「ZIGGY=森重樹一」なのだろうか?
たまに言及していますが、僕はZIGGYが好きです。もとい、大好きでした。
というのも、ずっとファンを続けている方にわかりやすく言えば「森重樹一がひとりでZIGGYを名乗る前まで」追っていたのです。
だから最初に言っちゃうよ。「たしかにZIGGY=森重樹一なのは認めざるを得ない」と。
でも森重単体でのプロジェクトのようなバンドになったZIGGYは、もう追わない。今後も、大きく気が変わらないと買わないだろう。
認めるのと好きであり続けるのは、まったくの別問題なのだから。それこそ恋愛と同じく(キャッ)。
「もうさ、俺だけじゃん? ずっとZIGGYにいるのは。だからいいでしょ、俺がZIGGYを名乗っても」(森重談)
……うん、わかるよ。たしかにわかる。
たしかにデビューから多くの曲は森重が書いてきたし、ずっとバンドの「ヴォーカル=看板」だし、ZIGGYのイメージそのものだし、Voice of ZIGGYだし。でも君、ソロもやっとるやん? ソロとZIGGY、どう区別するのかね?
という単純な思いがあり、どうしても払拭できない。ソロは自分本位、ZIGGYはバンドを想定して、という手法だとは思うけど、それってスッキリしないのだよ。それこそ名義が「KING OF GYPSYZ」とかならうなずける。でもスッキリしないに違いはないけど。
というのもやはり、おいちゃん(戸城憲夫)がいなくなってから、この違和感は常に払拭できなかった。松尾宗仁が去って大山正篤が解雇され、森重と戸城のふたりユニットになった時は、まだ大丈夫だった。実は僕、そこからがリアル・タイムなんですけども。
その後、宮脇''JOE''知史が加入して3人になっても、松尾が戻って4人になっても、まだイメージは「ZIGGYのまま」だった。問題はやはり、そこでおいちゃんが離脱し、津谷正人が加入してZIGGYが名乗れなくなった「SNAKE HIP SHAKES」。それが巡り巡って、とうとう「ZIGGY」を名乗った時から、この違和感は続いていたのだ。
しっかし実は、僕はその「ZIGGY復活襲名ライヴ」も見ている。嬉しかったものの、なぜだか湧き起こる違和感にとらわれ、疾走感あふれる「EASTSIDE WESTSIDE」がどうにも「別物」にきこえてしまった。それこそ「SNAKE HIP SHAKESによる演奏」として。
さらにその後、森重はおいちゃんとも復縁してThe DUST 'N' BONEZ(ダスボン)を結成したり、松尾とTHE PRODIGAL SONS(プロサン)を組んだりした。それも「はっきりとした別物」だった。買って聴いても「ZIGGYじゃないなぁ」と思っていた。当然なんだけど。
もっとその後に、おいちゃんが期間限定復活してのZIGGYがライヴをしていると聞くと、不思議と「あ、それはZIGGYっぽいなぁ」と思ったのは事実。
つまるところ、自分にとってのイメージは「ZIGGY=森重+戸城+他のメンバー」のままだったのだよ。世間的なイメージはどうなのかわからないけど。
これにはきっと、前述のように僕のリアル・タイムでのZIGGYスタートが「4人から2人へ」の移行期間だったことに関与するのじゃないかと思う。変化を目の前で見て感じて「これから自分が好きになったZIGGYは、これなんだ」と、脳裏に「森重+おいちゃん」の構図が深く刻み込まれてしまった。
だからその後、いきなり不思議な国の週末から始まる『ZOO & RUBY』も、鳴かず飛ばずの『BLOND 007』も、とりあえず少し売れた『WHAT NEWS!?』も、コンセプト狙いで失敗したと言われる『CRAWL』も、常に「最新型ZIGGY」だった。そうして松尾が復帰して4人組になった『Goliath Birdeater』が発売されたときは、いよいよZIGGY完全復活! と喜んだものだ。
しかし、その後おいちゃん脱退。そこからモヤモヤを抱き始めてしまったわけである。
でも、この時期にファンを始められて、よかったと思うことがある。それは「変化をまざまざと見せつけられ、受け入れることができた」ということだ。
そのおかげで、重要なターニング・ポイントに気づけている。それは「ZIGGYと森重樹一がイコールになった瞬間」。それこそ、今の「ひとりZIGGY」の原点に。
