スピリチュアルにハマる人の心理

スピリチュアルに対してどんなイメージを持っていますか?
かっこいいとかそんなものはないとか、いろんなイメージがあるなかで、嫌いという人も一定数いるのは誰しも理解していると思います。

なぜ嫌だと感じるのかと言えば、空気を読まない人が多いからです。
と乱暴に言ってしまいますが、具体的に言えば、
『はじめまして、私は実は聖母マリアの生まれ変わりなのです』
といってドン引きさせる人とか、スピリチュアルの世界には結構います。

ちなみに、人気の生まれ変わりランキングとしましては
聖母マリア、空海、イエス・キリスト、織田信長、武田信玄、坂本龍馬、マザーテレサ、安倍晴明あたりが日本では人気があるようで、この辺りの生まれ変わりを名乗る人は大きな占いイベントなどに参加すると1会場に2~3人くらいずつはいたりします

なぜかといったらこういった人たちは、自分の人生に不満を抱えている人が多いからです。というのも、はじめましての人たちに急に生まれ変わりとか霊が見えるとかそういったことがあまり適切ではないとわかっていないからです。例えそれが本当だとしても、というよりむしろ本当ならことさらそれがどんな結果をもたらすか理解しているのですが、こういった人たちはそうではありません。

初対面の人にいきなりそんなですから、他のところでも当然そういった普通の人はしないことを言ったりやったりしがちです。ナチュラルに失礼だったり、(悪気はないけど失礼という意味)空気が読めなかったり、そうしたことの積み重ねの結果、白い目で見られたり、時にばかにされたり、いじめに合うこともあるでしょう。すくなくともそれを面白がってくれる奇特な人以外は遠巻きに距離を置くはずです

するとさらに現実逃避に拍車がかかり、きっと私はイエス様が迫害されたように私も一般人には理解できない崇高な魂だからだ、といったように思い込むのです。

魂に崇高とか卑しいとかランクとかレベルとかそんな上下はないのですが、現実で見下されていると感じているからこそ、そういった見えないところで自分を持ち上げてなんとか均衡を保っているのでしょう。
本当の意味でのスピリチュアルを知っている人なら、魂のレベルとか、ランクとかそういったことがないことは理解しているのでそんなこと言ってる時点ですぐに、あー、そっち系ねとなるはずです。

ではなぜか彼らはそのように考えるのか、といえば、それはこうだったら良いのにという憧れが、同化や同一視という心理学的な作用が働き、きっと自分は生まれ変わりと信じこむことになるのです。こういった人に違うよ?と理解させることは大変難しいです。
違うと言えば嫉妬しているとか、羨ましいのだろうとかとにかく認めようとはしません。
それもそのはずです。だって認めてしまったら、みんなに受け入れてもらえない自分がそこにいるだけで、それが嫌で作り上げた自分なのですから。

この心理的作用の同化や、同一視というのは誰しも一度は経験があるはずです。戦隊ヒーローに憧れたり、魔法少女に憧れて変身グッズを買ってもらった経験はありませんか?
そうして鏡のまえで変身ポーズをとったり、自分がさもヒーローや魔法少女たちの一員のように考え振る舞ったことはないですか?
基本的にはそれと一緒です。

そうしてこういった人たちは、自分は他の人たちと違う自分に酔いしれます。優れているからこそ迫害されるのだと周囲を見下したり、自分を特別視することで受け入れられない現実をなんとか受け入れているのです。

そのため、知識も大変片寄ります。自分が一番最適で素晴らしいことをしていると考えています。例えば竜使いの人たちは竜こそがこの世の至高で自分はそれを使役しているつまりさらにすごい存在なのだと得意気になったり、狐使いの人たちが自分は九尾使役していて他の人とは違うのだと言う人が多いように、天使だったり、竜だったり、狐や狸や式だったり、宇宙人やら守護なんとかという横文字や、本当にたくさんの種類があって、日々新たなものが生まれていますが、とにかく自分の流派が一番で他はたいしたこと無いと信じていたり、自分の流派こそ至高で他はその枝葉でしかないと本気で考えていたり、そもそも知らないのに否定していたりする場合もあります。
それもまた他とは違う優れた自分の演出のひとつにすぎません。つまり、現実の自分に対する周囲の評価と自分自身で思う自己の価値観のずれが大きいほど、自分はとても優れているから周囲には理解できないのだ、と納得するために、より大きな見えない力を使える設定が必要になるのです。

