Colors - 文化人としてのキュレーターによる色彩論 -
北米のアート・スクールの栄えあるT-shirtを献呈されたことをしても、
学芸員を自称しているのだし、時には学術論文を記しておきたい所である。
まづは、美術プロパーで、ルンゲの色彩論からゲーテの心理的色彩論
、そして...(もう一個はなんだったっけかな)をおさえておき、世界の歴史
を通じて、文化と芸術が自然科学に邂逅するところのそれにおけるアカデミ
スムとして講じておきたい。(それゆえに、これはサブ・カルチャーでは有
り得ない。また、循環論法を弄んで、微妙な物質的還元を文化の両犠牲をあ
てにし、Inter Netへと化学的に異化させる現象学的還元の社会現象へ白けさ
せる企みといふ種類でもなければ、ノラクロの戦争マンガとその地平、とい
ふのでもない。)
かつて画家は、自身で顔料を作ったりしてキャンバスに色を乗せていた。
こうした芸術家の妥協なき表現への追求心は、後の産業革命を準備する所業
であった。(産業革命とは、そのコード化の束であり、レイヤーをまとめる
諸々のインスティテューションの活動と、オーダーの刷新のカラー・コード
そのものであった。)そして、織物に染料を浸して作られる色合いと肌合
い、併せてテクスチャーと呼ばれる、われわれの経験知へ触れ、その媒体
(メディウム)は、鍛冶屋が厳格なしきたりのもとでのみ、鉄を打つのを許
された理由に、金属といふもののインディファレントな媒介性を媒体として
扱い、却って他の文化的な製作物へ投影してきた歴史的な事実を、絹や、植
物や自然界の小さなバイオスコープに写る生き物たちの世界との間に、中世
的な世界を見い出し、また、その中世のさなかの現在時であった時ですら、
教会の鐘の音と水銀のようにすり抜ける時間のメディウムと進む時間の針を
持つ、不可逆的なまさに《時間》(そして、リテラルに時計)が今もリニア
に働いている、そのことを思い起こさずにはいられないであったろうから。
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