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千年の森が、今うまれる。

私たちがお寺の山林を「千年藝術の森」と名付け、
森作りを始めた物語のプロローグです。

果たしたい責任

私が住職を務めるお寺は、今年創建550年を数えます。業界的にはそんなに古い寺ではありません。私は27代目の父の長男として生まれ、この寺で育ちました。27代目の父(師匠)が急逝し、住職になって16年が経ちます。そんな私が、このお寺を継ぐことになって一番感じる”ある責任”があります。それは、お寺が所有する”寺有林”の行く末です。

寺有林の由来

今から100年ほど前に、お寺の困窮を見かねたある資産家の檀家が寄付した山林です。檀家からの布施ではなく、山林の経営で寺を維持させようと寄付したと言われています。

農業同様、山林も、後継者の不在によって荒廃の危機が叫ばれています。実際、私の地域の山林の所有者も、山林を財産として相続する息子や娘がいたとしても、彼らは管理が大変な割には、身銭にならない山林には関心がない。そして相続者がいない所有者も多い。いわゆる”商業的林業”の破綻はもう始まっています。

1000年という現実

そんなある時、地域の子供達が社会見学でお寺を訪れました。子どもたちに寺の成り立ちや歴史を説明するなかで、「この本堂は、今から50年前にお寺の山の木だけを使って建てたんだよ…」と言った自分に”はっ”としました。そうなんです。このお寺の本堂は、お寺の山林の木で建てられたのが檀家さんたちの自慢でもあります。だとすれば、この寺が100年後か200年後か、また本堂を建てるときのために木を育てなければならない。それも、本堂を立てるに値する巨木を…。

私はもう少し欲張って夢想しました。この寺が創建1000年を迎える時(450年後!)、寺の周囲を含むこの地域の森が、樹齢450年の巨木たちが天を突いてそびえ立つ…そして訪れる人達はその圧倒的な神秘に胸を打たれ、理由のない喜びに満たされる…。白神山地や屋久島のように。

過疎が進む農村にとって、後継者不足で農業が行き詰まっていることや、少子高齢化で檀家戸数が激減するのも肌でビリビリ感じています。林業も同じです。ですが林業に関わる若い世代がいないわけではありません。この深い森を育ててゆくビジョンを共有することで、私たちの地域だけではなく、日本中の過疎にあえぐ(もしくはそう思い込んでしまっている)地域の未来を良い方向に変えてゆくきっかけとなる予感がしてなりません。

ときめきがドライブする

自然を守ろう!というスローガンには何故か”ときめき”がないように感じます。でも、未来に”千年の森を贈る”と思うと、無闇に走り出したくなるような”ときめき”があります。それは私たちの”いのち”の中に、遠い未来への生存を願う”しくみ”があるのでしょう。”ときめき”にドライブされ、未来を描くなんて、なんて面白い!

千年の森。”1000年”という時間は、人間の尺度では現実味のない長さかもしれません。でも寺や神社にとって、1000年はあくまで”現実の”時間です。高野山は開創1200年。私の地元の平泉・中尊寺や、保呂羽地区の村社である保呂羽神社だって1200年の歴史を経てそこにあるのです。

千年藝術の森宣言

私たちは、その”千年の森”を、いま始めようとしています。寺社にはそもそも”鎮守の森”があった。寺社によって森は守られ、森によって寺社とその地域は守られてきた。もしかするとこの”森”こそが、寺社のみが描くことができる未来のビジョンであり、ソーシャルデザインかもしれません。

まずは宣言をします。
今を生きる私たちから、何世代も後の”未来”へ”森を贈ります”。その森とともに、私たち人間本来の健やさと”幸福”を、日々育てていきます。
”千年藝術の森”が、私たちの地域だけでなく、世界中に広がってゆき、よりよい未来を作り出してゆくことを、心から願っています。

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サポート、お願いはしませんが、喜んでお受けします。文章を書くことは私にとっての”托鉢”修行といえるかもしれません。