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今回は森重隆選手の話しを中心に新日鉄釜石の話をさせて頂きます❗

森選手といえば知ってる人は知ってる!知らない人は知らない!という感じなのでしょうか⁉️

森選手は福岡高校で2度花園に出場し、明治大学を経て新日鉄釜石に入社しましたポジションはCTBで釜石ラグビー部を七連覇に導いた立役者の一人です。日本代表ではキャプ数27をもち、現日本ラグビー協会会長を努めています❗えっ凄い人じゃんと思った人も多いと思います😉

私が初めてお会いしたのは宮崎国体の途切れるです。その時一緒に写真を撮ったのですが写真は私の手元には来ませんでした😭

森選手のプレーの印象は身体が大きくはないのですがスピードはありましたので、こまねずみみたいなトリッキーな選手というイメージがあります。中でも記憶にあるのがディフェンスに来た相手の顔の前でボールを使いねこだましをしたのには驚きました!また明治大学の2つ後輩松尾選手SOとのコンビネーションは絶妙でSOがパスミスをしたように見せかけてのチェンジオブペースはこの二人ならこその妙技でしょう‼️また印象に残っているのが引退した理由の一言です!タックルをした後、された後ボールが何処にあるか目でみてからでないと動けなくなった❗深い言葉ですね😭

それでは新日鉄釜石で記憶にある選手を数名ご紹介します。トップローだった洞口選手は七連覇の後、トーヨコIラグビー部経て日本BMの監督をしていましたが、外出先でたおれ45才という若さでおなくなりになりました❗

次はフルバックの谷藤選手です。谷藤選手は七連覇達成まで現役フルバックとして33才迄務めましたが特集すべきは体型が若い時と変わってなく、松尾選手にあいつは歳を取らないと言われた程でした❗

私の記憶がつてなく最後になりますが、フランカーの高橋選手を紹介します。なぜ高橋選手が記憶にあるかというと、1つのエピソードがあったからです。それは前回にもあげましたが、ラグビーがきぎょ内で当時優遇されていなかったというところです!まず全員が揃って練習が出来るのは週に仕事が終わってから1日だけという環境下にあったからです。ほとんど選手はラグビーをやる為に入社したのですが、高橋選手は秋田工業高等専門学校から仕事をするために入社しており、全員練習に遅れて参加しることがあったと聞いたことがありました❗

当時はそうだったんですよ!ですからラグビーを引退後、職場に戻っても同期入社の人から置いていかれているというのが当たり前だったんですね❗

だから多くの選手が会社をやめたんでしょうね❗松尾選手は皆さんご存知のとおりニュースキャスターに森選手は実家の硝子会社の社長に等、別の道に行きましたね❗

勿論、今はそんなことはないと思いますよ‼️

私の主観も入っているかもしれませんが今回はこれで終わりにします❗お付き合い頂きありがとうございます‼️スキ!フォローお願いします🙇⤵️

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