現在に続く「ZIGGY=森重」になった最大の転機は――初期4人時代の最終作『YELLOW POP』にて、ストリングスだけをバックに森重ひとりで歌った最終曲「EMPTY HEART」じゃないだろうか。あの西城秀樹バリに歌い倒したバラード曲。
それこそ、アルバムで見れば「おいちゃんのソロ (のらねこのKUROくん) 」→「ZIGGYらしいバンド演奏 (LET'S DO IT WITH THE MUSIC) 」→「そしてシメ (EMPTY HEART) 」というキレイな流れには、なっていた。しかし単曲で聴くと「どう考えても森重ソロ」。それがZIGGY名義のアルバムに収録され、直後にメンバー離脱、という流れから、この曲こそ「ひとりZIGGYの原点」だと感じる。
そして悔しいことに、そこに違和感はなかった。つまりファンである自分自身が「ZIGGY=森重樹一」であることを認めていたのだ。
だからこそ、冒頭に戻る。
「認めるのと好きになるのは、別問題なんだよ」と。
僕がZIGGYを好きだったのは、たぶん独特の「フェイク感」の魅力だと思う。
初期は洋楽のフレーズを曲に取り込んだり、中期は思わせぶりな歌詞で早稲田卒(←森重)の姿勢をアピールしたり、本気なんだけど本気じゃないような、ややハスに構えたような姿勢を感じていた。それこそロックらしくて、少年として憧れていたんだと思う。
各種オマージュや、フレーズやメロディの拝借(パクりではない! 笑)が多いので、ZIGGYを通して洋楽を聴いていたことになる。
エアロスミス(それゆけ! R&R BAND)とか、ハノイ・ロックス(HOW)とか、モット・ザ・フープル(LONG AND WINDING ROAD)とか。2人になってから減っていったけど、細かく聴いていたらとにかく多い。でも2人ユニット時期、プログレ・バンドの四人囃子から歌メロを拝借したものまであって驚いた(星のない街の子供達)。
トドメはZIGGYファンにも有名な、サザンオールスターズの「ミス・ブランニュー・デイ」でしょう。これを聴いた時はあまりに「GLORIA」すぎてビックリした。さすがにこれはパク(以下略)……それがバンドのナンバーワン・ヒットになって、世間的なイメージがそこで完全ストップしてしまうのも、時代の因果である。
でもZIGGYは決して「一発屋」ではなく、少なくとも「二発屋」だ。3人時代に『名探偵コナン』のエンディング・テーマになった「STEP BY STEP」をヒットさせ、森重は近所の子供に「コナンのおじさん」と呼ばれるほどになった。
その後かなぁ。
やはりSNAKE HIP SHAKESを経てから、ZIGGY名義で復活してからは「本気のおっさんロック」になっていた。
だから『HEAVEN AND HELL』はおっさんなのに青臭く感じたし、『HEAVEN AND HELL II』はおっさんが酒飲みながら演奏しているようだった(←当時、森重はアルコール依存症だったので本当なんだけど)。何たってタイトル曲で「花火あげようぜ」ですからね。花火て。地元に住み続けて祭を見にいくマイルドヤンキーかと。続く『ROCK AND ROLL FREEDOM!』は別バンドが何とかがんばっているようにきこえた。『JUST A ROCKIN' NITE』は興味が薄れてきて買うのも遅れ、聴いてみたら疲れたおっさんのようだった。そしてとうとう、バンドでの最終作になった『NOW AND FOREVER』は、もはや力尽きた枯れ草のように感じる他なかった。その作風は、きっと森重がSIONに影響されたのも大きい。SIONも大好きなんですけどねぇ僕は。
そんなふうに僕にとっては、ZIGGYは「気づけば戸城ありき」になっていた。うーむ、ぼんやり感じていたことを書き起こすと、まざまざと自覚するなぁ。
別に、本気のおっさんロックが悪いわけじゃない。
ただそこから、個人的に「好きじゃない」に少しずつシフトしていったのは揺るぎない事実だ。
それこそZIGGYを当時のイメージで知っている人は「ケバい4人組」だろう。その後を知っている人でも、小ヒットした曲もあるのでせいぜいがジョー加入後の「STEP BY STEP」大ヒットまで。世間的なイメージがそんなもんだということは、よくわかっている。
