恋と愛の違いについて

お久しぶりです。今回の質問は恋と愛の違いについて教えて下さいでした。その違い説明できますか?自分なりの答えと私の答えが違っていても当然です。人によって違いますから。

よくあるのは恋は利己的、愛は利他的、結婚は契約。というものです。私はちょっと違います。

私は恋は見返りありき、愛は見返りを求めないもの。だと思います。ですがこの定義だとほぼ全員が恋止まりになります。

愛は利他でありながら利己的であるというのが私の見解です。

今日は恋人のお祝いの日。サプライズにと思っていろいろ悩んでこのプレゼントにしたけど喜んでくれるかな?→これは相手に喜んで欲しいと言う利己的な願いです。この時点では相手が喜ぶかは未確定で、ただ相手に喜んで欲しいという願いがあるだけです。

実際に渡したあと、「あ、これ持ってるやつだ」とか「ごめんね、これは趣味じゃないや」と言われたとします。この時、愛は利己的で利他的なので、そっか、残念と思うだけです。恋は利己的なので、「せっかく時間かけて選んだのに!一体いくらすると思っているの?」となります。ありがとうの[かつあげ]です。

この違いは「見返り」です。恋も結婚も、そうしてほとんどの人の愛は見返りありきです。こんなに愛してるのだから、せめてこのくらいは愛してね!そこに結婚が入れば生活にかかる費用の一部は、、、という感じですね。

私が思う究極の愛は見返りのない愛です。例えば生まれたばかりの赤ん坊に、「あんた今200ccおっぱいを飲んだから将来500円払いなさいね!100cc250円!帳簿に付けとくからね!」という人は居ないでしょう。対象は人に限らず植物に水をあげるときに、綺麗な花を咲かせないのなら水をやることは出来ないと言わないでしょう。そこにはただ、大きく健やかに育って欲しい、綺麗な花が咲いて欲しいという利己的な願いがあるだけです。強いて言えば、健やかに育つ、綺麗な花を咲かせるという見返りを求めるとも言えますが、そうならなくても責めることはしないでしょう。

そうして、子供が危険な事をしようとした時、例えば道路に飛び出そうとしている場合、例え体罰と避難されようと子供に恨まれようと殴ってでも停めるでしょう。それが愛ですが、恋の場合は相手の成長よりも自分ですから例えば仕事にも行かずに金の無心に来る恋人に働かないのなら金も渡さないし別れると言い出す事は自分の限界が来るまでないでしょう。

私が思う究極の愛は「あなたが幸せなら私は恨まれても憎まれても他の人を選んでも、笑顔で過ごせるのなら私は嬉しい(ただし私も幸せに暮らします)」と言うような物語の親のような愛だと思います。こういった関係同士の結婚にはただ純粋に助け合いがあるだけですから契約と言うような縛りよりも、緊急時に身内でなければ困ることがあるから(手術など)という法律的なものでしかないでしょう。ですからどちらか一方が別れたいと言えば理由を聞くかもしれませんが円滑に離婚が成立するでしょう。

見返りがあるかないか、そこが愛と恋の違いだと思います。これだけ愛した「のに」○○なんて!と言ったように「のに」が付くのは愛ではなく見返りを求めた下心です。だから愛は心が真ん中に、恋は下心。というのでしょう。

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