『異星の客』読書メモ~grokをgrokするために

金の美しさ

 事務総長ジョセフ・エジャートン・ダグラスから、郵便になった小切手帳と書類がとどいた。水兄弟のジュバルが苦労して、彼に金というものがなんで、どう使うものか説明した。マイクには理解できなかったが、それでもジュバルは、彼に小切手の切りかたを教え、小切手のかわりに現金を与えて、その算えかたを教えた。
 そこで急に、彼は身ぶるいするくらいのまぶしさをおぼえながら、金というものを理解した。このきれいな絵やピカピカのメダルが金なのではなくて、それはこのひとびと全体に、この世界全体にひろがっているある考えかたの象徴なのだった。ここにある品物が金なのではない。ちょうどわけあった水が、和合生成するということそのものでないのと同じだ。金はひとつの考えにすぎない。ある長老の考えがそうだったように、抽象的なものなのだ。金というのものは、バランスをとり、癒し、和合生成するためにつくられた巨大な象徴なのだ。
 マイクは金というものの堂々とした美しさにまぶしさを感じた。
 このシンボルの流れと変化と逆流が、小規模ながらも美しかったし、火星で子供たちに理性をあたえ生長させるのを促すために教えていたいろいろなゲームを思いおこさせる。しかし、彼にめまいを感じさせるのは、その全体性であり、全世界がひとつの動的なシンボル構造を反映しているということだった。マイクはそこで、この種族の長老たちは、こんな美しさを組みたてたのだから、よほど本当に古い長老にちがいないとgrokし、そういう長老に会うことを許されたいと、つつましく願ったのだった。(p.414)

悪党と聖者、利他主義

「(…)ジル、この世をつつむあらゆるたわごとのなかで、利他主義という概念は最悪だな。人間はいつでも、自分のやりたいことをやる。人間が選択をせねばならぬ苦痛がおきたとき、その選択が自己犠牲のように見えたとしても、そんなものは強欲によっておこる不快感以上に高貴だということはないと、断言してもいいな。両方を手にいれることができないときに、ふたつのどっちかを選ばなければならんという必要だけさ。ふつうの阿呆だって、この一ドルでビールを飲もうか子供のためにとっておこうかという選択にいつも苦しんでいるし、おきて仕事にいこうか失業しちまうかという選択に苦しんでいるんだ。ただ、いつも苦痛が最小で快楽が最大なものをえらぶ。悪党と聖人は、そいつをもっと大きな規模でえらぶんだ。ディグビーがやっとるようにな。聖者にしろ悪党にしろ、あいつはあわてる乞食の愚をやる人間ではないな」
「ジュバル、それで彼はそのどっちだと思うんです?」
「ちがいがあるかね?」
「まあジュバル、あなたの犬儒主義はポーズだけだわ!もちろん、ちがいはあります」
「うーん、そう、ちがいはあるな。わしはあいつが悪党ならいいと思うよ。聖者というやつは、悪党の十倍も悪影響をおよぼすことができるからな。いまの最後のせりふだが、犬儒主義というだろうな――だが、そういうこと自体がまちがっているようなものだ。(…)」(P.450)

