莉奈ちゃんメモ

弱虫こむし
なきむし ちいさなむし
わたしはいじけて隠れて ないて
それから 名もない虫の行列に姿をひそめて混ざろうとする
それでも彼らはわたしを見つけて
あなたの姿はそれではないと
光をあてて わたしに言う
温かいミルクコーヒーを一口のむたび
わたしはわたしでいいと思えた
温かいミルクコーヒーを飲むたびに、
わたしはわたしになってそれから外をみたくなった
傷を恐れて
葉をぬけて爽やかにやってくる誘い風
わたしはただのつむじ風だと
やりすごしては
穴をほる
「わたしはこんなだから、ごめんなさい」
「あやまらなくていいんだよ」

「そうだお前がわるいのだ そんな風には言わないのね

わたしはこんなだけど、また歩き出す
治療の法を見つけてね また歩き出す

もうひとくち ミルクコーヒーをのみたいです」
「とびきりのものをおいれしましょう
身も心もあたたまる 極上のいっぱいをご用意しましょう
君の未来に祝福を

メモ莉奈「一般論。人は違いは基本きらいなのよ。当たり前だけど、違いがきらい。だから中国人は、ウィグル人やチベット人がきらい。よそものはきらい。ユダヤ人はきらい。異質はきらい。迫害せずにはいられなかったの。違うからよ。それに、自分たちのがすぐれてる、そんなバイアスも色濃くもっているの。西欧人だってアジアを小馬鹿にして自分たちこそ知性的だ、理性的だ、合理的だ、って爆弾もってアジアにやってきた。
 違いって何って、突き詰めてしまえば、遺伝子の違いよね。ほんの少ししか違わなくて、チンパンジーとだって数パーセントしか違わないのに、人間はわずかな違いを嫌う。

 スケール変えて、小さくしてもよくわかること。当たり前だけど、似た者同士の人が集まって友達に
 同じだね、なんて双子コーデが流行ったりもする。同じであることを喜ぶ。
ほんとうは誰も同じなんていないけれど、
 喜ぶ。

これがだめだなんて言っていないわ。人間の性質にすぎないの。システム1なの。
 違いよりも同じところを着目すると仲良くなれる、ただ、それに過ぎないわ。
 その方が楽なの、省エネなの、人間にとっては自然なの。そういうことでしょう?
 わたしたち日本人だって、中国人のように違い大して、ウィグル人、チベット人のように迫害しないわ、なんてことはないと思うわ。それは歴史が言ってる。
 それに無言の強めの同調圧力は、表立った攻撃性はなくても十分に迫害力をもつ。

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