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完全主観で語るペジュリンのバルサへの帰還

ヘクターがバルサに帰還。

不思議はない。
故郷に帰り、世界のビッククラブの背番号2を背負う。

良い番号をもらったね。
それがクラブの期待の表れなのか、
たまたま空き番号だったから、もらえたのかはわからない。

故郷の世界的ビッククラブ。
8歳から16歳まで過ごした愛しのクラブがバルサだ。

その後アーセナルのユースに移籍し、我々の子になった。

アーセナルでプロデビュー
偶然かデビューはアルテタとの交代でのデビューだ。


ワトフォードにローン。
アーセナルのDFの緊急事態によりアーセナルに呼び戻され、不動の位置を手に入れる。


そして、大怪我…

これさえなければ、彼のサッカー人生は大きく変わっていただろうな…
世界有数のサイドバックになれたかもしれない。 

監督がアルテタに変わり、ペジュリンには今までとは大きく違ったタスクが与えられたように思う。

それはアルテタの信頼もあっただろうし、同郷で元チームメイトというのもあったんだと思う。

昨夜のティアニー(ELチューリッヒ戦)を見て、
『あぁ、アルテタはこういうサッカーを志向しているのかな?』
なんて考えたりもした。

おそらく昨夜のレベルではないかもしれないが、そういうサッカーを目指し、ジャカやペジュリンを中心としてチームを構築しようとしたんではなかろうか?

怪我以降、以前のような輝きを取り戻せないと感じたのはそういった事もあったんじゃないだろうか?

しかし、当時のアーセナルにアルテタが目指すサッカーを受け入れる土壌もなく、駒もなかったのではなかろうか?

そして、チームは低迷する。

ジャカはキャプテンマークを外され、ペジュリンはベンチへ…

ジャカもペジュリンもおそらくアルテタの為に頑張ろう!と取り組んだんではなかろうか?

しかし、新米監督に選手を労れる度量がまだなかったんではなかろうか?

そして、チームづくりは失敗し、ヨーロッパからはるか遠い位置まで 落ちてしまった…

新米監督へのプレッシャーは想像を絶するものだろう。
監督の要望に応えようとしつつも、うまくいかなかった選手。

それがペジュリンだったのではなかったのだろうか…

ペジュリンは故郷のスペインのベティスへローン移籍。
ベティスはコパデルレイを獲得。
ペジュリン右サイドバックでフル出場し、PK戦の末、FAcup3回に続き4つ目のトロフィーを掲げることとなった。

新天地を見つけた。

誰もがそう思った。

しかしベティスから買取はなく、アーセナルに戻ってくることになった。

おそらくもうこの前から、ペジュリンとアルテタの関係は破綻していたのであろう。

移籍する前の扱い…

なぜそうなったのか?

ペジュリンに問題があったのか?名将ペレグリーニの下でカップ戦を制し、リーガで5位に食い込んだチームで活躍した選手に能力がない?

いやそんなことはないだろ。

戦術に合う合わないはあるのだろうけれど。

ヴェンゲル
ペレグリーニ

父親のような歳の差の監督の下で活躍したのは偶然なのだろうか?

ペジュリンのピッチ外の活動をみると、彼は【良い人】で優しい人なんだろうと思う。

ベティスでのローン中にも冨安を賞賛し、全試合チェックし、仲間にもエールを送っていた。

新米監督との関係構築は、どちらの責任かは分からないが失敗したのだろう…

そうなってはもうその監督のいるクラブで戦うことはできない…

ペジュリンが新天地を求めるのはごく普通の過程だった。

プレシーズンにも出場せず、刻々と移籍期間が過ぎる中、アーセナルとの契約を解除して、バルセロナへ移籍した。

SNSでは契約解除を非難する声を多数目にした…
そんなに単純な話ではないのだろうが…


新米監督の新たなスタートに共にクラブを前進させようとしたペジュリン。
しかしそのチャレンジが失敗した時に関係は破綻してしまったんだろうと思う。

どちらが悪いのかわからない。
今となっては、どうでも良い話。

ペジュリンはアーセナルを離れ、新天地へ。
彼のこれからの活躍を楽しみにしている。
現状バルサの右サイドバックで出られる可能性は低い。

そんな中でバルサを選んだのはなぜなのか?

契約解除ならベティスに戻ることはできなかったのか…

各チームのスカッド
給与
資金
選手の心
代理人の思惑
セカンドキャリア
さまざまな要因が複雑に絡まってる魑魅魍魎の世界。

ペジュリンは
まだ27歳なのか?
もう27歳なのか?

私はまだ27歳と信じてる。
もうワンランク上げて、カンプノウの右サイドを駆け上がる姿を待っている。

そして、信じてる。
Once a gooner
Always gooner
ペジュリンもそのひとりだということをね。




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