宗教

「(…)聖書というものは、こういう話がいっぱいはいっとる。胸もむかつくような犯罪が、天の命であり、天の許すものだとはっきり書いてある……たしかにそれとともに、社会的行動としてはっきりした常識や役にたつルールもあると認めねばならんがね。わしはなにも聖書をこきおろしとるのではないぞ。たしかにヒンズー教徒のあいだで聖典としてとおっているわいせつな紙くずみたいなものとはちがう。いや、ほかにもそういう宗教はいくつもある。ただ、わしはそういうものを非難しているわけではないぞ。そういう神話のひとつが神の言葉だということもありうる。つまり、自分の牧師をからかっただけで、四十二人の子供をばらばらにしてしまうような偏執狂的な存在が、真の神なのかもしれん。ひらきなおった聞きかたをされても困るよ。わしはその任ではないからな。ただ、わしのいいたいことは、フォスターの新啓示派は、聖典としては甘く明るいものだということだ。ディグビー大司教の守護神はいいおっさんだよ。彼は人間を幸福にしたい。地上での幸福に天国での永遠の至福をおまけにくれる。肉をこらしめろとはいわないのだ。それどころか、肉体は巨視的経済単位なのだ。飲む打つ買うが好きで踊りたかったら、教会へきて、聖なる庇護のもとでやれというんだ。良心のとがめなしにやれ。楽しめ!思う存分生きろ!幸福になれ!」
 ジュバルは幸福そうな顔をしてはいなかった。「もちろん、そのための代償はある。ディグビーの神は認められることを要求している。その言葉どおりの幸福をことわるようなばかものは、罪人であり、どんな目に会おうと当然だ。しかし、このルールはどの神にも共通なことで、フォスターとディグビーを責めるわけにはゆかんな。彼らの宣伝する特効薬は、あらゆる点から見て正統的宗教のものだよ」
「ボス、あなたは半分入信してしまったような口ぶりですわ」
「とんでもない!わしには蛇踊りは楽しくないし、群衆は軽蔑しとるし、阿呆どもに日曜にはどこへいけなんていわれんぞ。わしはただ、きみがあの連中を悪だと批判するのに反対しとるだけだ。文書としても新啓示派は水準ぐらいにできているし、それも当然だな。他の聖典から盗んでつくりあげたものなのだから。内的倫理としては、聖典には世俗的基準はあてはめられないが、新啓示派はここでも優れているといわなければならない。自己矛盾ということがほとんどないからだ。旧約聖書を新約とつきあわせてごらん。仏典とその他の仏教書とまぜあわせてみればいいんだ。倫理という面では、フォスタライトはフロイド的倫理を砂糖でつつんで、心理学をそのまま受けとれない大衆にあたえた。もっとも、これを書いた――失礼、“霊感によってこれを書いた”助平爺いが、そこまで知っとったかどうかはわからんよ。彼は学者ではなかったからな。しかし、彼は時代の波に合っていた。彼は時代精神の口を開いたのだ。不安と罪の意識と信念の欠如――これをどうして見のがせる?(…)」(p.456)

汝は神なり、信仰

 ある日、アパートにジルが帰ってみると、彼がなにもしないで、本にかこまれていた。山のような本だった。タルマッド、カーマスートラ、いろいろな形のバイブル、「死者の書」「モルモンの書」、パティが大事にしていた「新啓示書」、いろいろな「黙示録」、コーラン、「金枝篇」の完本、「道」、「聖書にいたる手引付の科学と健康」その他大小さまざまのいろんな宗教の聖典が一ダースもあって、クローリーの「掟の書」まであるという奇妙さ。
「どうかしたの?」
「ジル、わたしにはgrokできないんだ」
(「待つのよ、マイケル。満ちるのを待つのよ」)
「待つことで満ちるとは思わない。どこがいけないか、わかっているんだ。わたしは人間ではなくて、火星人なんだ。まちがったかたちの肉体をもつ火星人なんだ(中略)わたしには人類がgrokできないんだ。この宗教がたくさんあるということが、理解できない。(中略)火星人のあいだでは宗教はひとつしかないといえばいいんだな。しかも、それは信仰の問題ではなくて、確信なんだ。grokできるだろう?“汝は神なり”なんだ」
「ええ、grokしてるわ」彼女も認めた。「火星語でね。でもねえ、英語では同じ意味を伝えていないのよ。なぜだか、わたしにはわからないけど」

(中略)

