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#WayKimforeverの呪縛――『the Shipper』を曲解する

ドラマ『the Shipper』が終わって、もう1週間が過ぎようとしている。

私はといえばこの1週間、ずっとWayKimforeverの呪縛に囚われたままだった。
感情のすべてをShipperに、というかKimとWayに持っていかれている。

翌週から『Still 2gether』始まるし何とかしてこの感情をどこかで吐き出さなきゃ……と思って書き始めたら普通に間に合わなかった挙句、Stillはジオブロックで視聴できなかった。まじかあ……。

『the Shipper』もいつジオブロされるかわからない(怯えるオタクの絵文字)ので、まだ観てないという人がもしいたらどうか一刻も早く視聴を開始してほしい。観た人はスウェット買って一緒に踊ろうね。GMMは円盤を出してください。

とにかく気軽に観れるうちに是非観始めて欲しいし、本当に何度でも観返したいと思える作品だった。

※以下本編最終回までのネタバレを含みます

さて、多くの人が言及していることだけど、あの初期のポップさからまさかこんなForever感情がもたらされるなんて、どうして想像できただろう?

最終回当日、私のタイムラインはまさに阿鼻叫喚の様相を呈していた。

ただ個人的に、二人の終わり方については納得をしている。

死は誰にでも平等に訪れる代わりに、そのタイミングや方法に関してはどうしても平等たり得ないものだ。むしろ、この終わり方が私たちに永遠の欠如(喪失感)をもたらしたことで、WayKimForeverが完成したとすら思われる。

そして一部のフォロワーはお察しの通り、私は「2者間の激重感情」が大好きなオタクだ。

Wayのやりきれなさは苦しいけれど、そこも含めて非常に刺さるものであった。

Kimは目覚めなかったけれど、彼の口からは語られなかったけれど、どうにかして二人の関係を掴む証跡を見出したい。

この先は、そういった目線からWayKimforeverを激重感情として捉えようとした様子を記していきます。

解釈に強めの歪曲/偏向が表れているので、あらかじめご了承ください。
※そういう解釈もできるんだな、程度の話と思っていただけると幸いです。

■Wayの望み

視聴中しんどくなった人も多いと思うが、WayからKimへの気持ちに関しては、彼の台詞のなかでかなり直接的に表現されている。

”I can be anything you want. As long as I am close to you.”

お前のそばにいる限り、俺はお前の望む何にだってなれるよ。

『the Shipper』EP.10 3/4
"Wherever he goes,I will be there too."
彼がどこへ行こうと、俺もそこに行く。

To be honest, I never pictured myself in the future without Kim.
正直、Kimのいない未来なんて考えたこともないんだ。

There is no place I can't follow him to.
俺が彼についていけない場所なんてないんだよ。

『the Shipper 』EP.11 2/4

※性癖に合わせて英字幕から訳しているため、日本語字幕と若干のブレがあります。

彼の望むものになる。どこだって俺は彼の行く場所に行く――それがたとえ宇宙でも。
Wayは明らかに、Kimのことをみずからの「すべて」であると感じている。

そんなWayに対して最終回、Kimは「お前のやりたいことをしろ」と伝えた。
2人がハグするまでの一連のシーンについて、KimであったのかPanであったのかというのは解釈がわかれるところだけど、それがどちらだったとしても変わりはない。
Kimが行き先の違う航空券を用意していたという事実、それ自体がWayに対する「自分の人生を生きてほしい」というメッセージだった。

じゃあ彼が、Wayが望んでいたことは一体何だったのだろうか?

