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【教化と感化】~心趣渉猟~佐藤一斎『言志耋録』

おはようございます(^o^) 皆さんにとって新しい一日の始まりです!

立派な教えも、自分自身に腹落ちして初めて、自分のものになる!
いや、腹落ちしたものを、実践躬行して、躬となり肉となり、自分のものになる!

💧ひとしずく💧 学び、気づき、日々省察を!!

今日も、笑顔あふれる一日にしよう🤗

今日のお題…【教化と感化】
🤔 教化・感化はするもの、されるもの?

何となくの感覚として、次のように感じる。

「教化」は、先生など上の立場の方から教わること。直接的、物理的。
「感化」は、尊敬や感激の対象から、自ら気づき体得すること。間接的、観念的。

#習慣にしていること

<朝5分の潔め!・泉石俳句・今日の学び>
✨ 朝5分の潔め!
予め洗濯物の片付けをしました(拜)

🔖 肌を刺す尖った棘や寒日和 ~泉石

📖 教育の基本/言志耋録-277

教えて之れを化するは、化及び難きなり。
化して之れを教うるは、教入り易きなり。

〔主旨〕感化が先!

〔自己との対話〕
今・ここの状況では、自分自身は、
事の成就 > 人の情けとなりがち。

従って、どちらかといえば「教化」に重きを置きすぎている。

翻って、

💡「心に感じるものあれば」

つまるところは、人には自身の決め事、ひいては信念があって動いているもの。
その心が動かなければ、躬もやはり動かない!

(現代語訳)
教えることから始めて感化しようとしても、容易に感化はできない。
感化しておいてから教えると、容易に教え込むことができる。
(やる気を起こさせることが肝要)

#佐藤一斎 #朝5分の潔め #泉石 #俳句 #六中観


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