「たしかにフォスタライト教徒も、相当なものだよ」マイクはいった。「もちろん、すっかりねじまげてしまっているがね。わたしがカーニバルでやっていたように、彼らもいわば手さぐりでやっているんだ。彼らが自分たちの誤りを正すことはないだろう」彼はパティの本を宙に浮かせて見せた。「こいつは、大部分がたわごとだから」
「そうよ。でも、パティにはそういうところはわからないのよ。なにも知らないまま、すっかりまきこまれているのよ。彼女も神で、それらしくふるまっているけど……ただ、彼女は自分がそうだということを知らないのよ」
「そう、そうだな」彼も同意した。「それがわがパットなんだ。彼女は、わたしがちゃんと力をこめて話したときだけ、それを信じる。でもジル、見るべきところは三つしかないんだよ。科学については、わたしはまだ巣にはいっているうちに、宇宙の動きかたについては人間の科学者がまだ手に負えないようなことまで教わってきているんだ。空中浮揚のような初歩的な実験についてさえ、人間には説明してやれないくらいなんだ。別にその科学者たちを軽く見ているわけではないよ。彼らのやることは、当然やるべきことなんだ。わたしには完全にgrokできる。ただ、彼らの求めているものは、わたしの求めているものとちがうんだ。砂漠をgrokするのに、その砂粒を数えてもだめだよ。そこで哲学がある――すべてにとりくむ学問ということになっている。だが、そうだろうか?これまでに思想を発表した哲学者は、すべてその思想を生きてきた――自分たちの推測を自分たちの結論で証明した自己欺瞞の連中は別だがね。たとえばカントだ。それに、その他の亜流。だから、答はここにあるはずなんだ」彼は本の山に手をふった。「ただ、そうでないんだよ。真実とgrokできる断片はあるが、ひとつの型にまではならない。もしそういうものがあったとしても、彼らはつらい信仰を必要とするんだな。信仰!なんて汚ない単語だろう。ジルは、行儀のいい相手に使ってはいけない短い言葉を教えてくれたとき、なぜこの言葉を教えてくれなかったんだい?」(p.546)

「ちがうよ。スティンキーに教わったんだ。彼の話では、これがいちばんひどい異端の言葉だそうだ。彼の信仰からだよ。マイクが翻訳したのが“汝は神なり”だが、マームドにいわせると、これは翻訳に近いともいえんくらいのものだそうだ。宇宙にその自覚を求めるとか、全然悔悟色のない悔悟とか、その他一ダースもの意味があるそうだ。スティンキーは火星語でもその意味がわからんといってる。ただ、悪い言葉で、彼の考えではいちばん悪い言葉だろうというんだ。神の祝福というより、悪魔の挑戦に近いんだとさ。(…)」(p.600)

「人間は笑う動物だよ」(p.252)

「ジル、わたしには人間がgrokできたんだ!」
「えっ?」(「? ? ?」)
(「小さな水兄弟、わたしの言葉はまちがっていない。grokできたんだ」)「ジル、いま人間をgrokしたよ……小さな兄弟……いとしいひと……生きのいいあんよと、かわいいわいせつで挑発的でいやらしくて放埓なリビドーをもっているいたずらっ子……みごとなおっぱいと生きのいい尻……やさしい声とやさしい手。かわいいきみ」
「まあっ、マイケル!」
「ああ、言葉は知ってたけど、いつ、なぜこういう言葉を使うのか、どうしてもわからなかったんだ。それに、なぜきみがこういう言葉をいってもらいたがるかもね。きみを愛してるよ。わたしはいま、愛するということもgrokできたんだ(中略)わたしの聞いたことのない笑い話をして、わたしがちゃんと笑うべきところで笑うかどうか、見てくれ。きっと笑うよ、自信があるんだ。それに、なぜおかしいか、説明するよ。ジル、わたしは人間をgrokしたよ」
「でも、どうやって?わたしに話してくれられる?火星語でなければだめ?それとも、心のなかの対話?」
「いや、そこが問題なんだ。人間をgrokしたんだ。わたしも人間なんだ……だから、人間の言葉で話せるよ。なぜ人間が笑うのか、見きわめたんだ。人間はつらいから笑う……つらさをとめる、それがただひとつのやりかただからだよ」

(中略)

「(…)もちろん、おかしくはなかった。悲劇だよ。だから笑わずにいられなかったんだ。檻にいっぱいの猿を見て、急にわたしは、自分の同族のところに帰ってきてから、見たり聞いたり読んだりした、意地の悪い残酷な、全然説明のつかないことのすべてが目に浮かんできたんだ。そこで、急にあまりつらくなって、笑いだしているのに気がついたんだよ」

(中略)