Kimと一緒にいること。
Kimの望むものになること。
少なくともドラマで描かれた時系列において、彼の望みはそれだけだった。

Wayの望みはKimの望む姿になる(そして彼のそばにいる)ことで、Kimの望みはWayがWayらしく生きていくこと。

だからこそ彼は「四本の白いバラ」を手向け、LAに旅立ったのだろう。

彼がLAに行く(自分の人生を生きる)ことにしたのは、その選択こそKimがWayのために必死に作り、守り抜いた道であり、Kimの望みであったからに他ならない。

Kimの望む姿になれる⇒Kimと一緒にいれば

はいつの間にか、

Kimと一緒にいれる⇒Kimの望む姿でいれれば

と逆転し、Wayは「自分らしく生きること」によって、永遠にKimと共に生きていくことを決める。

これがWayにとっての #WayKimforever となったのではないだろうか。

■Kimという人物

対して、Wayに対するものに限らず、シリーズを通してKimの気持ちが(彼のものと確証を持てる形で)語られることはついぞなかった。

では、Kimとはどんな人間だったのだろうか。

印象的なのはEP.10、Wayの父に立ち向かうシーン。

長男だからって世界を背負う必要なんてない
自分で自分の人生を決める権利がある

『the Shipper 』EP.10 3/4



というこの切実な一連のセリフは、Kim自身が誰かに投げかけて欲しかった言葉のように思われる。

長男であることでプレッシャーを感じていたKimは自身の境遇をWayに重ね、自らが犠牲になることで、自分ができなかったこと(自分のために人生を歩むこと)をWayに叶えさせようとしたのではないだろうか。

また、EP.1ではKimが助けたSomkitが「試験用紙を盗まなかった」人物として現れる。このシーンにおいて「試験用紙を盗んだ」人物であるKimは、自分の身を挺してOffを止めることで、彼が守れなかった/持てなかった正義(道徳心)をSomkitに託したともいえる。

美容師になる目標に向かって授業をさぼるKhett(と両親)のため、長男の抑圧から解放されたいWayのため、”正しい”行いをしたSomkitのため。

Kimは自らを犠牲にし、――おそらく無意識化のうちに――他者に自分の「できなかったこと」を託すような行動をとっているように見える。

そして、後述するが、作中ではWayの人生/彼らしさというものがKimによって形作られているとわかるような描写がでてくる。

Kimは境遇の似たWayに自らを投影し、彼に影響を受けて変わっていくWayのことを「もう一つの自分の人生」として捉えるようになっていたのかもしれない。

また、試験用紙を盗む、殴り合いの喧嘩、人の家の窓を割る……と、Wayと出会ってからのKimには「問題行動」が散見される。これらの行動はすべてWayと出会ったことに起因しており(それ以前の彼に関してほとんど描写がないため確証は持てないが)、二人の関係性を通して彼自身のなかにもWayのパーソナリティが浸透していったように思われる。

■「赤い上着」

また、WayとKimの関わりにおいて欠かせない要素の1つ目が「赤い上着」だ。

これに関しては、Flukeが最終回の翌日にツイッターで公開しているのを見た人も多いと思う。

詳しくは彼のツイートと付随する英訳を読んでほしいのだけど、(丁寧に日本語訳してくださっているツイートもあります!)

簡単にまとめると、

・Wayの着ている上着は誕生日にKimがプレゼントしたものである。
・Kimはその上着によってWayが喧嘩を回避できるように願っていた。
(ポケットの中で拳を握る事で怒りを鎮めろ、という)
・Wayはその上着とともに自分のことを想う友人の気持ちを受け取り、その上着を常に着るようになった。

という話。

Fluke自身がWayという人間を作り上げ構成していたという事実、製作陣の作品に対する誠実な向きあい方、そしてKimとWayがお互いにとってどれだけ大切な存在だったか、そういった色々な最高が詰まった、最高のエピソードである。


出会った時とその後で、たしかに着ている上着が違う……!

私たちにとって、そして恐らくドラマ内の登場人物にとってさえも、P‘Wayの象徴ともいえる「赤い上着」。

それすらも、Kimと出会ったことで生まれたイメージであった、ということなのだ。

やはり、Kimと出会ってからのWayの「自分らしさ」は、とことんKimによって構成されてされていると感じる。

■Wayの部屋

そして、上着とも関連してさらに強く「Kimの影響」を感じられるのが、Wayの部屋だ。

彼の部屋が出てくるのは、

①Wayの父にKimが相対するシーン(EP.11)
②PingpingがOffのためにWayを引き止めるシーン(EP.8)
③WayがLAに旅立つ準備をしているシーン(EP.12)

