秦さん

秦基博さんというシンガーソングライターをご存知だろうか。
映画『STAND BY ME ドラえもん』の主題歌『ひまわりの約束』でよく知られている。

秦基博(はたもとひろ)さんの苗字である「秦」
秦さんというのはそこそこいる、というか結構多い苗字の人だが、何となく大陸系っぽい感じもする。(決して悪い意味ではなく)
というのも、秦さんというのは、はるか昔朝鮮半島の地からやってきた渡来系の人々がご先祖であると言われている。
しかもその渡来人の人々はなんと秦の始皇帝の末裔を自称していたというのである。
え、じゃあ秦基博さんって始皇帝の末裔なの!?と思う人もいるかもしれないので、補足すると、必ずしもそうでは無いということ。
全ての秦さんが渡来人の末裔ではないし、渡来人の人々も自称していただけなので(とは言うものの割と有力情報)、本当に始皇帝の末裔かもしれないし、そうじゃないかもしれない。もし本当だったらかなりロマンのある話だ。
先祖が有名な一族とか人とかめちゃめちゃ羨ましくないですか?

では、古代日本において秦氏がどんな存在だったかを語っていきたい。

今明らかになっている事実として、渡来人秦氏は、朝鮮半島南部から日本にやってきて、山城地方(京都南部)に定住していたらしい。一概に秦氏と言っても、皆ひとつの家の人間ではなく、擬制的血縁関係を結んでいたそうだ。つまり、同じタイミングで日本にやってきた渡来人が秦を自称したのでみんなまとめて秦氏になった(もしくは元々ひとつの一族としてやってきた)

秦氏の人々は大陸より持ち込んだ知識によって日本の文化の発展に大きく寄与したと言われている。例えば蚕や絹による織物の技術や、土木技術、採鉱・精錬技術、etc.
また、八幡神社や稲荷神社を創祀したのも秦氏だ。
現在日本にある神社は88,000社であるとされているがそのうちの44,000社は八幡宮で、残りの44,000社のうちの32,000は稲荷神社である。つまり、思っている以上に純日本の神社というのは少なく、秦氏の影響を受けた神社が多い。
京都においても代表する神社はほとんど渡来系の人々が関わっている。
だからといって日本固有の文化は中国や朝鮮半島の文化に塗りつぶされたと言いたい訳では無い。
渡来系の人々が持ち込んだ文化が日本でうまく受け入れられていったということである。
持ち込んだものがそのまま受け入れられるわけはなく、彼らも日本に波長を合わせて受け入れられるように努力していったのだ。というかかなり日本に歩み寄ったし、日本の土着的信仰にうまく融合していったように思える。

そういった点では日本人よりも日本人になった外国人ともいえる。

こうして完全に日本に帰化した秦氏一族は大きな力を持っていくことになる。秦氏一番の出世頭である、秦河勝は聖徳太子に寵愛されていたし、秦氏は信用されて朝廷の大蔵担当であった(要は金庫番)

そして、子孫には能の原型を作った観阿弥・世阿弥、浄土宗の始祖である法然(母親が秦氏)など、その後の日本に影響を与えた人物を輩出している。そういった経緯を経て秦氏は日本全国に広まっていったとされている。

そんな秦氏もいつからか日本の中心的な存在からは鳴りを潜める。このことは日本最大の謎とも言われたりするので素人研究がとてもどうこういえるテーマでは無いので触れないが、たしかに歴史で有名な秦氏というのは秦河勝くらいで、調べるまで観阿弥・世阿弥が秦氏の子孫であることすら知らなかった。

あれほど、日本に寄与し影響を与えた一族が、名前だけを残して表舞台から去ったのは何か陰謀があったに違い無いが、これもまたよく分かってないので、あまり知られてない改竄された歴史があったかもしれない。これもまた歴史の面白いところである。

今テレビで活躍している秦基博さん。
そのご先祖さまはもしかしたら日本で大きく活躍した人々だったのかもしれない。

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