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【遠藤遼一という人生】


 あなたは「遠藤遼一」という人物をご存知だろうか。
 ピンとくるかこないか、それで完全に分かれる人物だ。不思議なことに「ちょっと知ってる」という人は、ほぼほぼいないだろう。では、わからない人には「原田知世の元カレ」とだけ言っておく。交際を知ったときはびっくりしたよ、心底のファンとして。
 遠藤がその名を知られていないのは、彼の最も成功したキャリアであるバンド「SOFT BALLET」自体が、そんな「100%知ってるか100%知らないかで分かれる」からだ。
 SOFT BALLET(ソフト・バレエ)、略して「ソフバ」は和製デペッシュ・モードよろしく、ふたりの鍵盤奏者に遠藤のミッド・ロウなヴォーカルが乗るという、いかにも90年代にウケそうなバンドだった。そして実際、ごく一部で大ウケ。その人気の大きな要素が「各人のキャラクター」であり、最大のひとつが、遠藤の美貌だったのだ。
 ソフバは「宇宙野郎」遠藤遼一、「クネクネ踊る金髪」森岡賢、「破壊こそ我が人生」藤井麻輝のトリオ。奇抜な衣装や独特かつダークな世界観で世の女子を虜にし、特に遠藤は「暗黒王子」「帝王」「エンディー」などと呼ばれ親しまれ畏怖されていた。
 とにかく大陸的ながら掘りが深く整った顔立ちで、実に凛々しい。ローブを着てメイクすると「暗黒王子」だが、ナチュラルになると「アジアの美青年」といった感じである。

 ソフバ停止後、3人はソロ活動に転じるわけだが、遠藤はいち早く「ソロ・プロジェクト・バンド」として「THE ENDS(ジ・エンズ)」を立ち上げた。その後すぐにバンド名から定冠詞を省いて「ends」と小文字になり、やがて大文字の「ENDS」と表記が変わっていく。そのため本稿では表記を「エンズ」としたいわけだが……あとあと考えればこのプロジェクト名って、ドアーズの「ジ・エンド」からきていたのだな。実は。
 というのも遠藤、テクノ・バンドのソフバでヴォーカルをやっていながら、ドアーズというかジム・モリソンの大ファンである。
 ソフバ再始動の直前、2002年には中シゲオ率いるTHE SURF COASTERSにヴォーカル参加して「ハートに火をつけて」をカヴァー。シングルをリリースした。ジムへの憧れが実を結んだ、「人間・遠藤遼一」の絶頂期だったのではないだろうか。だからこそ、そのさらに上は「ソフバしかない」と回帰できたのかもなんて思ってしまう。あるいは「これで吹っ切れてソフバができる」とか。
 以前のドアーズの項でも紹介したが、これがハイ・スピードでディストーション過多な、ぶっちぎり疾走傑作カヴァーなのでぜひ聴いてみてほしい。いつかリンク切れになったらご勘弁を。
 ↓
https://www.youtube.com/watch?v=DONKVXP-l_k

 話が逸れた。というか先に進みすぎた。
 ソフバで唯一無二のヴォーカルだったというのに、同僚の藤井には「いい曲ができたと思っても、歌が入ると別物になってしまう。歌いらない」ということを言われ、ステージでは森岡がとにかく目立つ。バンド内は常にケンカが絶えず、必然的に活動停止。
 その直後にエンズとしてのソロ活動が発表されたわけだが、新聞に載ったんだよソフバの人が。小さい枠だけどね。
「ぼくはもっと大陸的な音楽をやりたい」
 という発言が掲載され、シングル『蜘蛛と星』のリリースが告知されていた。実家保管のそれに挟んであります、新聞の切り抜き。
 では黒夢でもドアーズでもやっていたように、細かく触れる前に一気にソロ・プロジェクトのアルバムを俯瞰してしまおう。特に遠藤はそうしないとどこへ行くのかわからんのだよ。
 
