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夢   ―老女のひとりごと(8)

 幼い頃、恐ろしい夢にうなされた覚えは誰にでもあると思う。

 私も、鬼のような黒い影に追いかけられる夢をよく見た。逃げようと思っても足がすくみ、階段を駆け上がろうと思っても、もがくばかりで足がちっとも前に進まない。うなされて思わず目が覚める。

 心臓だけはドキドキしたままで、夢だったと分かっても、まだ恐ろしくてたまらない。たいてい薄暗い夜明け頃で、隣に眠っている母親を見て子供心にホッとしたものだ。そんなとときに聞いた夜明けを告げるお寺の鐘の音は、いまでも寂しい悲しい音として強く耳に残っている。

 そういえば、近頃はちっとも夢を見なくなってしまった。主婦業もここまで古くなってしまうと、情けなや、考え方も夢見る心もすっかりどこかに置き忘れてしまったのだろうか。

 昼日中、ぼーっとしたりして、いつの間にかうつらうつらしている時がある。何かを夢見ていることもある。そんな時は何もしたくない、いつまでもそのままでいたくなる。

 そんな誰にも邪魔をされない怠惰な世界に、どっぷり浸かるのも悪くはないとは思うのだけれど、それではこの世の中に背を向けることになる。

 私は、この先いったい何をしたいのか、どう生きたいのか――。

 このあいだ、珍しく八日ほど入院をしてしまった。急性胃炎、鬼の霍乱で絶食四日。その間は点滴の管をつけっぱなしで、トイレに行くにもガラガラと引きずり、みかけはすっかり重病人だった。

 退院後、さっそく二泊三日の温泉旅行に行った。今のところは健康も保っているし、思い立てばすぐ旅行に行かれる自由もあるし、これはこれで有難い。感謝すべきなのだろうと思う。

 今日は、甲斐一宮の桃源郷で名実ともに満開の桃の花を見た。高速道路の両側に絨毯のように続いている桃畑。樹の下に立ってみると、四方にのびた枝にびっしりと桃の花が咲いている。ピンク色の花の中心がちょっと赤くて、それがぽってりとした暖かい感じがして、何とも言えない美しさだ。たとえ花の散るまでの短い間であろうとも、ここは理想郷に違いない。

 生きているからこそ感動もする。普通の食事ができるようになり、あらためてそれを実感した。

 また、幼い孫のキラキラと輝く元気な瞳に出会うと、救われる思いがする。何の疑いもなく、明るい未来を受け入れられる無心さは本当に尊い。無邪気な願い事もほほえましい。いつまでもそれが続くようにと願わずにはいられない。

 それとともに、我が身にもいつかは訪れる終わりの日を強く心に刻んだ。

 夢や願いとは、強いて言えば、無心になりたいということだけだ。

                             1993.5


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