の計3回。(EP.11はワンカットだけ別シーンも)(他にも見逃してたら教えてください……)

①がKimに救われる前の部屋(出会った当初)で、

②③は出会った後(赤い上着後)の部屋。

あまりにも雰囲気が変わっているので最初は引っ越したのかとすら思ったのだけど、よく見ると単純に内装だけが変わっている。

せっかくなので私が精一杯作成した部屋の間取り(のようなもの)も載せておきます。

黄色は移動したと思われるもの。
(ダーツに関してはBeforeにも記載しているけど、実際にうつされてはいないのでKimの影響ではじめたのでは?とも考えられる)(お互いの部屋行き来してたみたいだし)

ちなみにギターはFlukeくんの私物に似ている。
(YAMAHAのFGシリーズ……?アコギ詳しい人教えてください)

Afterの部屋の様子をみると、彼が留学先にLAをあげたのはやはりバスケ(NBA)が理由なのだろう。
棚にはトロフィーも飾られており、Wayはバスケで結構上手くいってるのかもしれない。

彼が応援している選手はコービー・ブライアント(あの神戸牛が名前の由来になったことで有名な)のようだ。所属チームであるレイカーズのパネル、コービーの背番号である24が、窓にまでデカデカと飾られている。

対してBefore、Kimに会う前までの部屋はどうか。

半分しか映っていないため断言はできないが、かなり質素な部屋。バスケの関連物は恐らく置かれていないのではないだろうか。

父親が花瓶を投げた壁にはバンクシーのTV head danceが飾られていた。

そして何よりも、このポスターだ。

お分かりだろうか?

Deenである。

Deenのポスターが飾られている。

棚のサイドにも。

赤い上着が特徴的な、伝説のカリスマ俳優だ。
WayはJames deenに傾倒していた様子。

赤い上着……

Way!!!!!!!!!!!!!泣

いや、これ。

どうだろう。

上着の話を見たとき、Kimにもらった上着って「赤い」って表現されてるけど、そこまで赤くないよな、と思わなかっただろうか?

いうても赤の部分、少なくない?と。

うーーん。

対して、彼が元々きていた上着。こちらは前者と比べてかなり「赤」の占める割合が大きい。

7割近くが赤。こっちの方が断然「赤い上着」である。

これを、

上着における「赤」の割合が減る

Jemes Deenの印象が希薄になっていく

そういう表現として捉えることができないだろうか?

ではここで、James Deenはどのような存在として立場づけられているのか。

Deenと聞いて真っ先に浮かぶのは、理由なき反抗じゃないだろうか。

この作品では若者の鬱屈や反抗、そして親(特に父)との確執が描かれている。父に抑圧され「問題ばかり起こしていた」頃のWayのイメージそのものの映画といえる。
(James Deenはデビュー作『エデンの東』でも父親と不仲な若者を演じている。)

また、このイメージを持ってAfterの部屋に戻ると気になるものがある。

卓上のカレンダーだ。

最初はただの飾りで、Wayがコービーの背番号に合わせた24のモチーフを置いているのかと思っていた。
が、③のシーンで15を示していたことでカレンダーなのだと気づいた。(Kimが購入したチケットの出発日が”2020年2月15日”なので、ここに合わせたのだろう)

だが、②のシーンにおいては、日付自体に深い意味はないように思う。
むしろ、「24」という数字を強調するためにあえてカレンダーと背番号を同じ数字で揃えたのではないだろうか。

作品上で視聴者にバスケ選手の背番号を印象づける必要があるとは思えないし、ユニフォーム、窓の数字、カレンダーは全て、この数字の別の意味を印象付けるために配置されているように思われる。

「24」が映るシーン、部屋を後にしたWayは病院に向かう。そこで彼はKimを探しにきたOffとやりあうことになり、ナイフを使った乱闘が起こる。

『理由なき反抗』のなかで、Deenは不良のバズに絡まれ、ナイフを持ち出した決闘で勝利する。つまりこの乱闘にも、James Deenの影が感じられる。

では、①のシーンにおける24は何を表象するか?

