ウンチとオシッコ特別インタヴュー 〜排泄物界の二大巨頭が接近〜 Part.1

(著者)バカ公園・花

■はじめに

ーーー生き物を構成する為に必要な要素として、頻繁に挙げられる“食”。しかし、生き物とはエネルギーを入れただけ出さなければならない。つまり“排泄”は、食べることと同等に扱われるべきだろう。今回はそんな“排泄”における、これまでとこれからを担う二人の対談をお送りしていく。


生き物からしてみれば、最も異質でありながら最も身近な二人の存在ーーーどうしても困惑は避けられないだろうが、読者には2人が持つ独特なパースペクティブ(視点)に寄り添って着目してほしい。



■出会い

ーーーお二人はもしかして初対面?


ウンチ(以下、ウ):いや、何度かお会いしてますよね。ご無沙汰しております。


オシッコ(以下、オ):ご無沙汰です。


ウ:たまーにオシッコ君が肛門まで来てくれる時があるんだよね。


オ:ごくたまにですけどね(笑)僕たちのクライアントが体調悪い時とかに寄らせてもらうことがあります。


ウ:あんまりいい顔されないよね(笑)

ーーーお二人は兼ねてより“排泄”の第一線で活動されています。まずは、お二人の近況をお聞かせください。


ウ:自分は2年前から新聞連載していたコラムの書籍化作業に追われてましたね。

オ:『純粋なクソがいい』(*1)ですよね。見てます。

(*1)
『純粋なクソがいい』…山陰新聞にて連載されているウンチ氏のコラム。「排便と私生活」「悪としてのクソ」など、身近な視点で排泄に関するテーマが語られている。2021年秋に書籍化予定。



ウ:ありがとうございます(笑)タイトルはロックバンドの曲から拝借してるんですけど、そのバンドの方にコメントまで寄せて頂いて…ありがたいやらなさけないやらはずかしいやらで。





■結局“ウンチウンチ”しちゃう

ーーーコラム『純粋なクソがいい』において「生き物が最初に触れ合う異質こそ自分のような排泄物である」といった内容がありました。


ウ:子供とかって我々のような排泄物を取り沙汰にしては面白がってくれるんです。それってきっと、自らが異質を生み出している事実に対して、考えを整理しているんだと思うんですね。その過程で「さっきまで自分の一部だったモノが、排泄することで異質になる」という事実のおかしさに気づく。


オ:僕は一方で自身のことはあまり異質ではないかなと思ってます。ウンチさん位に取り沙汰にされて、面白がられて、知見に繋がって…みたいなパワーを持ち合わせてないんですよね。


ウ:そんな風に思ってたの?意外。


オ:液体だからってのもあるかもしれませんね。ウンチさんって基本的に形を留めて出てくるじゃないですか。フィジカルにパワーが保たれた状態で、そこに在り続けることが出来る。すごく具体的。反対に僕は抽象的で、ごく稀なケースでしか姿を認識されないんですよ。検尿とか。


ウ:自分は、自身の具体性に悩まされた時期もあったかな。どんな形でアウトプット出来たとしても、結局“ウンチウンチ”しちゃうっていうか。


オ:ウンチ然(ぜん)としてしまう…ってことですかね。


ウ:そう。分解に時間がかかってしまう。オシッコくんみたいに柔軟じゃないから、どうしたって“そこに在り続けてしまう”んだよね。消えてしまいたいって思う程、イタズラにそこに居続けてしまう。その二律背反が苦しい時期はあったかな。

オ:たしかに、僕達って本来は見たくない/見せたくない存在ですからね。







Part.1では二人が持つ苦悩について意見が交わされました。

次回part2では、オシッコの近況と、二人が考える「排泄の未来」についてお届けします。



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