おかげさまで

「おかげさまで」という言葉を使ったことがあるだろうか。

「おかげさまで」

多くの人が日常会話やビジネスシーンで使っているこの言葉。ニュアンスとしては、あなた若しくは皆様のご助力によって成功しました、上手くいきましたと言った具合で使っていると思う。この記事のタイトルを読んだ人も、「あ、この人はなにかが上手くいったから、その報告でこれを書いたんだろうな」と思ったに違いない。

他人に対しての感謝の気持ちで使う「おかげさま」は実のところ極めて仏教的な言葉でもある。「おかげさま」を漢字に直すと「お陰様」となる訳だが、この「お陰様」の「お陰」という漢字は、我々日本人としては感謝のイメージには結びつかない漢字である。だが、この「お陰」に様がついて「おかげさま」になっている。

じゃあ、「お陰」って誰やねん。

お陰様は様が付くだけあって偉い人であるのは間違いない。何を隠そうお陰様というのは日本の神様のことである。神様なのに陰なの?と思ったことだろう。では何故神様なのに陰なのか。

実は昔から陰には神様や仏様などの偉大な存在の庇護などを受けると言った意味がある。そこからいつしか神様仏様から庇護を受けるという意味が他人の助力・支えに対しての感謝の言葉となっていった。個人的には神様なのか仏様なのかが分からないところに神仏習合を感じて日本らしい言葉だなと思う。この点については仏様ではなく神様の方が元々の意味として正しいと推測している。

「お陰様」と似た言葉に「お陰参り」という言葉がある。江戸時代に流行った言葉らしいが、これはお伊勢参りと同義である。ということは「お陰」は「お伊勢」であるとも言えそうだ。ちなみにお伊勢さんには「おかげ横丁」という通りもある。伊勢うどんが美味いので行ってください。

では、「お伊勢」ってそもそもなんなんだと言うと、簡単に言えば神様のこと。お伊勢、伊勢神宮の内宮には天照大御神(あまてらすおおみかみ)※伊勢神宮の神前では正確には天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)が、祀られている。誰しも一度は耳にしたことのある名だと思うが、こちらも説明しておくと、古事記や日本書紀といった日本神話を取り扱った書物に出てくる神様のことである。ちなみに先程内宮と言ったが、伊勢神宮にはもう一つ外宮がある。こちらには豊受大神(とようけのおおみかみ)が祀られている。

神社と寺の違いはご存知だと思うが、かつては違いが曖昧になった時代があった。いわゆる本地垂迹説であるが、本地垂迹とは大まかに言えば、仏が神様の形で仮に権現することである。つまり仏が主で神が従であると。(仏>神)

これの何が問題かというと天照大御神は各地で観音菩薩と同一視されるようになり、やがては大日如来と一緒くたにされてしまった。

神仏習合の基となった考え方であるが、これが「お陰様」の元々の意味に神様仏様の庇護を受けるという意味があることの原因だと思ってもらってよい。※神仏習合が悪いと言いたい訳でない。

一方、この本地垂迹説に対して神本仏迹説(反本地垂迹説)も勃興した。これは元寇により日本は神に護られている神国であるという神国思想が高まって興った思想である。これにより伊勢神宮外宮神官の渡会家行が神話・神事の整理や再編集し「神道五部書」を作成、伊勢神道の礎となった。

簡単に言えば神より仏が立場が上という思想に我慢ならなかった神道系譜の神官達が仏が下で神が上だと言い出したということである。絶対神の存在を強調することで、神を仏の上位におき、反仏・排仏の姿勢を示したのである。(神>仏)

伊勢神宮は唯一とは言わないが明確に神と仏が混ざっていない神社(正確には神宮)と言っても過言ではない。

話を戻したい。お陰様のお陰は伊勢のことである。伊勢には純粋な神様が祀られている。つまりお陰様とは神様のことである。と私は言いたい。単にお陰様が神様や仏様だと言ってもその内実プロセスは難解で複雑である。かなり遠回りしたしどうでもいい事だが、普段何気なしに使っている「おかげさま」は、実は神様のことを言っとるんだよと言いたかっただけなのである。




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