これは恐らく、Deenの享年ではないだろうか。

彼は24歳という若さで命を落としている。
交通事故だ。
青春の象徴であった彼は若くして亡くなり、伝説の俳優となった。

前述のディテール――部屋の内装・上着・24の数字――をもって、過去のWayにはしきりにJemes Deenのイメージが与えられる。
そして同時に、Kimとの出会いをきっかけとして、そのイメージが希薄になっていくように演出された。

彼は、Kimと出会わなかったらどうなっていたのだろう?

父との確執・長男としてのプレッシャーから、傷だらけで喧嘩に明け暮れ、授業をさぼって悪友たちとバイクを乗り回す日々……もしかしたら、Deenのように事故に遭っていたのはWayの方だったかもしれない。

ここでもKimは、明確にWayの人生を、彼の行く道を変えた存在(今のWayを形作った人)として描かれているといえるのではないだろうか。

■他者理解のエゴ

ここまで、KimとWayにとってお互いの存在がいかに影響していたか?ということを主張してきた。
私が彼ら2人の間にそれなりの「激重感情」を見い出していることは伝わっただろうか……。

しかし実際のところ、彼らの関係性はそこまで特殊なものではない。

人と人が交流する際には、大なり小なり何かしらの影響を両者間に与えるものだし、シンクロニー現象やミラーリングという言葉があるように、お互いに対して強い感情をもった親密な二者が自身の自明性を失い同化していく、というのは往々にして起こりうることだ。

そして同時に、どれだけ相手のことを“まるで自身のように”感じ、深く影響を与え合っていたとしても、他者のことを完全に理解することはできない。

『the Shipper』では、PanのShipperとしての葛藤に限らず、全体的にこの点が非常にシビアに描かれていたように思う。

最終回、Wayに関して特にやりきれない――そして多くの人がその残酷さに打ちひしがれたと思われる――のは、彼が事故後のKimをPanだと「気づかなかった」点ではないだろうか。

あんなにもKimを愛し、影響を受けていたWayはしかし、不仲で交流の少ない弟のKhettですら感じとっていた「他人の気配」を察することができなかった。

もちろん入れ替わりなんて突飛な考えに至ることはそうそうできないだろうし、彼が”変わった”こと自体に関してはWayも違和感を覚えている。だが、WayはそのKimの変化を好意的に受け入れ、Kimのものではない言葉・行動によって彼への感情に気付き、Kimの変貌を「よいこと」として受け入れてしまう。

こんなに残酷なことがあるだろうか?

Wayが愛していたKimは、あくまでも彼の解釈した姿に過ぎなかった。
PanがKimに関して「自分の船なのに何もわかっていなかった」のと同じように、どんなに近しく影響を与え合った相手でさえ、自身のエゴ無しに他者を理解することは不可能なのだ。

現実では起こりえない「入れ替わり」という物語によって、「他社理解の不可能性」を極端に誇張して突きつける……。『the Shipper』がその強いフィクション性によって視聴者に伝えたものは、むしろあまりにもリアルな「現実」であった。

ただ反対に、だからこそWayKimforeverは実現することができるともいえる。

Kim自身がいなくなった後も、WayにとってのKimは存在することができる。PanやKhett達にとってもそうだ。
もともと完全には相手を理解できないからこそ、彼らの中の「それぞれが信じたKim」は、本人が存在したときと変わらぬ存在としてあり続ける。

WayがKimを想い続ける限り、彼らは永遠に共に生きていくことができるのだ。

記事内画像参照元:
GMMTV (youtube)
https://www.youtube.com/c/gmmtv

[Eng Sub] The Shipper จิ้นนายกลายเป็นฉัน | EP.8 [3/4]
[Eng Sub] The Shipper จิ้นนายกลายเป็นฉัน | EP.8 [4/4]
[Eng Sub] The Shipper จิ้นนายกลายเป็นฉัน | EP.9 [4/4]
[Eng Sub] The Shipper จิ้นนายกลายเป็นฉัน | EP.10 [2/4]
[Eng Sub] The Shipper จิ้นนายกลายเป็นฉัน | EP.10 [3/4]
[Eng Sub] The Shipper จิ้นนายกลายเป็นฉัน | EP.12 [4/4]

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