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だいすきなバンタンさん


会食動画を見た日から、沈んでしまっている。

※ここでは彼らをアーティストというよりアイド
 ルとして捉えています。
※会食動画は信頼するアミさんのフル訳動画を拝
 見させていただきました。公式訳待ちです。

彼らの前途に何ひとつ心配などない。
おまけに77Qでも、ジミンちゃんが心配しないでくださいと言ってくれた。

でも、トータルでは気持ちは沈み、頭の中がぐるぐるしている。

それで、整理のためにこのnoteを書いてみます。

ナムさんの選んだ〝宇宙〟

「このバージョンが、僕の考えるこのバージョンの宇宙の最善でした。」


幼稚園生の頃、私にとって世界は、両親と、友だちと、幼稚園と、その先生と‥それらだけが世界の全てだった。
それから大きくなっていくにつれて触れるものや人が増え、世界といえば、次第に地球儀を思い浮かべるようになった。とても抽象的なものに変化したのだ。

で、ナムさんの「宇宙」を聞いた時、世界より随分スケールが大きくなっているけどそれは銀河のイメージを指すのではなく寧ろ、幼稚園生にとっての世界と近い気がした。幼稚園生がそれしか知らない、という意味で世界を指すのとは少し違っていても。

私は、ナムさんの「宇宙」が、家族であり、友達であり、パンPDであり、メンバーであり、BTSそのものを指している気がした。(そこに、もしかしてARMYが入ってたり‥したらこの上なくうれしい)。宇宙はナムさんが愛する、守りたいそれぞれの存在の総称なのかなあ、まさに、you're my universeのように。

ナムさん(7人)がマルチバース、並行世界でありうるバンタンの未来を思いつく限り考え抜いて、その中には解散やグループ活動休止や、このまま走り続ける選択肢も挙げられたと思う。

平凡な会社員としての人生があったかもしれなくても、もうそうはなれないから。音楽をつくる人になって、デビューして、今の場所にたどり着いたことは変えられないから。

数多ある並行世界の、〝バンタンが歩んできた〟、このバージョンでの、ナムさんの〝宇宙〟を守るための最善策が、こうだった。休みたいということすら罪のように感じてしまうなかで。


こんな言葉まで、引き摺り出してしまったのが、そこに紛れもなく自分が加担していた事実が、私はいちばん重たく受け止めている。


相手に求めるのは

正直バンタンに出会って人生が変わった。love my selfを、水をごくごく飲むみたいにまっさらに受け取ることができるようになって、「いつもしあわせでいてね、あなたの好きなようにしてね」という言葉を周囲に伝えるようになり(ファンダムの中でもそれは頻繁に感じて泣いてしまうほどやさしい)、果てには様々な国の事情まで考え、知らなければと思ったりすることまで。

バンタンにもらった感情たちは、子どもを授かるとか、人生を走り切った後にしか得られないんじゃ無いかと思うようなものばかりなのだ。


でも、そういうことをひっくるめて、例えば握手会に行けて一言だけ彼らに伝えられる時に、「あなたたちに出会って人生が変わりました、ありがとう」というのはもしかして重いんだろうか。ありがたく思ってくれる可能性だってあるけど、私のように人生が変わった人たちは大勢いる。その数を全て受け取ったら、言葉に意図しないほどの質量が伴い彼らにそれを背負わせることになりはしないだろうか。重圧にならないだろうか。

彼らはいつも楽しそうに一緒に仕事をしてくれる。撮影の合間に指相撲してはしゃぐのを見て、あんなに大きくなったのにそんなことで盛り上がっちゃって〜なんて場面いくつもあった。彼らの仲が良いのは真実だと思う。個性の違う7人が、喧嘩とその日中に話し合うという労力と時間をかけて、年月を重ねて努力してそうなってくれたからだろう。

今でも、宿舎時代の話が飛び出せば欲しがってしまう。旅行なんかで一部屋に何人も集まっていれば嬉しくなり、一人で過ごしているところを見て少し、物足りなく思ってしまった。

ルイヴィトンのアンバサダーになった時、7人一緒でよかった!7人でなきゃ!ルイヴィトンがグループのアンバサダーを採用したのは初めてだって!と歓喜する声を沢山聞いた。私もそうだった。

彼らがふらつきながらなんとかステージを全うする姿を、YouTubeで、 memoriesで、映画で、何度も見た。心配しつつ、それでもステージをしてくれてありがとうと言い、フラフラなメンバーを誰かが支えれば美談として受け取った。

一日Twitterから離れたら浦島太郎になるような供給を産んでくれているのを実感しているのに、仕事しすぎじゃない?なんていいながら平気で次のアルバムとステージを期待し、大好きなゲームを思う存分してねだなんて都合のいいことを思っていた。

大変な仕事の時ほど、「苦労もしたけど、その分アミが喜んでくれると思います」なんて言って、水浴び放題回のタリョラでは窓の外が快晴から真っ暗になるまでずっと爆笑必須の撮影に挑んでくれた彼ら。

道を歩けない彼ら。年越しやクリスマスでことごとく人前に立ち、二度とない貴重な時間を捧げてくれるプロのアイドルの彼ら。

彼らに出会ってから「いつもしあわせでいてね、あなたの好きなようにしてね」と思っていたはずのに。彼らがしあわせならそれ以外何もいらないと思っていたはずだったのに。

最果タヒさんの少女ABCDEFGGHIJKLMNを読んでいたら、「愛は、愛を持てた人が幸せで、そこから欲望になるのは、そもそもあった欲望が都合よく愛を盾にしただけ」という一文があってぐっさりした。いつの間に私は、彼らをだいすきなふりをして、欲望を振り翳していたんだろう。彼らを追い詰めたのは、過密なスケジュールと、それを望んだ自分だ。


どんなファンになれば、

このままじゃ絶対ダメだ。
彼らを応援するときもしかして僅かな力になれるかもしれなくとも、彼らの負担になりたかった訳じゃない。推し方を変えなきゃいけない。

彼らが声を上げてくれてからという、全くもって後手の形になるけれど。


考えてみて、私の最大限の答えが「一人きりで幸せになること」だった。

バンタンに限らず、誰かと会えたから、あの人と電話ができるから、とかそういう、人を起点にした幸せはその瞬間存分に享受してもそれ自体を幸せの理由にしないこと。
まあ、生きていて一人きりなんて完全には当たり前だけど無理だ。だから、小説を読むとか、美味しいレストランに行くとか、人を介していてもそういうところに制限はつけない。一対一とか、その人の行動によってもたらされる幸せを対象にする。

いつか、ゼクシィのキャッチフレーズに「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」というものがあって当時多くの人が頷いたんじゃないだろうか。
この状態になりたいのだ。一人でも、あなたがいなくてもつつがなく生活し、ちゃんと私は幸せだけど、それでも私はあなたがいる世界がいい。ゼクシィのものとちょっとズレてしまうけどこんな感じ。


そういう風になれたら、大好きな友人や恋人に同じ過ちを繰り返さずに済むんじゃないかな。
その時は晴れて、バンタンを健全に推せるんじゃないかな。


今のところ、これが私の結論です。
め〜〜ちゃくちゃ難しいだろうけど、でもちょっとずつがんばろうと思います。
そうして、胸を張ってARMYって言いたいなあ。


バンタンさん、激重激長文章になってしまいましたが。

あなたたちのことがだいすきです。
今まで苦しめてごめんなさい。私はちゃんと、一人で幸せになります。
どうか、あなたたちのしあわせな瞬間が一つでも多くありますように。

#防弾少年団
#バンタン
#会食動画

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