全ては一つ
「全ては一つ」
私はそう思っている。
こんなことをいうと、スピリチュアルな感じもするが(もちろんスピリチュアルを否定するものではない)、シンプルに考えて行くと、どうやってもそこに辿りついてしまう。
例えば、ここに、私がいる。
「私はいないかもしれない」
というような哲学的な議論は一旦置いといて、
ここに、私がいる、とする。
私がいるのは、親がいるからであって、フッと突然湧いてきたものではない。
親がいるというのは、祖父母がいるからであって、フッと突然湧いてきたものではない。
といったように、私たちの祖先を辿っていけば、どこまでも続いていく。
そして、もし、私に子供ができれば、それはこれからも続いて行くのだろう。
ポール•ゴーギャンの作品に「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という作品もあるが、私たちはどこから始まり、どこへ向かうのか、それは私には知る由もないが、少なくとも、フッと突然湧いてきたものでない限りは、私個人だけを切り離すなんてことはできず、一連の流れの中の私ということになる。
例えば、ここに、パソコンがある。
私は、今こうしてキーボードを叩いている訳だが、こうしてキーボードを叩けるのも、目の前にパソコンがあるからである。
パソコンが目の前にあるのは、このパソコンを売ってくれた会社、そこで働く人がいたから、私はパソコンを買えたのだ。
そして、このパソコンもまた、色々な部品から出来ており、それぞれ色々な工場で生産したものを組み合わせて作られている。
とすれば、各工場にも、働く人がいて、その方々の親がいて、祖父母がいて、ずっと繋がっていく。
部品だって、様々な資源から作られている訳で、元を辿れば自然界に存在したものであり、自然の恩恵を大いに受けている、いや、自然無しでは人など生きることなど出来ない。
そう考えていくと、この世にあるものを何一つ切り離すことなんて出来ず、自分と近い遠いは別にして、全ては繋がっていることを知る。
「風が吹けば桶屋が儲かる」や、蝶が羽根を動かすだけで遠くの気象が変化するという「バタフライ効果」と言ったカオス理論を考えてみても、それは真実のような気がしている。
この世には、様々な「問題」と言われるようなことが存在しているが、その多くは、この「全ては繋がっている」という感覚が希薄が故なのではないかと、ぼんやり考えている。
もし、全ては一つで、全てが繋がっているのだとすれば、誰かを陥れようとする行為は、結果、自らを陥れるものとなる。
自分が損する、嫌な気持ちになることがわかっていれば、きっとそんなことはしないだろう。
悪を生み出したのは、善なのだ。
「自分がやられて嫌なことは人にはするな」
と小さい頃に、親に口すっぱく言われたが、もしかしたら、親はこの感覚を体感として持っていたのかもしれない。
そして、全てが一つであるなら、逆もしかりで、誰かを助ける行為は、結果、自らを助けることになる。
なんて、偉そうに語ってしまったが、私もまだまだ、個人として切り離してしまうことだってある。
それでも、この感覚を大事にしていくことが、少しでも世界を良いものにするために大事なことなんだと思う。
見ていただけたことが、何よりも嬉しいです!