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じゃあね


図書館で借りてきた本みたいに、その時は知りたくて仕方ない浮き立った気持ちも、なんだかもう手に入れた気になって、ちょっと読んだだけで満足してしまうあの感じに似てる。
いつのまにか春の匂いがして生あたたかい風が髪を捲る、わたしたちは春をやるための共犯だった。
ふと思い出に触れる瞬間に切なくなるのは、殆どでたらめな笑顔に、ほんの少しの本当を見つけてしまったから?
あなたの嘘に気づいて気付いてない振りをしてあげたのに本当になんてならなかった。嘘つきはわたし
ずるい人が魅力的に映るのは失うものがないからなのかしらね、
わたしはわたしを、あの時傷ついた女の子を救いたいだけなんだよね

さようなら、という言葉が好きだ。ひんやりと何処か温もりを感じるその言葉は日本人特有の奥ゆかしさを感じる。
左様なら。「左様なら仕方ないですね、」という誰かと誰かの間で生まれた距離が語源らしく、素晴らしく美しい別れの惜しみを表現している。できることならいつかまた会いたいと願っている、あえて言葉にせず相手を想いながら出たひと言が別れの言葉として使われているのが、なんとも切ない。
こうした背景を知ることでより好きになることやものってこの世にたくさんあるんだろうな。
深い意味を持たせて伝えたり受け取ったりするので本心が伝わりにくい、私の悪い癖。ふと零れた言葉の方が自分も気づけなかった本心だったりもするし、私にとって言葉ってすごく深くて広くて知れば知るほど分かりたいし分からない。
そこのリモコン取って。も、すきな言葉。
好きな人とする昨日見た夢の話、好きな味噌汁の具の話、取り留めないやり取りって愛だなぁって思う。
四季の中で春が1番好きです、花粉症だけど。
ふわふわした空気と何かが始まる予感がしてワクワクするこの感じが。
でもきっと、終わりだとも思う。終わるからこそ始まるんだし。終わりと始まりが重なるこの季節が、矛盾が共存する特別な瞬間が。あっという間に過ぎ去っていってしまうけど、足りないくらいがちょうどいいよ、何事も。

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