僕が好きだったのも、そこまでだった。SNAKE HIP SHAKESに改名し、シングル『永遠のJustice ~この道の果てに~』のジャケに映るケバい森重と他3人を見た瞬間に、僕にとってのZIGGYが終わった。そしてセルフ・カヴァー・アルバム『NO DOUBT -ZIGGY SONGS played by SNAKE HIP SHAKES-』でのヒドいカヴァーを聴いて、完全に過去のものになった。「これZIGGYじゃないよね」と。
だからZIGGY名義が復活しても喜べず、違和感ばかりが残った。
僕にとってのZIGGYは「森重+戸城」だったし、もっと言えば「初期4人」だった。そう痛感した。
『それゆけ! R&R BAND』は無敵の4曲だよ。レコード盤を中古屋で見つけたときの喜びは忘れないよ。
『ZIGGY ~IN WITH THE TIMES~ (ZIGGYにまかせた!) 』の嘘臭さがたまらないよ。「CRISIS」とか「上海GIRL」のフェイクっぽさ、大好きだよ。
『HOT LIPS』も短い曲が多いヘンなアルバムだけど「LAST DANCEはお前に」とか「POOR BOY」とか大好きだよ。
『NICE & EASY』はどうしても好きになれないよ(笑)。でもアルバム・ヴァージョンの「SING MY SONG」は最強だよ。
『それゆけ! R&R BAND -REVISITED-』はありがたいよ。ちょっとキレイにまとまってるけど。
『KOOL KIZZ』はZIGGY最高傑作だよ。今さら言うことないし、「928」が頭から離れないよ。
『SOUND TRAX』だって実はすごくイイよ。捨て曲なしの4曲で大好きだよ。
『YELLOW POP』は僕の原点だよ。ロックだけどポップで、もう「LET'S DO IT WITH THE MUSIC」が好きすぎてフェイド・アウトしないヴァージョンまで自作したよ。
『ZOO & RUBY』は最初とっつきにくかったけど、何度も聴くとすごくイイ作品だったよ。ヘンな曲も多くてクセになる。
『BLOND 007』は予約して買ったよ。「STROLLIN'」のワクワク感がたまらないよ。他は地味な曲ばっかだけど。
『WHAT NEWS!?』は中期の傑作だよ。どの曲もいいし、アルコール依存から脱した森重はこう言われちゃイヤかもしれないけど、酒に合うよ。
『CRAWL』は評判よくないけど、実は好きなんだよ。無駄にメドレーになっていたりして。ときどき頭の中で「かざみどり」が止まらないことがあるよ。
『Goliath Birdeater』は最強だよ。メンバーも最強だし楽曲も重いし早いし刺激的だしちゃんとポップな曲もあるし、その後どうなるだろうと期待したよ。
でも、「その後」はなかったんだよ。
「おいちゃんを含むZIGGYのその後」は。
そこで僕のZIGGYは、終わっちゃったんだよ。
同時に追っていた森重ソロも、めっきり買わなくなってしまった。あり得ないけど森重がZNXを歌ったら買うかな(笑)。
最後に。
ファンの皆さん、正直に答えてください。
「ZIGGYで、いちばん好きな時期はいつですか?」
……答えは大多数が、初期4人時期だと思うのだ。作品の出来どうこうではなく、純粋に「好き」なのは。
どうかな? そうだと思うんだけど(ドキドキ)。
「良い」「悪い」とか「売れた」「売れない」とか、判断基準っていくらでもあると思う。でも「自分にとって」一番の判断基準って、結局「好きかどうか」でしょう?
だから僕はZIGGYが「好きだった」のです。とりあえず『NOW AND FOREVER』まで追うぐらいには。
そして森重ひとりでZIGGYを名乗ることに反対しないし反対なんかできないけど、個人的に「好きじゃない」ので聴かない。というか聴けないのです。
どうしても「ZIGGY」と聞くと「あの4人」が浮かんでしまうから。
これってきっと「青春時代の思い出を壊されたくない」ということなんでしょうねぇ……。
では、最後に代表曲「GLORIA」でお別れしましょう。
……おぅおぅミース・ブラーンニュ〜デーイ♪
「曲が違うぞ!」
「そうこなくっちゃ!」(←アニメ映画の大山)
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