 
1st:THE ENDS (1996)
 ソフバ・ファンの影響でそこそこ話題になって、そこそこ売れた。
 だから内容としては延長線上のままバンド演奏になったような感じで、様子見かつ強い表現も控えめ。出来もそれなりに悪くないが遠藤の個性も出ていない中途半端なスタートになってしまった。シングル「蜘蛛と星」でギター・ロックを期待した人はアルバムのオルガン・アレンジに失望したという。
 でも、アルバム・チャートでは以後の作品と比較しても最高位なんだよなぁ。期待されていたのに中途半端なものを提供してしまった感が否めない。
 
2nd:SPACY (1997)
 一気に吹っ切れ、ドアーズ意識。パーマをあてて衣装も白シャツに黒の革パンと、ジム・モリソンそっくりになってしまう。
 ミニ・アルバムだがセカンド扱いで、楽曲の濃度はピカイチ。民族的なタブラやオルガンが増え、特にオルガンは一気に「ドアーズ化」。
 民族トランス楽曲「市場」で始まりドアーズ影響下の「愛のまま」、ソフバの『MILLION MIRRORS』ボツ曲をリアレンジしたという「無限の鏡」とゆるやかな疾走感「君は僕を好きになる」を挟んでシングル曲「自由なこころ」にトドメの「シャララ」。完璧だ。
 ようやくエンズの方向性が定まった初期の傑作だが、この方向性がソフバ路線を期待したファンを離れさせてしまったようだ。
 
3rd:HOWL (1998)
 その作風を掘り下げていったもの。というより、薄めて広げてアルバムにしたような感じもある。
 ややコンセプチュアルな楽曲配列で、最後は漂泊の旅人になって放浪するようなフワフワした雰囲気が魅力でもある。けど正直、濃度も薄い。この路線が以後の基本になっていく。
 体感的にはこのあたりで見限って離れたファンが多かったような。
 
4th:FIRE WORKS (1999)
 急速にワイルド化し、歌詞や楽曲も吹っ切れていく。というか、どこに向かっているのかよくわからなくなってくる。
 シングル曲「炎天」も傑作曲なんだけど、どうにも小手先の手癖で曲を書くようになってきた。
「INDIAN SUMMER」なんて曲はドアーズ意識もあるけど、実はこの後の指針だったようだ。
 
5th:ADVENTURE 48 (2000)
 オビのコピーでとうとう「スペース・サイケデリック酋長」を標榜。それを体現するようなシングル曲「すべてに等しく吹きつける風のように」はエンズ時代の最高傑作曲と言っても過言ではない。
 反面、バンド演奏と自分の作曲に限界を感じたのか、デジタルも多用。一方で楽曲がアーシーになってきたのをきっかけに、アコースティックな側面も強化していく。そうしてますます「迷走」が深まっていく。
 
ベスト:MAGIC YEARS -the rise from the ends- ends best selection (2001)
 6thと同時発売のベスト盤。それまでの中核的な楽曲を選んだソツのないベスト盤だが、新作が同時リリースというのは、いかにもな「商売」を感じさせる。売ろうとしてがんばってたんだろうなぁ。
 初回生産盤にはアコースティック・アレンジでのスタジオ・ライヴ音源が収録されており、エンズの「その後」を予見させる。
 
6th:MAGIC DAYS (2001)
 漁師のようなジャケのミニ・アルバムで、ベストと同時発売。はっきり言ってしまえば「ベスト気に入ったらコレ最新作だから買ってね」盤。
 しかし小手先作曲の傾向が強まり、アコースティックな側面も強く地味で、ここに収録された曲の中で傑作と言えそうな曲はほとんどない。つーかファンであったはずの自分が、ほぼ憶えていないぐらいだ。
 
ライヴ:HI-UNPLUGGED (2002)
 ベスト盤初回付属ディスクからの発展・実践形。とうとうアンプラグド・ライヴ演奏したものをパッケージ化してしまった。よくある「道に迷ってアコギ弾く」ってヤツだ。
 初めて映像を見て、乱れたパーマに無精髭、タンクトップにN-3Bジャケットを着てアコギを弾く姿に衝撃を受けたものだ。「あの暗黒王子が渋谷のチーマーみたいになってる……」という残念な意味で。
 アレンジは悪くないし選曲も演奏もいいんだけど、そうした「迷ってる感」が明白に出ているのが痛い。
 