「しかし、きみたち女があのショーのいちばんいいところだったよ。いまgrokしたんだが、もしみんなが笑ったら、きみたちは悲しんだろう。そうだ、道化師がつまずいてころんだときに笑った……あるいは、別のなにかよくないことのときに笑った(中略)わたしもまだ完全にはgrokしていない。でも、なにかきみが笑うようなことをさがしてくれ。冗談でもなんでもいい。とにかく、微笑ではなくて、腹から笑うようなことだよ。そうすれば、そのどこに悪があるか、おたがいにわかるよ。それに、悪がないのにきみが笑うかどうかもわかる」彼は考えた。「猿が笑うことをおぼえたら、人間になってしまうだろうとgrokするね」

(中略)

彼女はきびしくいった。「どうやら尻もちをつくのが、あらゆるユーモアの最高らしいわ、マイク、これは人類のあまりいい面を語ることではないわね」
「ああ、しかしそうなんだ!」
「えっ?」
「前にはおかしいというのはいいことだと考えたし、そう教わったんだ。ところが、そうではない。そうなった身になってみれば、おかしくなんかないんだ。ズボンが消えてしまった、あの保安官みたいにね。いいことというのは、笑うこと自体にあるんだ。わたしはそれを、勇気であり、苦痛と悲しみと敗北に対して同情することだとgrokする」
「でもマイク、ひとを笑うのはよくないことよ」
「そう。だが、わたしはあの小さな猿を笑ったんじゃない。わたしは自分たちを笑ったんだ。人間を笑ったんだ。そこで急に、自分が人間だったとさとり、笑いがとまらなくなったんだ」彼はひと息ついた。「きみには火星のことをいろいろ話したが、きみは火星でくらしたことがないから、説明しにくいんだ。火星には笑うようなことはなにもない。われわれ人間にとっておかしいようなことは、すべて火星にはおこりえないか、おこることが許されないことばかりなんだよ。ねえ、きみたちのいう自由というものも、火星には存在しない。なにもかも長老が計画しているんだ。いいかえると、この地球でわれわれが笑うようなことが火星でおこっても、むこうには悪がないから、おかしくはないんだ。たとえば、死がそうだよ」
「死は笑いごとではないわ」
「だったら、なぜ死をたねにした笑い話があんなにたくさんあるんだい?ジル、われわれ人間にとって、死は笑ってやらずにいられないほど悲しいことなんだよ。あのいろんな宗教というやつも全部――たがいにいたるところで矛盾しあっているが、それぞれが人間が死に向かっていることを知りながらも笑えるように、勇気づけるのに役にたつやりかたでいっぱいなんだ」

(中略)

「(…)信仰によらない第一のまちがいない事実は、あらゆる信仰は真実であるということかもしれない」

(中略)

「あのひとたちは、あんなに不幸になる必要はないんだ(中略)苦痛と病気と餓えと争い――そのどれひとつとして、必要なものはないんだ。あの小さな猿どもみたいに、ばかげているよ(中略)いま、わたしには彼らがgrokできたし、彼らに話すことができる。ジル、わたしはいつでも、芸をやって客を笑わせることができるんだよ。自信があるよ(中略)ジル、牧師になるにはどうしなければならないんだい?」(p.552)

ロダン評、芸術論

「もうひとつ意見を聞く。この青銅像をどう思う?」
 アンはロダンの傑作を見て、ゆっくりいった。「はじめて見たときは、おそろしいと思いました。でも、わたしの見たもののなかで、いちばん美しいものかも知れないという結論に達しました」

(中略)

「(…)だれにだって、美しい女は見える。芸術家は美しい女を見て、彼女がなっていく老婆を見ることができるのだ。もっと優れた芸術家は、老婆を見て、彼女の昔の美女を見ることができる。大芸術家は、老婆を見て、そのままの姿をうつして……しかも見るものに彼女の昔の美しい姿を無理に見せてしまえるのだ。それだけではない。大芸術家はアルマジロ程度の感受性しかない人間にも、この美しい娘がまだ生きていて、朽ちかけた肉体のなかにとらえられていることを見せることができるんだ。容赦ない時間がどんなことをしても、心は十八歳より年をとらない娘なんて、この世には生まれなかったという、静かな無限の悲劇を、見るものに感じさせることができるんだ。ベン、彼女を見ろ。年をとることは、きみやわしには問題ない――だが、彼女らには問題なんだ。彼女を見ろ!」

(中略)

