Introduction 005
最初に見た時に料理していたのはアニーだが、元・子ネコたちはふたりとも料理をする。むしろオビーのほうが料理は得意そうだ。昼間はいったい何をしているのかとんと不明だが、どうやらレシピサイトなどはこまめにチェックしている様子だ。
結局、子ネコたちが第二形態(とでも呼べばいいのだろうか?)になったことで、それ以外の生活が激変した、というわけでもない。ふたりは普通の人間の食い物を普通に食べ、ことさらコーヒーが好きだ。
学生以上、大人未満的に生きてきて、ようやく大人以上、親未満に到達するか、しないかの「年齢=チョンガ歴」な人間にとって、これくらいの見た目の人間のお子さんの、標準的な行動など知る由もない。食事にしても、どれくらい/どのように食べるのだろうかさっぱりだ。が、どうなのだろう。彼らは特にがっつくことはなく、好き嫌いなくなんでも食べ、非常にお行儀もよい。iPadでゲームもするが、もっぱら古い映画などを観ているようだ。
変化があったとすれば、いちおう何かあったときのために1回線契約し、iPhoneと部屋の鍵のスペア、多少の現金のはいった財布を持たせてある程度。
近所の野良ネコとのトラブルが心配だし、それより、いかな近隣に無関心な郊外のマンション暮らしとはいえ、周囲の人間の注意を引くのはたいへんよろしくない。ので、基本的にあまりチョロチョロ外出してほしくはないが、どうも外が気になってソワソワしているのが感じられるときがあるし、まぁネコだから。
ふたりをネコと考えるときと、人間の子どもと考えるときの、切り分けのラインが判然とせず、頭がこんがらがるのだが。
とはいえ、いずれにしても、彼らにも色々あるのだろう。期間限定とはいえ、ちゃんとお世話すると思って引き受けたのだからまぁ、できるだけのフォローはしますよと、そういうこと。ただ、引き受けたのは、あくまで子ネコのときの話ではあるが…
実際に、人間としては不可解な動きを感じることも多々ある。飲み会があって遅めに帰宅しても、だいたいは勝手になにか食べて、スヤスヤ寝ているのだが、未明にトイレに立つと、ふたりとも姿を消していることが、しばしばある。そういう時はiPhoneも持たずに居なくなっているので少し心配なのだが、寝て、目を覚ますと定位置でクークー寝ている。そんな日は、彼らの衣類が増えたりしている。
ぱっと見たところ、不審なモノやヤバそうなものが持ち込まれてはいないので、細かく詮索はしないが、なんらかの、彼らなりの交友関係というかネットワーク上でのやりとりがあるのだろう。
心配といえば心配だが、うまく表現できないのだけど、小さいなりに、この子たちはくだらないトラブルに巻き込まれるようなタマではないな、というのを感じる。したたか、とか、抜け目ない、とかではなく、どこか、しなやかで野性的なカンの良さ、といったものを随所に感じるのだ。
そんなある日(ある夜、か)のこと。夕食後に、本日届いた「デスクサイドに置くちょっとした引き出しのついた書類スタンド」を組み立て、動作を検見していた。
そうそう、アニオビたちがいてくれるおかげで、置き配NGなものも日中に受け取ってもらえるようになった。近隣の目にふれるのはよろしくない、などと書きながらそのあたりは都合よく使っていて恐縮だ。
それで、その作業中。今夜はiPadではなくDVD(Blu-Rayは持っていない)で『ナイト・オン・ザ・プラネット』を観ていたアニオビたちだが、なんだかとてもソワソワしている。そういえば食事中からなんとなくソワソワなソワソワキッズだったのだが、また夜中にお出かけでもするんだろうな、と思い、たいして気にもとめていなかった。すると、こちらの作業が一段落したころを見計らい、DVDの音量を下げ、なにやらおずおずと話しだした。
アニー「あの、ベビスネさん」
オビー「もし、お時間とれたらでいいんだけど」
ん?なんだろう。
アニー「お仕事おわってからの時間帯でOKなんだけど、ちかいうちに、僕達の大好きなお店につきあってほしいんです」
「お店?」
いったいなにのお店だというのだろう?ハードオフでNintendo SWITCHでもねだろうというのかな。
オビー「ちがいます、そういうんじゃなくて、うーん、と」
なにか、名状しがたき店、なんだろうか?
アニー「夜しかやってない、なんていうか、喫茶店…かな」
オビー「うん、カフェ、ってんじゃないんだよね、喫茶店」
アニー「いちおう、アルコールも出すお店なんだけど、バーとかじゃなくて」
オビー「もちろん食事も美味しいんですけど、とにかくコーヒーが美味しくて」
アニー「ベビスネさん、絶対好きだと思うんだよな…」
普通の会話のようだが、よく考えると、何から何まで不可解な内容ではある。しかし、ここのところもう、そのあたりは諦めているので、こういうときは咀嚼せずに飲み込むまでである。
「いいね、場所はどのへんかな?池袋より向こうじゃなければ助かるけど…」
オビー「そんな遠くじゃないです」
アニー「ぼくたち、電車には乗らないもんね」
オビー「遠くじゃないどころか、近所です。駅よりこっちがわ」
「そりゃいいね。じゃあ…。えーと、直近で、金曜日だったら確実に定時で帰れるけど、金曜は混むかな?」iPhoneでカレンダーを確認する
オビー「ぜんぜん、大丈夫だと思います」
アニー「わあい、やった!一緒にいけるんだー!コーヒーほんとうに美味しいから、絶対、気に入ってもらえると思うんだよなー」
オビー「予約とか要るかな?」
アニー「いらないんじゃない?」
ということで、そういうことになった。そう、このあたりから、色々と大きな歯車が音を立てて回りだしたのだけど、この時点では、完成した書類スタンドの出来栄えに満足して缶ビールを「プシ」っと開け、そうか、どんな美味しいコーヒーが飲めるのかなぁ、などと呑気なことを考えることしかできなかったのである。
ふたたび音量をアップしたテレビからは、ロベルト・ベニーニがなにやらまくしたてる声がきこえていた。