ゲスト:ハートに火をつけて(2002)
 ザ・サーフ・コースターズの誘いで浮浪をやめ、あこがれのジム・スタイルに戻る。そしてドアーズ代表曲を疾走カヴァー。エンズのサイケデリック風味も加わりとんでもない名演奏となる。
 ドアーズ好き遠藤遼一、自身でも絶頂だったに違いない。これで吹っ切れてソフバに戻ったというのが自分の感触である。
 
再結成ソフバ (2002~2003)
 あの「テクノ・バンド」に、酋長化したまま参加。といっても藤井も破壊者のままギタリストになり、変わらないのは森岡だけだったのだが。
 遠藤はタンクトップや上半身裸でステージに登場。ラップ気味の歌まで叫び出して「暗黒王子を見たかった」往年のファンを驚かせる。音楽的にもただでさえコンフュージョンだった停止前より、さらにカオスになっていった。
 もし仮に、このまま活動を続けていたら往年の名曲「NEEDLE」までラップになったのではないか、なんて思ってしまう。「せっさにーどう! 壁を崩してぃえぇぇ!」って。
 
7th:THE COUNTER (2004)
 バンド路線を続行。ラップ的な後乗りリズムを強化。自信を得たのかアコースティックな側面も強まり、佳曲もあるが全体的に小粒になる。これは以前のバンド・メイト、三柴理の不在が大きいだろう。
 はっきり言ってソフバ後のソロでは「森岡と藤井の不在」がとてもとても強く感じる。つまり遠藤は、彼らのような強烈な個性に後押しされることで、言ってしまえば「比較」することで輝いていたのだ、と。
 
8th:FOUND (2005)
 そして急にデジタルに接近。もはやソフバと大差なくなる。
 しかも遠藤のデジタルは自分にだけ軸があり、藤井のような楽曲に振り切ったものではなく、森岡のような楽曲や歌を引き立てるものでもないので、はっきり言って「平々凡々」。
 もしもここでデジタルの使い方が上手で、今までのソロ活動の枠から飛び出ることができれば「ひとりソフトバレエ」も可能だっただけに、この仕上がりが実に残念。
 
再録:Jubilee (2006)
 そのデジタル路線のまま、ライヴ受け中心のベスト選曲を再録。最後のスタジオ作品となるものの、その出来は「『FOUND』の路線でベストを作りました」な感覚。よって「中途半端」。
 せっかく生音が魅力だったナンバーもデジタルに埋もれ、どの曲も似通ったアレンジとなり、楽曲の個性が失われてしまった。ベスト選曲なのに起伏がなく平板。始終アッパーでBPM高めなのでドライヴなどにはいいBGMだろうが……そう、もはや「ただのBGMになってしまっている」。
 その後ライヴ活動を続けていた遠藤だったが、とうとうこの作品をもって沈黙してしまう。
 
ライヴ:HI UNPLUGGED ENDS×LOVELESS ''WHITE HEAT'' (2006)
 品川グロリア・チャペルでのライヴ録音
 バンドとストリングスで荘厳、この路線でアルバム作ればよかったのになどと思うがその後に出たのが『Jubilee』だったので、もはや食い止めるには遅かったのだろう。
 通販限定アイテムにしたのは、一般流通だと思ったように売れなくなり、コアなファンをつかもうとしたのだろうなぁ。むしろ『Jubilee』をこういうアレンジにすれば、往年のファンが戻ってきたかもしれないのに。ねぇ。
 
ライヴ:HI UNPLUGGED LIVE ~vibes Circus~ (2007)
 iTunes限定配信のライヴ盤にして、実質的に最新作。この後、遠藤は現在に至るまで、完全な沈黙に入る。
 デジタル化したままのライヴ盤で、この最終期あたりの映像を見ると頭にターバン状の布を巻いて「湘南乃風みたいな風体」になっていた。もはやどこへ向かっているのか自分でもわからなかったんじゃないだろうか。人はそれを迷走と呼びます。
 配信限定にしたのは、やはり「売れないから」だろうなぁ……。
 
