悪魔の話


日本の悪魔=鬼 東洋の鬼=悪魔
といった感じのイメージの人が多いのかなあと思うのですが皆様はどうでしょうか?
今回は私の思う鬼と悪魔の話です

まずは鬼について。
鬼は私は人の心の悪性の象徴だと思っています
歴史家の方は難破して漂着した外国人の肉食や体の大きさに鬼というイメージを・・・
といったような意見もありますが、今回はスピリチュアル的な観点と私の見方なのであしからず

人の心の闇というのはとても深く、暗いものであります。
それは私自身がいつもおびえていたことでもあります。
自分の心の闇の深さを知っているからこそ、そこに怯え、光を求めたような気もします。
深淵を覗く時、深淵もまたお前を覗いている
なんてセリフもありましたねえ

鬼というものにも、性質はあります。
嫉妬・怒り等そのあたりは7つの大罪の悪魔と似たようなものだと思いますが、
鬼と悪魔の違いで一番大きいのは私は
鬼の性質の奥底には満たされなかった悲しみが隠れているように思います
その一番分かりやすいものが般若の面だとおもいます
見る角度で悲しみの顔・怒りの顔になる般若の面こそ、鬼の性質をよく表しているのではないかと思っています

愧じ(はじ)という漢字を知っていますか?
魂に恥ずかしいことをするときは恥ではなくて、
愧じと書きます
そういえば、魂という漢字も鬼が入っていますねえ
日本語は奥深いのです

さて、では悪魔はどうでしょう?
私の思う悪魔は人類の恐れの象徴です
なので純粋なる悪で、神の敵で・・・
といったような人類のイメージの集大成が悪魔だと思っています
なので、悪魔は慈悲もありませんし、自分の喜びの為に人類をおとしめるといったようなものでありました。

そう、過去系です
イメージの変化はアニメや漫画を見たらよくわかると思います
生粋の悪であるはずの存在は今に近づくにつれてイケメンになり(笑)悪であるという事に悩んだり、恋をしたり、悪になってしまう過程があったり悲しみを抱えていたり・・・アニメや漫画によって違いはありますが、完全なる悪の存在ではなくなっています

それに伴って、悪魔は変わってきていると思います
悪魔は天使と手を取ったり、悪魔そのものが消滅したというようなイメージを見た
(文字通り見たといっています)と言っているようなスピリチュアル系の人が増えたのもそのせいだと私は思っています

私は昔から悪魔に対して悪いイメージというのがそんなにありませんでした。
キリストの磔刑も悪魔すらも救おうとしたから神が怒って罰を与えたなんていう説もあるくらいです。私はこの説が本当かどうかは置いておいて、とても好きです
悪だから救う価値もないというよりも、悪にすら愛をといった考え方が好きだからです

私の思う悪魔と鬼のイメージ
悪魔は人類のイメージなので、人類の悪魔に対するイメージが変われば、その存在の定義も変わってくるものだと思っています。
たいして鬼は人の心の悪性なので、誰でも鬼になる可能性もあるのだと思います

そして、神に対するイメージも変わってきていると思っています
時に厳しい罰を与える畏敬の念をいだくほどの絶対的な存在であり、恐れるべき存在
そんなものが今までの神のイメージでした。
でもこれからは神が友達のような親友のような、親のような存在になるのだと思います
そうなった時に、人は誰しもが神の様に素晴らしい愛の存在になるんじゃないかなあと思っています

さて、私のイメージの鬼と悪魔の話をかきましたが、スピリチュアル的な悪魔はどうでしょうか?
悪魔と言って一番に浮かぶのはルシファーさんがトップではないかと思います
もともと、ルシフェルという天使で堕天して悪魔になった説
大魔王の名前説、7つの大罪を率いる悪魔であり、大魔王とは別説
その他いろいろありますが、力の強い悪魔であるというのは共通なのではないでしょうか?

さて、ルシファーさんは置いといて(笑)
今回はそのほかの悪魔についてです。
ベルゼブブも有名な悪魔ではないでしょうか?ハエの王とも呼ばれています
バアルなどとも呼ばれています
このバアル。元々はペリシテ人の雨と嵐の神様の名前
バアル・ゼブル(崇高なるバアル)をバアル・ゼブブ(ハエのバアル)と呼んで嘲笑したという記載が聖書にあるそうです。
そう、もともとは神様だったのに、キリスト教が広まるにつれ悪魔として、邪教として広まってしまい、神の座を追われ悪魔として生きることになってしまったのです。

こういう悪魔で元神様というのは結構います
特に、キリスト教の布教に当たり、その土地、その神話の神様たちを悪魔として、時には天使として吸収し拡大してきました。
見た目が悪魔っぽい(例えばギリシャ神話の様に獣と人が合体したような見た目等)とか、名前が似てる音で違うイメージを与えられたり、(ハエの王等)そうやって悪魔の種類は増えて行ったのです。キリスト教以外にも似たような事をして布教拡大していった宗教は沢山あります。でも、こうして名前が挙がってしまうくらいには・・・ということです

そうしてその中ではもう誰も信じていない宗教というものもあります。
元神でありながら、今は悪魔としてのみ名を残し、神としての自分を信仰する人はもう誰もいない・・・悪魔としても信仰してくれる人は少ない・・・
そんな悪魔となってしまった存在に哀愁のようなものを感じるのは私だけでしょうか?

さて、こんな考え方をしているせいでしょうか?
私は悪魔にも愛をといったような考え方を昔からしていました。
そしてそれは大変たくさんの人に否定されました。
それこそ悪魔に魅入られている・・みたいなね。
スピリチュアルの世界に生きているほどその傾向が強かったように思います
(宗教的な人には話してません。分かり合えないのはわかっていますからw)
それでも私は間違えてないとどこかで思っていました。
今もそう思っています

これを悪魔に魅入られたとするのか、
悪魔すらも愛で包もうとして失敗するのか、
悪魔に愛を伝えることができるのか、、、、
そもそも、もう悪魔は愛に目覚めているのか・・・

どんな結果になるのかわかりませんが、私は神が悪魔の存在を消していないという事がその答えだと思っています。
全知全能と言われている神がその存在を許し、今ここに存在しているという事は・・・・・
もちろん、これは私の考え方であって、だからどうという事もないのですが。

もともと悪魔なんていないと私は思っているのです。
そのイメージに踊らされて悪魔という概念が存在した時に悪魔は生まれたのだと思います
悪魔だって、お前は悪だといわれ、勝手に恐れられ、忌み嫌われ、そうやって扱われ続けたら誰だってぐれちゃうと思いませんか?(笑)

もっといったら、周りがどうとか、神とか悪魔とかどうとか、前世が~とかもどうでもよく、
今のあなたがどうなのか、今のあなたがどう生きるか、それだけなんだと思います
私は、私なりの道を勝手に進んでいくだけです(笑)

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