![中野](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/1649554/rectangle_large_583c6e6c45c0a240c539dcd18f70496e.jpg?width=800)
《Musician friend、 あるいは知人》 の紹介。
中野雅仁
平井堅 の「楽園」の大ヒットでも知られるProducer。
また世界レベルにはある卓越したキーボード・プレイヤーであることは
基本、バックアップを仕事としており、それなので脚光を浴びていても、一
般の人にはそれほど知られてはいない。、キャリアの上では、
知る人ぞ知る存在でもうベテランの域に入っている。
*ちなみに彼は学校がわしと一緒で、同期のキャリアを持つ知人である。
この子の学校の同期には、わし自身を含めて少なくともおよそ3人が
(「後に、」も含む。)
プロフェッショナルのアーティストとして活躍した。彼は、その時から
群を抜いてブラック・ミュージックの素養と解釈の消化が良く(主にソウル・
ミュージックの解釈。)、素晴らしい才能を持っていた。楽譜なしに、即興
で本物のジャズが弾けるキーボーディストであったので、ともに高校生で
あったのだけれども、彼はその時すでに業界で働いていたかな。でもう一人
の友人A-君(インディーでレコードを出していてセミプロ。事務所は別。)
と、「スゲーな、中野(の才能)!」と言い、俺らももっと鍛えようぜ、
といふ乗りで、一緒に渡辺克己さんとこの教室行ったりしたのじゃった。
ところで、その頃のわし、ブラ・コンにものめりこみ始めており、
レイ・パーカーJrの(彼は、producer でもあるが良きギタリストである。)
ギター・ワークが好きで、「彼のギターの弦高は相当高い。(*ジャズの人よ
り高い。)」といふことを知っては、「じゃあ、俺もそうやって弾いてみよ
うか。」といふ調子であった。(音が太くても、切れが違ってくる。握力が
相当いるが。)
それで、A-kunからは、スタジオ・ミュージシャンのギタリスト
として当時にもその界隈で名を轟かせていたポール・ジャクソンJr(ある
意味ではレイパーカーJrとは真逆の引き方をするタイプ。)
アルバムなんかのテープをもらって聴いて弾いてみたりもしたっけ。
彼は、3年ぐらいには Rhodes を最初からステージで弾いていた。
これぞソウルの肝である。(マルチ・チェンバーなどではない。)
そして、彼のエレピの響かせ方は当時から秀逸であった。
と、それをすぐ傍でで聴いていた時から、そうわしは記憶している。
また、それ以前に一緒にステージに上がっていた時もあったように記憶
している。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?