 
 以上、駆け足で見てきたが、音楽的に幾度もの方針転換と迷いが見える。
 それが遠藤のルックスにも大きく出ており、その時点での指針や指針のなさが実に表出しているのが面白い。
 
デビュー前:駐車場で寝る世捨て人
ソフバ前期:長髪イケメン
ソフバ後期:オールバックの麗人
ソロ初期:目指せジム・モリソン
ソロ中期:サイケ酋長
ソロ後期:渋谷のオラオラ系
復活ソフバ:無理して上半身裸
ソロ最終期:もはや湘南乃風
 
……うーむ。流れで言うと「麗人ごっこ → 本当はコレがやりたい → からの流れでボタニカル → そして裸 → 寒くて服を着ました」とはなっているのだが。
 たとえばこれを、ソフバと同じカテゴリーにいるBUCK-TICKのフロント、櫻井敦司がやったらオオゴトである。あっちゃんどこ行くの、と言われるに違いない。
 でも遠藤は、止められなかったんだな。あまりに「ソフバで自分を作りこんでしまったから」。その反動が大きすぎたのだ。
 かといってマッチョから麗人に戻るのも白々しいので、裸のまま復活ソフバに参加した……と。う、ううむ。
 
 ここで断言する。
 ただでさえ知られていないエンズが、それでも知られているのは「初期だけ」だと。
 ソフバ再始動前も再始動の停止後も、エンズ・ファンが途中から増えているようには体感しなかった。最初から好きだったファンが、じりじりと減っていくのは痛感していたものの。
 だからいっそ、ここからはその「初期」にスポットをあてることにする。いいよね、っていうか全部を語っても楽しめる人わずかだもんね。
 
 エンズ結成時、デビュー・シングルはまだメンバーが固定しておらず、アルバムが発売されてもメンバーは大々的に宣言されていなかったが、ライヴ開催にあたって明かされた時の衝撃もなかなかだった。
 ヴォーカルはSOFT BALLETのフロントにして低音ヴォイスの遠藤遼一。
 キーボードは筋肉少女帯をプログレ寄りにした男、三柴理。
 ギターはソフバ時代にもゲスト参加したことがある、MAD CAPSULE MARKET'Sを離脱したばかりの石垣愛。
 ドラムは意外や意外、ZIGGYを解雇されてフラフラしていた(←失礼)大山正篤。
 さらにパーカッションにはポップスやポップス寄りのジャズへのサポート多数参加、中島オバヲ。
「あえてベースなし」なのは、遠藤が自分をジム・モリソンに、三柴理をレイ・マンザレクに見立ててドアーズを意識してのことだろう。他のメンバーも「すごい寄せ集め」である。ソフバとマッドはともかく、まさか筋少やZIGGYと合体するなど誰が想像できたことか?
 デビュー後にこのメンバーが固まってから軌道に乗り、シングル『シャララ』発売時に特集された南関東地区限定の30分TV番組では、遠藤が「この5人でエンズだ」という発言をしていた。きっと遠藤もパーマネントなバンドとしてやっていく意気込みだったのだろう。
 たしかにそれまでのエンズは、軌道に乗っていた。だからこそ『シャララ』のシングルは、出て数か月しか経過していない前のシングル曲「自由なこころ」のスタジオ・ライヴをカップリング曲にしたのだろう。その勢いを残しておきたかったのだよねきっと。
 しかし遠藤は、そうしたバンドを率いる社長気分でハイになっていたように感じる。
 その後、強い意気込みで制作されたアルバム『HOWL』の評判はイマイチで、それから少しずつテコ入れとしてバンド・メンバーの変化、もとい「リストラ」が始まってしまうのだ。あああ。
 