一番多いのは医師法に違反しているにも関わらず、病気を完全に治すことができると自称するヒーラーや、自分に敵対する(嫌なことをしてきた人やお店)行動をとると守護している宇宙人やら守護霊やら竜や天使や式が攻撃するから必ず不幸になると言っていたりする場合です。本物の光の存在ならば、多少の嫌味や悪口などで特定の人間を少し怒らせたからといってその相手を不幸になるように呪うはずが無いと言うことにも気がつかずに、自分は聖なる存在の生まれ代わりだからそうなって当然だと考えています。
もし仮に私がそんな状態になっていたら自分には悪魔かなにか悪いものがついたのではないかと疑いますが、スピリチュアルに傾倒した人たちはそういったことは考えもしません。なぜなら、自分は選ばれし者だから、とく別扱いされてしかるべきだと考えているからです。

そうして彼ら、彼女らは言います。聖書でもハゲといわれて子供を殺したり、荒ぶる神もこの世界にいると。そうして自分を守護しているのはそういった存在なのだ。と。

ですが、本当にそうだとしたらなぜそんな危険人物が日常の生活を普通に送っているのでしょう?聖書にでている聖者も、当然ですが荒ぶる神もその力にふさわしいだけの神の御技を披露し、多くの人を救っていますが、彼らはそれを自称するだけで実際にその奇跡を目にすることは少ないはずです。
村や町を救ったりすることはなくても、私は数十にんの人たちを救ってきたと言うこともあるでしょう。例えば、イエスや仏陀や空海がたった数十人に説法をしたとしてそれで聖者として有名になったと思いますか?もし彼らが生まれ変わったとしたらたった数人を救うだけで満足すると思いますか?

そうしてそのことを指摘すれば、人はパンのみにいきるにあらずといったイエスのように、奇跡を見せつけることが全てではないと言って逃げます。
それはそうです、そんな力はないのですし、そう思い込んでいるだけなのですから。実証などできるはずがないのです。

それなのに、彼ら、彼女らは、自分は崇高な存在で選ばれし者だからあなたたちのような凡人には理解ができないし、差別や拒絶をしても仕方がないから崇高な私はその罪を許してあげましょう、と自分の日頃の失礼な態度や発言を一切省みることはしないのです。
そうして口では愛だとか平和だとか言いますが、一歩裏では色々なことに対して不安と不満を抱え、いつも悪口を言っていたり、不満を口にしているのです。そんな人が聖者の生まれ代わりだなんてと普通の人はすぐに理解しますが、彼ら彼女らはそれが理解できません。
そもそも自分を客観視することができたらこんな状況には陥っていませんからそれも仕方がないことかもしれませんが。

こういった状態になった人たちに対してできることはただ見守ることしかありません。何を言っても逆効果だからです。
それどころか余計に反発して自分の妄想に執着したり、よりつじつまを合わせるためにもっともらしい妄想を固めていってしまいます。
もしその人があなたの大事な人でない場合はそっと距離をおくことになるでしょうが、大事な人の場合は自分でそうではないと気がつくまでその話題には触れない他ありません。

私はこれをスピリチュアルの罠と呼んでいます。本来のスピリチュアルは前世がどうだろうと、来世がどうだろうと、アバターがなんだろうと、今のあなたがどうなの?というところなので、向き合うとどっちかといったら苦行みたいなことになりがちです。