「いや。こっちのはどうなんです?若い女に見えるけど、なぜねじりビスケットみたいなやつに縛りつけられてるんです?」
 ジュバルは「おのが石のもとに倒れたキャリアティド」の複製を見た。「その像をただのねじりビスケット以上のものにしている量感がきみにわかるとは思わんな――しかし、ロダンのいってることはわかるだろう。ひとは十字架を見ることからなにを得る?」
「ぼくが教会にいかないことは知ってるでしょう」
「それにしても、十字架が意味するものは、たいていの場合残忍さだということぐらい、わかっているだろう。しかも、教会にあるやつは、とくにひどい。ケチャップみたいな血で、その元大工も、まるでキリストが同性愛かなにかみたいに、たよりない男に描いている。彼は同性愛なんかじゃないぞ。彼は元気な男らしい健康な男だった。ところが、たいていの人間にはへたな肖像でもいいものと同じにきき目はある。彼らは欠点は見ないからだ。自分たち心の底の感情から浮かぶ象徴を見ているからだ。彼らに、苦悩と主の犠牲を思いおこさせるからだ」
「ジュバル、あんたはキリスト教ではなかったと思ったけど」
「だからといって、わしが人間の感情に対して盲目だとはいえんだろ?どんなに不細工な漆喰製の十字架でも、そのために多くの人間が殉じていったくらい、人間の心に感動を呼びおこすものなのだ。そういう象徴をつくるのに、技巧は関係ない。ここにあるのも、別の感情的な象徴なんだ。だが、これはすばらしい技巧によってつくられたものなのだ。ベン、三千年にわたって建築家どもは、女の像(キャリアティド)の円柱を使った建築を設計してきた。やっとロダンが、この仕事は女には重荷すぎることを指摘したんだよ。彼は“おい、ばかども、そういう仕事をやらせるなら、色の黒い男の像にしろ”とはいわなかった。そう、彼はその作品で示したんだ。この哀れな小さいキャリアティドは、その重荷に倒れてしまった。彼女はいい娘だ――その顔を見ろよ。まじめで、自分の失敗を悲しみ、だれをも恨まず、神々をも恨まず……しかもまだ、重荷の下に崩折れてからも、肩で重荷をささえようとしている。
 しかし、彼女は悪い芸術を攻撃するいい芸術というだけではない。彼女は重すぎる荷を肩に背負ったことのある、あらゆる女性の象徴なんだ。だが、女だけではないな。この象徴は、愚痴もこぼさぬかたい意志で、重荷におしひしがれてしまうまで人生に苦闘していくあらゆる男女の象徴なのだ。勇気だよ、ベン、それに勝利だ」
「勝利?」
「敗北のなかの勝利だ。これ以上のものはない。彼女はあきらめないんだよ、ベン、自分はおしつぶされてしまっても、まだその石をもちあげようとしているんだ。彼女は、内臓を癌に蝕まれながらも、もう一回給料の小切手をうちにもって帰ろうとはたらいている父親だ。ママが天国にいってしまったから、弟や妹たちの母親がわりになっている十二歳の少女は彼女なんだ。煙にまかれ、退路を火に断たれても持ち場にがんばる電話交換手も彼女だ。成功はしないがあきらめなかった、唄に歌われることのない英雄たちは、すべて彼女なんだ。さあ、まえをとおるとき頭を下げて、こんどはわしの小さな人魚を見たまえ」

(中略)

「では、これだけはマイクがくれたのではないやつだ。なぜこれを手にいれたか、マイクにはまだ話してないよ(…)」
「これならぼくにも、説明はいらないな。かわいいなあ!」
「猫にしても蝶にしても、それだけで充分だ。だが、これにはまだあるんだ。彼女は完全な人魚ではない。そうだろ?それに、人間でもない。自分で踏みとどまろうと選んだ陸にすわっているし、永久に海を見ている。残っているのは、永遠の孤独だ。この話は知ってるね?」
「ハンス・クリスチャン・アンデルセン」
「そう。彼女はケーベンハーヘンの港のわきにある――しかも、彼女はむずかしい選択をしたもののすべてなんだ。彼女は後悔はしないが、その代償は払わなければならない。どんな選択にも代償は払わなければならんのだ。この代償は無限のホームシックだけではない。彼女は完全な人間でもないんだ。高い代償を払って買ったその足を使うときは、いつも鋭いナイフの上を歩くのだ。ベン、わしはマイクもいつもナイフの上を歩いとると思うよ。だが、わしがそういってたと、彼にはいうなよ」

