精神(笑)

精神の不調などというが、精神という言葉は指す意味合いが根性や気合いなどといった所謂「努力論」系と近すぎるように思える。いや、近すぎる分には一向に構わないが、そうである以上現状、使う場面をミスっている。私的には、精神というのは一般的に、健康が前提で繰り広げられる気持ちの高揚具合のことを示しているように思える。だから精神状態が悪い=健康なのに気持ちの高揚感がない、つまり努力不足だの甘えだの怠けだのサボりだのと言われるのではないだろうか。

間違っている。この語弊満載な言葉をれっきとした医学で使うのは極めて相応しくないと思わないか? 鬱病も適応障害も甘えなんかとは全くかけ離れた、脳の神経伝達物質の異常と説明がついているのに、精神科という名前のせいで何の関係もない余計な印象を与えるのは本当に良くないと思う。見えない前提が付着した精神という言葉を医学界で使うのはやめて、何か別の新しい案を出してもらいたい。彼らは決して怠けてなどいないのだから。

疾患でも何でもない、「本当にただの甘え」というのもそれとは別に存在するだろうが、そもそも知りもしないくせにそんなこと他人に向かって簡単に言うものではないことぐらい分かるだろう(分からない奴が多いのが遺憾であります)。

余談だが、私は努力論的な言葉を聞くといつも坊主頭の学ラン野郎が汗を噴き出しながらなにか大声で叫んでいるのを思い浮かべる(想像力が豊かすぎる)。

身体が弱い人間に対して身体が強い人間がマウントを取ることはない。甘えだと罵ることもない。病弱なのはお前の自己責任だなどと言う奴もいない。それは人道に反していると誰もが理解できる。しかし精神の不調を抱えた(こんな言葉は本当はもう使いたくないのだが)人間に対しては徹底的に追い詰めていじめて嗤うのが人間だ。それは社会で生きていく上での障害がこれに関しては目に見えないものであることに加えて、「メンタルがやられてる」「心が弱い」のような不適切な言葉を使えば誰だって自己責任、個人の努力で何とかなる問題だと勘違いしてしまうからだ。身体が健康なのに、手を抜いて楽をしようとしていると見られてしまうからだ。正しい理解もしないまま、高圧的に説教をしたがり、目に見えない弱いものを持つ者ならいじめてもいいと思っている人間が多いのは本当に胸糞だ。

そもそも本当に心が弱いんだとしても、それの何がいけないのかまったくわからない。それよりも鈍感で他人を平気で傷つけるような人間の方がよっぽど問題があるように思える。せっかく感受性が人より豊かに生まれたなら大いに武器として活用できる筈なのに、マイナスの面しか持たせない社会に憎悪が芽生える。

本当に甘えている人間は自分は甘えなんじゃないかと悩んだりしない。周りに比べたら大したことなくても、十分恵まれていても、自分にとってつらいことはつらいと言っていい。それでも社会はクズというレッテルを貼らなければ気が済まないらしい。そうでもしなければ自分達の苦労が無駄になると思っているのだろう。だから苦労も努力も全てそれぞれが望む結果としてきちんと返るべきだ。そして仮に苦労も努力もできなくても、生きていくことすら困難にさせるような狭苦しい世の中であってはいけないのである。

最後に、数ヶ月前の私のツイートを。

努力してる人はちゃんと報われるべきだと思うし、努力できなくても攻撃されない世の中がいい、だいじょうぶだよいっしょにゆるくやっていこうねって言われたい
2022/3/25 @8GcVy

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