それもそのはず、要はカルマを解消するために生まれてきているのですから、いろんなカルマを解消するための事件が起きます。そうしてそれを乗り越えるまで続き、乗り越えたって喜んでいても、また次が始まります。
そのため本当のスピリチュアルと向き合うのが辛くなったといってはなれてしまう人も一定数いますが、生きている限り離れることなんてできないのになあと思います。

いずれにしても本当のスピリチュアルなんてものは言うほど良いものじゃないと感じます。例えば憎いくらい嫌いな人に対して、ずっと向き合って何度も泣いたりしながらやっと、その人を受け入れたり上手に付き合うことができるようになったら、もう二度と同じ系統の人に対して怒りや憎しみを抱くことがなくなるというメリットがありますが、長い間向き合うと言う苦しい時間もセットです。

ただそうやって受け入れられない人や事柄を無くしていくことが魂の目的のひとつでもありますから、これができなければまた来世で同じ問題にぶつかりますから、今やっとくのもありだと思います。

どっちにしても、あの人の生まれ変わりだからすごいとか、あれを使役しているから偉いとかそんなことはありません。そういったことにすがらないと生きていけない人なのだということです。

だからこそ、そういう人を見たときに、じゃあ私はどうなの?と自分を省みることです。スピリチュアルのかわりに恋愛にすがっていたり、お金やブランド物だったり、地位や権力だったり、だれしもなにかにすがっているものです。

だからこそ、そういったものを取り去った本当の自分で勝負して生きていくことは以外と難しく感じるのかもしれません。ですが、そのただ自分でいきるということが本来の自分でいきると言う本当のスピリチュアルの世界なのです。

天使や竜や宇宙人や守護霊だとかそういった目に見えない存在がどうとか、前世も来世もアバターもツインソウルもなんとかソウルも、なんとかチャイルドもなんとかチルドレンも、そういったことはなにもかも関係なく、ただ、今のあなた自身はどうなの?というところなのです。

そうして、自分の責任を自分でとることができない人たちが、自分の責任を自分で負うことを恐怖する人たちが、それは前世のせいだとかなんとかソウルが、とかそうやって目に見えないもののせいにしてなんとか今の自分が責任を取らなくて言いように逃げる口実にしているのです。そんなことをしても実際に逃げきれるわけではないですし、その結果白い目で見られるとか、周囲とうまく行かないとかそういった代償を支払う必要があるのですが、そんなことはきっと気がついていないのだと思います。

あなたが戦隊ヒーローや魔法少女になりきっていたとき、そんなものにはなれないと言う意地悪な大人や、周囲の人間に対してそんなこと無いと強く拒否反応を示した経験はありませんか?それと同じです。
そんなのはあなたの思い込みだ、そう考えた方が楽だからあなたは逃げているんだよ、といったところで、そんなことはない、私に嫉妬しているんだ、とか私が羨ましいのね、と強い拒否を示すだけです。

大事なことはそういった人たちが、そうしないと生きにくいと感じているということを知っていることです。そうしてそれは心の防御反応でもあるのです。防御している人に防御するなといっても無駄なように、スピリチュアルに必要以上に傾倒している人に対してそれをやめろと言っても伝わるはずっがありません。
だからこそ、大切な人がそういった状況にいるときはそっとその話題から距離を置いて、もしくははっきりと、私のまえでその話をしないでと伝え、いつか現実と向き合って、あなたに相談してきたときにそうではないとどうやって伝え、まえを向く手伝いができるのかと準備しておくことが大事です。

人はあまのじゃくな一面を持っています。このボタンを押さないでくださいと書いてボタンを置いておくと、言わないで置くよりもより多くの人がボタンに興味を示し、押したくなります。これをカリギュラ効果といいます。
これと全く同じことで、スピリチュアルに傾倒するなといわれるほど、意地になって執着してしまいます。

スピリチュアルに傾倒する人にはどのような傾向があって、そうしてどう対処したらいいのかがこれで少し理解できたと思います。
そうして、この知識をどう活用していくのかはあなた次第です。


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