(中略)

「(…)ジュバル、なぜこれだけのものが、だれにでも見られるようなところにないんです?」
「それは、世間が狂ってしまったし、芸術というものは、いつでもその時代の精神を描くものだからさ。ロダンは、この世界が蓋をはねあけはじめたころ死んでいる。彼の亜流は、彼が光と影、マスとコンポジションでやりとげた驚くべき仕事に気づき、その部分だけまねたんだ。彼らが見のがしてしまったのは、この大家が人間の心をはだかにしてしまう物語りを語っていたということだな。彼らは物語りのある絵や彫刻をばかにするようになり、そういう作品を文学的と呼んだ。みんな抽象のほうに向かってしまったんだ」
 ジュバルは肩をすくめた。「抽象デザインはいいんだ――壁紙や床のリノリウムにはね。だが、芸術というものは、哀れみとおそれをわかせる過程なのだよ。近代美術のやっとるのは、偽りの知的自涜行為なのさ。創造的芸術というのは、完全な性交でなければならん。芸術家が見るものに感動をあたえるものだ。それをしないもの、それができんものは、世間を失う。ふつうの人間は、自分を感動させん芸術を買ったりはせんよ。もしそいつが金を払うとしたら、税金かなにかをごまかす金だな」
「ジュバル、ぼくはむかしからなぜ自分は芸術に無関心なんだろうと思ってたんですが、ぼくにはなにかが欠けていると思っていた」
「うーん、だれでも芸術を見る勉強はしなければならんな。だが、理解できる言語を使ってくれるかどうかは、芸術家しだいなんだ。あの阿呆どもの多くは、きみやわしの習える言語を使おうとしないんだな。われわれが連中の追究しているものを理解できないからといって、かえってせせら笑うんだ。なにか追究しているものがあったとしてもだがね。曖昧というのは、無能の逃避場所だよ。ベン、きみはわしを芸術家と呼ぶかね?」
「えっ?あんたは、お祭りのあめん棒みたいなものを書いてる」
「ありがとう。芸術家という言葉は、わけがあって、博士と呼ばれるのと同じように、わしが避けたい言葉なんだよ。しかし、わしも芸術家だよ。わしの作品の大部分は、一度で読みすてにするようなもので、わしのいおうとしとることがあまりにも少ないのを知っとる人間だったら、一度だって読みとおしもせんだろう。だが、わしは誠実な芸術家なんだ。わしが書いとるものには、お客さんにまでとどいてもらいたいという意図がある。彼に効果をおよぼし、できたら哀れみとおそれをあたえたいと……あるいは、少なくとも彼の退屈な時間を忘れさせようという意図がある。わしは自分ひとりの言語によって、読者からなにかをかくしたりしたことはないし、技巧とかなんとかいうたわごとでほかの作家どもの賞賛を狙ったこともない。わしが欲しいのは、お客の賞賛であり、わしのいうことが読者にとどいたから現金がはいってくるということであり、それでなければなにも欲しくはない。芸術のための援助なんて、くそくらえだ!政府に援助されとる芸術家というのは、無能な娼婦だよ!(…)」(p.567)

無政府主義者

「マイクはおとなしい男だ。ひとがとじこめられているのを見ると、心が痛むんだ。同感だな」
 ベンは首をふった。「ジュバル、マイクはおとなしくなんかありませんよ。ひとを殺すことはなんとも思わないんです。しかし、彼は極端な無政府主義者で、人間をとじこめることを悪と思うんです。自我の自由――完全に自我の責任ですね。汝は神なり」
「きみ、そこになんの矛盾があるんだね?ひとを殺すことは、必要なのかもしれない。だが、人間をとじこめることは、その本質に対する侮辱だよ。しかも、とじこめる側の人間の本質に対しても侮辱なのだ」(p.696)

世界の全ての教会 (Church of All World)