 そんな軌道に乗りかけているのに大成功はしないまま、とうとうチャート順位にもランク・インしなくなった4th~5thあたりでのことだろうか。
 気がつけば「ん? ドラムが上手くなってる?」と感じた。案の定、クレジットを見ると大山がいなくなっていたのだ! うわー全ZIGGYファンの皆さんゴメンナサイ。って俺もファンなのだけど。大山ってば「ドラムの腕がないので解雇」だったわけで。今回もきっとドラミングが売れずに焦った酋長の意に染まなかったのだろう。その「味」が魅力なのに……。
 ほぼ同時にギターのトーンも変わったというか、アコースティック寄りのものが増えて「石垣、消えたか……?」という感触もあった。やっぱりクレジットから消えていったわけだが、これは「マッドを離れたプータロー」石垣愛みずから離れていったのではないかと推測する。何となく。本気でやりたい感じじゃなかったもの。
 そしてとうとうベスト盤『MAGIC YEARS』あたりから、要石の三芝もフェイド・アウトしていった。おそらく盟友の大槻ケンヂと組んだバンド「特撮」の活動が開始して平行していたことと、遠藤が再結成ソフバに参加したことで自然と離脱の流れになったのだろう。「三芝マンザレク」がいないということは、すなわち「サイケなエンズの終焉」をも意味していた。つまり「ドアーズ意識は終わった」のだ。
 ちなみに、その憧憬を吹き飛ばしたのが「ハートに火をつけて」のカヴァーだったのだろう。外部バンドであるザ・サーフ・コースターズの力を借りたが、本物のカヴァーをすることでようやく「吹っ切れた」わけだ。
 残る中島オバヲはもとよりセッション・マンなので、メンバーから離脱というよりゲスト参加をやめるような感覚だったと思われる。最初からパーマネント感もなかったし、たとえばそのまま在籍していても民族志向をやめた「デジタル化エンズ」の前には不要となっていたはずだ。
 復活ソフバを経由してエンズに戻ると、もはや初期メンバーは中心の遠藤以外、だーれもいなかった。そして外部メンバーを招聘し、あるいは使い変え、後期エンズになっていくわけだ。
 
 そのソフバ復帰もラップまで歌うマッチョになっていたため、往年のファンは肝を抜かれた思いだろう。いや実際ずっと追っていた僕も「おいおいこれソフバかよ」と思いましたよ。
 復活作『SYMBIONT』はまだ『FORM』をなぞったようなアルバムだったので、おお復活おめでとう、ぐらいにはなれた。ていうか曲の雰囲気と流れが「まんま『FORM』」で、復活に際して意図的になぞったようにしか思えないのだが。
 しかし続く『MENOPAUSE』はもう、ジャケは上半身裸だわ、インスト後の冒頭曲からラップが炸裂するわ、全体的に歌い方が巻き舌気味でモッサリしているわで、無茶苦茶カオスな曲と展開もあわせて「これソフバか?」の頂点だった。
 でも、ソフバは好きにやればよかった。ファンも変化と混沌に慣れてるし。だがエンズではそうもいかない。
 エンズとしてのソロ再始動後、遠藤は誰の目で見ても明らかに「パワー・ダウン」していた。ソフバが「閉経(MENOPAUSE)」して戻ってみると、旧知のメンバーは誰もいない。まして右腕状態だった「三芝マンザレク」不在が大きく、復活ソフバ直前のアコースティック路線と薄く残った民族路線、さらにソフバの残滓のように使い始めたデジタルな音が混じった「うだつのあがらないソロ復帰作」となってしまった。
 ちなみに、この時期応募プレゼントだった「リミックス音源3曲入り朗読CD」を持っているのは僕のちょっとした自慢である。のだが、よっぽどのファンじゃないと自慢できないので、宝の持ち腐れである。ぬー。
 その後はディスコグラフィ部分に前述したように、結局デジタル回帰し、しかもデジタルの総決算アルバムを出して沈黙。今後の活動を期待させた配信限定ライヴ盤で「完全停止」してしまった。
……というふうに、書いていてもわかるぐらいあっさり終わってしまった。ソフバ後は。
 やはりエンズは初期の「脱ソフバ民族路線」こそが至上だったのではないだろうか。その後の「凋落」があまりにも満身創痍で、ソフバの栄光リターンと戻ったソロでの現実、そのギャップが大きすぎる。
 
