセばかり。ゲスト参加も多いがピアノ演奏を希望される案件はごくごくわずかで、プロデュースはそれどころじゃない。
しかも父親が高名な作曲家・編曲家の森岡賢一郎で、幼少の頃にピアノを「習わされた」ので、きっとピアノへの劣等感をずーーーっと抱いていたと思うのだ。ピアノ専攻科は中退しちゃうし、演奏の機会もないし。ソフバ時代に「SAND LOWE」中間をアレンジして延々とピアノ演奏していたのは、その鬱憤の発散だったのだな。
きっとこの作品も「僕のピアノの腕をわかってもらいたい」という気持で演奏していた断片かもしれないが……そういう意味では志半ばだったのだな、モリケンよ。
――無念。
さて。
おおよそのソロの動きを辿ってきたわけだが、この中で話題になったものといえばファンの間でも数枚しかない。
まずはソフバ在籍中の1st『Questions』がファンの間で話題となり、音楽雑誌にもインタヴューが載った。次に2nd『JAPANESE』はソフバ停止後とあって注目度も高く、おそらくセールスは最も伸びたと思われる。皮肉なことに、3度めの話題は没後。6th『Modern Racer』が再発され、ピアノ・インスト3曲入りCD-Rも限定発売。あっという間に売り切れる。他はほぼ話題にならず、どの作品も鳴かず飛ばずだった。
森岡はソロ制作以上にプロデュース業やゲスト参加、楽曲提供の機会が多かった。初期は遊佐未森やBUCK-TICKのアルバム。ソフバ停止直後にファンの間で伝説となっている布袋寅泰のライヴ・サポート、JAPANトリビュート・アルバムに当時は藤井麻輝婦人の濱田マリ。デーモン小暮閣下や及川光博(ミッチー)にも助力した。ほかサントラも多数参加し、実は裏方の仕事のほうが多くて仕事振りも堅実なのだ。
ただし、自分がプロデュースした人材は揃って森岡のごとく鳴かず飛ばず。森岡プロデュースの中では最も有名な男性2人ユニットのFEELを軌道に乗せることはできたが、その後パッとせず。FACE(中原理恵)にS.D.B.B.なんてシングル1枚だったか?
というのも森岡、ついつい「自分が前に出ちゃう」悪い癖がある。FACEのPVにも出演していたし、楽曲提供した女の子、MELLの場合はステージに客演して「完全に主役を食った」。前述の布袋のライヴ参加が伝説になっているのも、ゲスト演奏者としては「目立ちすぎ」だからだ。ただ布袋には気に入ってもらえたのか、後年また起用してもらえたけれども。
きっと、なのだけど。
森岡は誰かをプロデュースするより、プロデュースしてもらえば輝く存在なのではないだろうか。ソフバで「目立つ」ことでキャラクターを確立したように、空間に合わせて自分を演出してもらえば、無二の存在になる。
だからこそ藤井は、minus(-)を立ち上げたのだな。
森岡のために。
どうしても触れなければいけないのは、復活ソフバだろう。
最後まで嫌がる藤井を何とか渋々「ソフバに決着をつけるのなら」と半ばあきらめのように納得させ、再始動したソフトバレエ。エンズの売り上げが落ち込んでいた遠藤に、ソロ活動が何をやってもうまくいかない森岡。唯一、やりたいことをいろいろやっていた藤井だけは「やる必要がなかった」わけだ。おかげでShe Shellは自然消滅したが、そのユニット形式やフォーマットは後の睡蓮-suilen-に昇華できたわけだし。
その曲作りは『FORM』よろしく共作だったので、全曲のクレジットが「SOFT BALLET」になっている。作詞作曲編曲まで。森岡および藤井の個人要素が強く出ている曲はもちろんあり、楽曲の主導権や中心は必ずいただろうけど、珍しく仲よく共同作業できていたわけだ。
しかし藤井は「森岡はどうしても手クセで曲を作る」とボヤいていた。それを言わないと「おまえ、それ『PHOENIX』と同じだよ!」となってしまったらしい。
それがたとえば発揮され(てしまっ)たのが、ソロで言うところの『Jade』だろう。過去の曲にソフバ・クラシックスまでサンプル化する始末。しかもソロだから藤井のような抑制者もいない。
現に、復活ソフバも「これ何かに似てるなー」という曲は多々、存在している。『SYMBIONT』なんて構成や楽曲のトーンまで『FORM』に似てるもんね。
でもその「手クセ」が、最大に発揮されたのは「BRIGHT MY WAY」だろう。
シングルに収録されたリミックス・ヴァージョンを聴けばより明白だが、この曲は進行が「もろTWIST OF LOVE」。森岡が音色を豪華にして藤井がギターを弾き、アニキと化した遠藤が吼える。のに、実は進行が「まんまTWIST OF LOVE」なのだ。
この曲に「メルヘンダイバー」と『SYMBIONT』でモヤモヤしたファンは狂喜した。「おかえりソフバ」とまで言った。たぶん。
それは「TWIST OF LOVE」と同じ進行の親しみやすさが最大要因だし、「遠藤・藤井と違って、何も変わらなかった森岡」がその立役者であることは間違いない。やはり森岡こそが「ソフバのイメージ」だったわけで、不変を求めるファンに応えられるのは、変わることのない少年・森岡賢だけだったのだ。
宇宙と言っていた闇の帝王は未来を語るアニキになり、ガスマスクと鉄板の破壊者は何も壊さず直立不動でギターを弾く人になった。唯一、変わらなかったのは森岡だけだった。
遠藤が声と世界観で、森岡が楽曲込みのイメージ、藤井が楽曲とその奥深さ。三者三様で担い合っていたからこそのソフトバレエ。
だからこそ、「とりあえず自分で全部できるようになった」ソロ活動の後の再集結は、「ソロでは結局うまくできない」森岡を助けることになるし、逆に長く続くことも難しく、はたまた完全終了後の森岡は再び頓挫してしまったのだろう。ついでに遠藤も沈黙したのは少し意外だったけども。
こう書いていくと――憎まれ口ばかり叩いていた藤井こそが、やっぱり森岡を理解していたのだなぁと実感する。
だからこそ、藤井はminus(-)を続けるのだろう。現在ではインダストリアル要素が劇的に増え、しかも森岡没後作品『C』はほぼ睡蓮になっていて、まるで別物プロジェクトになりかけているものの、「森岡がここにいたら、という遊び場」として。
現に藤井は、ほぼ睡蓮になってしまった『C』のスペシャル・サンクスに、森岡の名を残している。
おやすみ、永遠の少年。
あまりに突然だったので、当時はそんなことも思えなかったし言いたくなかったけど。
もう部屋の隅で膝を抱えていないで、憧れのデヴィッド・ボウイとミック・カーンが組んだ天国バンドにキーボードで参加できているかい?
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