「(…)しかし、水兄弟ジュバル、わたしはまだ神の奴隷だし、神の意志にしたがっているし、それにもかかわらず、“汝は神なり、われは神なり、すべてgrokするものは神なり”といえるんですよ。予言者マホメッドは、自分が最後の予言者だとはいってませんし、予言者といわれるのは自分だけだともいってません。神の意志にしたがうということは、選択することも、それによって罪を犯すこともできないロボットになることではありません。したがうということは、わたしのような、われわれみんなのような、宇宙をかたちづくるやりかたに完全な責任をもちうる――もっていることです。天国の楽園をつくるのも、あるいはそれを引き裂いて破壊するのも、われわれのせいなんです」彼は笑顔になった。「万能の神という言葉を借りるとすれば、ひとつだけ神にも不可能があるんです。神は神自身から逃げることはできない。神はその全責任を放棄することはできない。神は永遠に神自身の意志にしたがわなければならないんです。回教は変わりません――マホメッドは責任を転嫁できないんです。責任は神にある――わたしに、あなたに、マイクにあるんです」(p.702)

幸福論

「わしが気にいっとるのは、その戒律なんだ。わしが仕こまれてきた信仰というやつは、だれにもなにも知ることを要求しなかった。ただ懺悔して救われる。それだけで、イエスの腕のなかで安全だというんだ。羊の勘定もできんばかでもいい……そのくせ、結果的には神の選民、ということになり、永遠の至福が保証される。それも入信したからだというんだ。聖書教室にもでなくていいんだし、たしかにほかになにも知る必要がない。この教会は、わしのgrokしとるところによると、そういう入信者は受けいれとらんようだ――」
「あなたのgrokは正しい」
「人間というものは、まず進んで学び、長いつらい勉強にしたがわなければならん。わしはそれが健全なことだとgrokしとるよ」
「健全なだけではありませんよ」サムも同意した。「必須のことです。言葉を知らなければ概念を考えることができないし、戒律はその多岐にわたる恩恵をあたえてくれるんです。喧嘩をしないで生きていく方法から、妻を喜ばす方法まで。すべてこの、自分がなにものであり、どうしてここにいるのか、いかに生きるかを理解する、概念的論理からくるものです。それにしたがって行動することによるのです。幸福というものは、ある存在が行動するようにできているとおりに行動することです。しかし、英語の言葉では同義語の積み重ねになってしまって無意味です。火星語では、それが完璧な行動の指針になるのです。わたしがここにきたとき、癌になっていた話をしましたか?」
「えっ、いや」
「自分でも知らなかったんです。マイケルがそれをgrokして、レントゲンを撮りにやらされたりして、わたしにもはっきりわかるようにしてくれたんです。そこで、いっしょに仕事にかかりました。信仰治療です。奇蹟ですよ。病院では“自然軽減”といいましたが、これは“治癒”ということだと、わたしはgrokしてます」
 ジュバルはうなずいた。「専門家の二枚舌だな。癌には消えてしまうものもあり、われわれにはなぜかわかっていない」
「わたしの場合は、なぜだかわかってますよ。そのころには、わたしも自分の肉体を支配することができるようになってました。マイクの助けで、わたしは傷んだところをなおしたんです。いまなら、助けなしでもできますよ。心臓をとめるのを、聞いてみたくありませんか?」
「ありがとう、だが、それはマイクのからだで知ってますよ。わしの尊敬する同僚のクローカー・ネルソン医師も、あんたのいうのがいわゆる信仰治療だったら、ここにはこなかったろうな。あれは自覚制御というやつだな。わしもgrokしているよ」(p.715)

パティ

 ジュバルは、パティはちょっとおかしいが、いい人間だと思った。彼はちょっとおかしいくらいの人間のほうが好きだった。「地の塩になる」というやつには、彼は退屈する。それにおかしすぎるほどでもないと、彼は訂正する。(p.720)

もらうこと

「(…)ジュバル、わたしには客というものがわかってるんですよ。最初はわたしも、無料で説教したんです。だめでしたね。われわれ人間は、かなり進歩してからでなければ、ただの贈りものをもらって、その値うちを知るということはできないんですよ。わたしは、第六サークルにいくまでの人間には、なにひとつただではあたえないことにしたんです。そのころには、彼らにも受けいれることができるようになる。それに、なにかをもらうということは、あたえるよりずっとむずかしいことなんです」
「ふうん、なあ、きみは人間の心理について、本を一冊書いてもいいくらいだぞ」(p.735)

