洋楽の話

私は無類の洋楽マニアを自負してる。
洋楽マニアといっても最近流行りの曲は全然知らんわけですが、特に1970年代から1990年代の洋楽には目がない。

いい意味でも悪い意味でも狂信的にその年代の曲を聴き漁っているので、「洋楽好き」という人に出会うと、「ほぅ、実力やいかに」と悪いマウントを取ってしまいがちである。

どのくらい知っていれば「洋楽好き」なのか、そもそも知っていれば「洋楽好き」なのかは人それぞれと言えばそれまでだが、個人的に洋楽好きを名乗るならこれは知っていようよ、という名曲、アーティストがいる。洋楽好きにおける教養とも言えよう。

個人的に最近流行りのビートで聴かせるEDM系の洋楽、K-POP及び一部のK-POPかぶれJ-POPは苦手である。
何故かというと、聴いてると疲れるから。

音楽を嗜む身としては、同じ音楽として扱うのは違う気がしているので、勝手にダンスミュージックとしてカテゴライズして音楽とは別のものとしている。音楽として聴くとうるさいし疲れるのでダンスミュージックとして扱えば、まぁそういう曲よね、と思えるようになった。

ところで、私はかねてから音楽に必要なのは圧倒的にメロディであると考えている。これには何故ならはいらない。音楽とはそもそもそういうものだ。
ブルーハーツの甲本ヒロト氏がこの間とある番組でこう言っていた。

「今の若い人は曲を聴く時に歌詞を追い過ぎ。 僕は音が好きで聴いてたし、意味なんかどうでもいいんですよ。」

これに私はひどく共感した。私自身が洋楽を聴くとき、歌詞を意味やメッセージ性を完璧に理解しながら聴いているかと聴かれればそうではない。ロックでもPOPでも何を言っとるか分からんけどかっこいい、気持ちいい、だから聴く。
洋楽を聴いている時、歌詞を聴いているようで聴いていないわけである。何を聴いているかというとメロディ、甲本氏がいうところの音である。音といっても一概にメロディだけではない。アーティスト独特の声やハーモニー、それどころか曲全体の雰囲気までもが音なのである。名曲は聴くだけで情景が浮かぶのである。
それは聴く人それぞれの原風景や心象風景だが、その琴線に触れて曲がその人も知らない場所へ連れていってくれる。

邦楽だと歌詞の意味まで理解出来てしまうので一曲の中で聞いて理解する要素が多い。私の中で邦楽を聴くというのは音楽も歌詞も聴く欲張りセットなのである。

人は素晴らしい歌詞の曲を聴いて、いい曲だな〜というが、いいのは曲(だけ)ではなく歌詞なのだ。いい曲といい歌詞を両立させている邦楽には本当に感心するし大好きだが、それができるアーティストはそれほど多くない。

また、我々が邦楽を聴く時、歌詞がいいから聴くということが多いのではないかと思う。私も素晴らしい歌詞の曲は好きだが、歌詞に重きを置くゆえに、深いこと言ってそうで浅く安っぽい歌詞も多い。
折角いい曲なのに何だこの歌詞はと思うことも多々ある。最近だと"Official髭男dism"の「Pretender」という曲が流行ったが、割といい曲なのに歌詞で引っかかる部分が多く、苦手な曲になってしまった。
「それもこれもロマンスの定めなら仕方ないよな」
という部分で私は
「えぇ…ロマンスの定めなら仕方ないんか?ロマンスの所為なんか?」
と思ってしまった。曲自体はキャッチーで優れたメロディだっただけに残念に思ってしまった。

というように歌詞で損する曲もない訳では無い。

一方洋楽はどうだろうか、
帰国子女レベルのヒアリング能力がない限り、歌詞の意味を知らないまま純粋に音楽を楽しむことが出来るのだ。彼らは日本人に対して音で語ってくれる。知らぬが仏と言うように洋楽には歌詞の意味を知れば返って意味がわからない曲も結構ある。なので私は特に理由も無ければわざわざ歌詞を調べることをしない。
じゃあ歌詞のない曲聴けばええやんと言われたらそれはたしかにそうだが、私はジャズも大好きだ。

改めて言うまでもないがここまでで語った洋楽とは30~40年前の曲である。それほど前にレコーディングされた曲が30~40年後の青年の心を打つ。名曲は色褪せないのだ。
懐古主義と言われればそれまでだが、本物の音楽に懐古主義と言うのは如何なものか。

ここまで聴き方という観点から音楽を語ったが、楽しみ方は人それぞれで良いのもまた事実。
私が勝手に音楽こうあるべしと思っているだけだが、名曲が名曲たる所以があるのも事実。
あくまで、こういう聴き方をしてみてはどうだろうかという提案である。

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