きっかけは自分からしか作れない

【注意!敬称略、一部伏字】


今までの経験から
マンガを描く能力やデッサン力などは
出来る人なら中学3年位の年齢
14か15才でもう充分です

中学生の漫研より高校や大学生の漫研の方が上手いとは限りません

美大漫研部だから上手いと言う事も無い
(と言うか美術を習ってるのになんで下手なんだとは思う)
描き方を知らないか?(注:1)

とにかく個人の能力の差です

自分(bakky)は高校生の時 光明学園の漫研部員だったが
19才でプロ漫画家のアシスタントをしながら
和光大学の漫研(現在無いらしい)に当時19~22才まで
遊びに行ってた (所属はしていた)

よく表現するのは

大学漫研の余りにも低いマンガレベルと
こころざしの低さにあきれつつ参加してたから(注:2)
(当時は部外者でも参加出来た)

しかし和光大学で出会った漫画家は6人以上
後にアシスタントもしてるので
話をしていて漫画に対する考え方など
かなり勉強になりました

しかも
年齢や通っていた時期から逆算すると
久米田○○、松○大洋はなんと同期になる

四年間で20回前後
(新入生歓迎とか飲み会も含めるともう少し多いかも)
なので久○田と言う人がいたのは記憶してても
四年間で最終的に1対30位になってしまうので
誰が誰だか覚えていない(この頃デビューさえして無いし)

大○さんの場合
○本が本名かわからないし、
(大学生が常にペンネームを名乗ったりしない)
大学を中退しているらしいので同期と言っても
すれ違いの可能性がある
久米○がそうだったらしい

大○さんはその後 永福先生の所
(当時実は大○さんの仕事場を借りてた)ので
何度か会ってたがすでにカリスマ的存在だったので
ほとんど話しかけてません

生原稿も見させてもらったんですがねぇ
ずっと先輩だと思ってた

「アシスタントをさせて欲しい」と当時言いたかったのだが
自分の判断では絵の方向性が余りにも違って
手伝えるところが無さそうだったと思ったのかな

他にも尊敬するマンガ家さんや
手伝う機会があったが某先生の手伝い後徹夜あけだったりして
断った事を後悔している先生も何人かいる

これもまた困った事なのだが皆○先生の
アシスタントをしていたと話すと

「この人凄い絵が描けるんじゃないか?」と想像されるのですが

何十年も経てばアシスタントなんていっぱいいたし
ピンキリです

画力があったのは初期の頃から手伝ってる
自分とYさん位かな

後に後輩のアシスタントからマンガ家になって
単行本を出してる人が何人かいますが

その人達が雇われた経緯を考えれば
サンデーならマンガの持ち込みをして編集に認められてるが
雑誌には載せられない画力
これからの新人を編集を通して紹介された人なので

マンガの描き方の技術はまだしも
一定のふるいをかけた人達なので
条件的にもデビューしやすい
後は本人次第なんです


小池一夫の劇画村塾を卒業していて
皆○さんのアシスタントをしていたと言う
経歴だけでちょっと見られ方が変わってしまうので
普段余り話をしないのです

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振り返ると若い頃の行動力と
ちょっとした えん やきっかけで
その後が変わる事を散々経験していたので

エピソードが多過ぎて1つ1つ解説出来ないが
プロフールをまとめると
ほぼ全部自分から声をかけたのがきっかけだわw

名前が知られてくると外から
お声がかかってきたりもしますね

迷惑をかけない程度に
思い切って話しかけて見るのも良いのかもしてません

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注:1

マンガ(漫画)は画力が全てではないので
絵が上手い人が面白くて 下手な人がつまらないとは限りません

ただ例えば絵がヘタと言う事で
漫研の作品などは学園祭などで
一般の人からスルーされる事も多いです


注:2

大学の4年間にあたる期間(時間)に自分は
小池一夫の劇画村塾を卒業し
つのだじろう先生のアシスタントから
フリーになり皆○さんのアシスタント他までしてるので
現場のプロの技術をすでに身につけ商業誌で出版されてる事になるんで

それはそうだよね


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話題が被るけど
ばっきー(bakky)バッキーとは
http://bakkystyle.seesaa.net/article/471209097.html
(実名が多いので時々非公開になります)


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