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さよならISSAY

 ISSAYが亡くなった。
……え? ええっ?
 ISSAYって、DER ZIBETのISSAYですよね? 藤崎ですよね?
 とネット・ニュースを読みながら、理解できなかった。あの「デカダンスの帝王」が、世を去ってしまったということが。
 2023年8月5日、ISSAY逝去。
 その意味がわからなかった。
 
 典型的な言葉だが……「死なないと思っていた」。
 これは多くは後期高齢者層に値する「伝説の」人々によく言われる言葉であるが、そう、ISSAYは余りにも、若かった。だって61歳だよ。想像できないけど赤いチャンチャンコ着た翌年だよ。
 間違いなく打ちのめされている4者が、すぐに想像できた。まずはバンド、次にファン、そしてBUCK-TICKの櫻井敦司に、市川哲史だ。
 いまウォークマンで「FLOWERS」を聴いてますけどね。インステックのライヴ音源ね。信じられないんだよ。
 この声の主が、もう、現世にいないことが。
 
「V系の始祖」として君臨していた (=実際には周囲が勝手に崇めていた) デルジだが、やはり中心は「Mr.デカダンス」のISSAY。
 己の男性性と一般的な男性像の乖離を暗に忍ばせながら「FATHER COMPLEX」という曲にまで昇華してしまうセンシティヴな精神の持ち主は、実際には尾崎が猛り狂った15の夜と違って12歳で無言のビッグ・クランチを食らい、17歳でビッグバンを迎えるような「世間と自分の距離または乖離」を確実にとらえたうえで不条理の中に生き続けた。はっきり言えば気を遣いすぎである。成人してバンドを組んで活動が軌道に乗ってからも。
 ゆえにその詩世界が独特かつ自分語りを多く含み、後のV系に「あ、ここまで言っていいんだ」と知らしめた。
 しかるべく、歌詞世界は「自分と他者」である。通常、自分の思いだけを世界に流しても求めているようなフィードバックはない。しかしその発信領域に「こういうことも言ってもいいんだね」と知らしめ、反応ある発信を築いたパイオニアでもある。でも自分だけの世界では理解してもらえないわけで、つまりは「世間と自分の距離」をよくわかっていたのだな。
 その詩世界の至上はきっと『キリギリス』だと思うのだけど、それでもってデルジは活動を停止した。常に極北まで到達すると次の着地点が見つからなくなって孤立するわけだよ。
 
 でも、デルジは、あたたかかった。
 2000年代に入っての再結成で、デビュー前からのキーボード奏者をようやく正規メンバーに迎え、これからの目標を手探りしながら活動を再開した。メンバーも「ISSAYがいないとどうにもならない」と実感しただろう。
 バンドは不仲がつきものだが、きっとこのバンドにそれはない。だってデルジだもの。
 そうして「一線を引いた場所から眺めた世間へのノスタルジア」をつらつらと表現して安穏としていた再結成後の、青天の霹靂である。
 ISSAYが亡くなった、
 それは「V系が死んだ」と同義である。だって大きな定義がなくなって消失したわけだから。
 
 ありがとう、ISSAY。
 あなたのおかげで、自我を取り戻せた(または形成できた)リスナーは多いよ。デルジのファンだけでなく、BUCK-TICKファンもね。
 ISSAYに憧れて共演をくりかえした櫻井あっちゃんは打ちのめされてるだろうし、デルジをプログレと同列にしたがっていた市川てっしーも沈んでいるに違いない。
 みんなそう。みんな、ISSAYが大好きだった。
 つらつらとデルジの思い出を書こうと思って書き始めたものの、なんじゃ、そんなの要らんちゃ。これで充分。
 だってISSAYの世界はISSAYのものだもの。
 本当はもっと語りたい。でも今は、その気になれない。ただISSAYを想いたい。
 夢を見せてくれて、ありがとう。今度はあなたが、夢を見ておくれ。
 長い長い、今度こそ誰にも邪魔されない、素敵な夢を。
 
 あちらで相変わらず膝を抱えてる森岡賢の肩を叩いてあげておくれ。またやろうと。陰と陽。見ためは逆だけど。
 みんな言ってるけど、やっぱりさ。
 また「Sad Cafeで逢おう」。ね。

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