Yosh Profile - part.2 -
Music Career 続き(の番外編)
東京、といふローカルな都市での、にわかによろめく
小径を電車づたいに歩くことには、その先が寂れた新宿であっても、
何も摩擦熱はなかった。(わし、若かったし。)日比谷Parkに
無為にタタづんでいるときのようにの。じゃが、あの水上レストランの
食事のまずさといったらなかった。全くガマンがならない。
従い、その点に関しては摩擦熱、摩擦係数があったことを認めないわけには
いかない。それで、ふと思いタイムスリップして、それより何年か先のある
過去の日に、友人とタノシソウナZeldaのクラブ活動を観にいくと、ライブ
が終わったら、ドラムの小澤亜子さんにあってご挨拶できることの約束に
なって、とても若いわしが、うれしく思っていたときのエピソードをここに
ついでに綴っておきたい。(エピドードとはそうしたものじゃからじゃ。
断言。)その日は、サポートメンバーとして、パーカッションとキーボー
ドで入っていたDe-laxの京極輝男氏が、ステージの片づけをされており、
アクロバティックなキーボードのセッティングやらの解体の現場が、
Liveの終わった後のバック・ステージであった。(氏は、お料理の腕も
達人級あったろうが、その時のわしは知る由もなかった。後に世田谷にある
創作料理 『鶏竈 torikamado』の店主になられておる。)それで会ったとき
に何を話したのかは、ちょっと覚えていないのじゃったが、(トシぢゃから
の。)確かアコさんに、「立花ハジメさんみたいな雰囲気だね。」とそう言
われ、ふむ、わしもまんざらでもなかったのぢゃった。素晴らしい女性で
アーティストあった。彼女は天文学にも詳しいし。で、ハジメさんのこと
じゃが、彼のインターナショナル感のあるアルバム「太陽さん」がわしは、
大好きでもあったしの。
それから、少し話を盛ると、こうしたクラブ活動の午後の一時には、
まっ、幸せの絶頂っていふんぢゃろうかの、そのような想いであった。
このように交友関係の織り成すレイヤーの厚みをかんじながら当時、
多分その奥には、彼女の友人の小泉今日子氏がキョンとおられ、こうした
交友関係の背景が、すすむClub活動と後のN.Y.Cの繋がりを予見させてい
た。(キョンキョンのバックバンドもする「Drop」のころね。野村さんも
おったのかな?おった、おった!)では、宙也さんとか、観にいったかと
いふと、そうすると、ジュネ御一行にも会わなくてはならなくなり、大変
だし、やっぱり元ローザの玉城さんをしばしば新宿Loftに観にいったりして
やっぱし、「不思議だが本当だ」を聴いて。ほんに不思議じゃのー、と
感じ入ったりしたものであった。宙也さんつながりで、本田毅さんは?
んー、「パワー・パッション」のを出しだばかりのころに、すでにそれ
とても売れていたからね。新宿レコードの窓にランクの上位にPersonzが
載っており、貼ってあったぐらいで、そこからものすごく早かったらね、
千葉のディズニー・ランドのある舞浜のステージまで。
忙しいし、そのようななかで、わしには会う機会などはなかた。ナカタシ、
タブン、カレモ、 ガイジン ヤネン。ん、わしみたいじゃね。
さて、料理の話にふる。後にできてゆく、Nissin Power Stationの
お料理や、渋谷のクワトロでのお食事は、わしにとり、とても美味であっ
た。
ー 続く ー
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