中野

《Musician friend、 あるいは知人》 の紹介。

中野雅仁

 平井堅 の「楽園」の大ヒットでも知られるProducer

また世界レベルにはある卓越したキーボード・プレイヤーであることは

基本、バックアップを仕事としており、それなので脚光を浴びていても、一

般の人にはそれほど知られてはいない。、キャリアの上では、

知る人ぞ知る存在でもうベテランの域に入っている。


*ちなみに彼は学校がわしと一緒で、同期のキャリアを持つ知人である。

この子の学校の同期には、わし自身を含めて少なくともおよそ3人が

(「後に、」も含む。)

プロフェッショナルのアーティストとして活躍した。彼は、その時から

群を抜いてブラック・ミュージックの素養と解釈の消化が良く(主にソウル・

ミュージックの解釈。)、素晴らしい才能を持っていた。楽譜なしに、即興

で本物のジャズが弾けるキーボーディストであったので、ともに高校生で

あったのだけれども、彼はその時すでに業界で働いていたかな。でもう一人

の友人A-君(インディーでレコードを出していてセミプロ。事務所は別。)

と、「スゲーな、中野(の才能)!」と言い、俺らももっと鍛えようぜ、

といふ乗りで、一緒に渡辺克己さんとこの教室行ったりしたのじゃった。

ところで、その頃のわし、ブラ・コンにものめりこみ始めており、

レイ・パーカーJrの(彼は、producer でもあるが良きギタリストである。)

ギター・ワークが好きで、「彼のギターの弦高は相当高い。(*ジャズの人よ

り高い。)」といふことを知っては、「じゃあ、俺もそうやって弾いてみよ

うか。」といふ調子であった。(音が太くても、切れが違ってくる。握力が

相当いるが。)

それで、A-kunからは、スタジオ・ミュージシャンのギタリスト

として当時にもその界隈で名を轟かせていたポール・ジャクソンJr(ある

意味ではレイパーカーJrとは真逆の引き方をするタイプ。)

アルバムなんかのテープをもらって聴いて弾いてみたりもしたっけ。

彼は、3年ぐらいには Rhodes を最初からステージで弾いていた。

これぞソウルの肝である。(マルチ・チェンバーなどではない。)

そして、彼のエレピの響かせ方は当時から秀逸であった。

と、それをすぐ傍でで聴いていた時から、そうわしは記憶している。

また、それ以前に一緒にステージに上がっていた時もあったように記憶

している。

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