 ただ遠藤について英断だったと思うのは、「そこで活動停止した」ことだ。
 もしもそのまま活動を続けていたら、中途半端なデジタル回帰を重ね「きわめて薄い1人ソフバ」になっただろう。森岡と藤井がいないソフバなんぞ、100倍希釈のカルピスだ。
 うまくやれば「民族テクノ」とかの着想もできたが、回帰していた流れからするとその可能性はない。できていたら面白いのに。
 皮肉なことに、この流れって実はジム・モリソンと似ている。たとえばドアーズの流れと遠藤の流れ「( )表記」を比較すると、ちょっと面白い。
 
ブルース(ソフバ初期)
抒情詩(ソフバ後期)
やりたい放題(エンズ初期)
売れ線狙い(エンズ中期)
ブルース回帰(復活ソフバ)
もはや枯草(復活エンズ)
 
……どちらも「迷ったあげくに原点回帰」しているのだ。そしてそのまま終息。ジムの場合は逝去して、遠藤の場合は隠居して。ここまで合致するとファンとしては意図的なのじゃないかと勘繰ってしまうほどに。
 その後、ジムは残しておいた朗読を、ドアーズの演奏でもって世に出してもらえた。遠藤はといえば、森岡が亡くなってしまったために、それができない。そこが大きな違いであり、遠藤がジムになれなかった部分。
 なぜ最後の最後だけ違うかというと「ドアーズはジムなしではできない」ことが、ジム逝去後の2枚で証明された。一方ソフバは「遠藤なしでもできる」ということが、森岡と藤井が組んだ「-(minus)」で証明されることになってしまった。それどころか森岡が亡くなっても藤井だけは活動を続けている。
 言ってしまいましょう。
 ソフトバレエは、藤井麻輝だったのだよ。そう考えると。
 ソフバは遠藤じゃなかったし、遠藤もジムにはなれなかったのだ。
……書いていて怖くなってきたぞ、これはただのファンの極論です(と言っておかねば)。
 それこそアレだよ。「本秀康」氏が著作『レコスケ』で、主人公のレコスケに「ビートルズはジョージ・ハリスンを育てるためのバンドだった」と発言させたようなものです。さっきの発言は。ええ。
 
 現在、遠藤は何をしているのか?
 森岡は亡くなり、藤井は単独で活動している。原田知世も結婚した(余計なお世話)。
 ふとした折、たとえば全曲ボックスの発売、森岡の逝去、30周年記念に出た雑誌のメール・インタヴュー、そういう場面ではコメントが発表される。きわめて短く淡々と。それ以外の活動は、本当にまったくない。一時期はミッド・ロウの声を活かしてCMのナレーションさえやっていたというのに。
 もはや遠藤が表舞台に出てくる可能性は「0%に近いぐらい低い」と、通して追ってきたファンであれば痛感しているはずだ。
 
 想像してしまうのは「活動を続けていたら、どうなったのか」。
 ソフバは再々結成したのか。いやでも「閉経(MENOPAUSE)」を表明したから、それはなかっただろう。
 ソロで薄い1人ソフバをやったのか。そうなりそうだからやめたわけで。
 やはりいっそ「民族テクノ」になったら面白かったんじゃないか。ベースはBPM高めの打ち込みにして、遠藤のワイルドなヴォーカルを軸に据える。リズム・キープするぐらいのドラムがいて、乱れ打ちするパーカッショニストが味を出す。メインの旋律はやはり高速オルガンで、バックにディストーション・ギターが加われば「民族テクノ」の仕上がりだ!
……ん?
 そうか。
 やはり初期エンズこそが、「最強のエンズ」だったのだな。
 
 すべてに等しく吹きつける風のように、エンズは、音もなく姿を消した。
 どうもありがとう、遼一。ファンはそれでも待ってるよ。


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