女というもの、善と知恵

「(…)わたしが話をして、しかもそれをgrokしてくれて、それにまいってしまわないとわかっている相手は、人間ではあなただけなんです。ジルは……ジルはいつでもgrokしてくれます。でも、わたしを傷つけるようなことなら、彼女をもっと傷つけることになるんです。ドーンも同じです。パティは……そう、パティはいつもわたしの悲しみをのぞいてくれることができますが、でも彼女は、それを自分のなかにとじこめてしまうんです。あの三人は、わたしが自分ではgrokできないし、それをわけあうまえに味わってみることもできないようなことを、彼女たちとともにわけあうのには、彼女たちはわたしのためにあまりにも傷つきやすすぎるんです」マイクはいやに分別くさい顔になった。「懺悔ということは、必要ですよ。カトリックはそれを知っている。彼らは、それに耐えられるたくましい男の一団をもっています。フォスタライト派には、集団懺悔というのがあって、内容をたらいまわししてうすめてしまう。わたしもはじめのうちは、浄化するための懺悔をとりいれる必要がある――いや、われわれにもそれはあるんですが、巡礼としてはいってきた連中が、もうその必要がなくなってからの自発的なものだけなんです。そのためには、強い男たちが必要なんです。罪がすでに実際の悪には関係なくなっていて、しかも罪人たちの罪をgrokするもの――しかもそれを罪人とともにgrokすると、心が傷つくことによって……。わかってるんです」
 マイクは熱心に話をつづけた。「善だけではだめなんです。いつでも、善だけでは不充分です。わたしの最初のまちがいのひとつは、それでした。火星人の間では善と知恵は同じものでした。ところが、われわれの場合はちがう。たとえばジルです。わたしが彼女と会ったとき、彼女の善は完全なものでした。それにもかかわらず、彼女の内部はすっかり混乱していて、わたしはもう少しで、彼女をだめにしてしそうになってしまったんです。ふたりがたちなおるまえは、わたしまでそれに巻きこまれて、だめになってしまうところでした。わたしたちを救ってくれたのは、ひとえに彼女のしんぼう強さ、この惑星ではめずらしいしんぼう強さのおかげで、そのあいだにわたしは人間になることを習い、彼女はわたしの知っていることを習ったんです。
 しかし、善だけでは絶対に不充分です。しっかりした冷たい知恵が、善をなしとげるためには必要なんです。知恵のない善は、つねに悪をともないます」(p.736)

死とは、汎神論

「(…)みんな分裂して、もう一度やりなおす列の後尾についてます。それはそうと、ジルがこれまでいやがっていたのに、心から賛成するようになったのは、そこのところをgrokしたからなんですよ。やっと彼女も、人間を殺すことは不可能なんだと、完全にgrokしたんです。つまり、われわれがやっていたのは、レフェリーが不必要な手荒さで選手をひとりゲームからはずすのとそっくりなんです」
「マイク、神のまねをやったりして、怖くはないのか?」
 マイクは恥ずかしげもなく陽気な笑顔。「わたしは神ですよ。汝は神なり……わたしが追放したばかどもも、やはり神なんです。ジュバル、神はどちらの雀も落ちるのを知るといわれてますよ。神は知ってるんです。しかし、英語でそれをいちばん近くいうのは、雀は神だから、神は雀を知らずにはいられない、ということですね。それに、猫が雀を狙えば、その両方が神で、神の考えを実行しているんですよ」(p.749)

やらなければならないこと(p.766)

「(…)わたしは水兄弟たちを誤ってみちびいてしまったのではないかと、おそれているんです」
「どうしてだ、マイク?」
「彼らはあまりにも楽天的すぎます。彼らはわれわれのためになんでもうまくいくのを見て、自分たちが幸福で強く健康で、自覚しているのを知り――たがいに深く愛しあっているのを知っています。しかもいま彼らは、全人類が同じその至福に達するのはただの時間の問題だとgrokしているつもりなんです。(…)
 それにジュバル、わたしも最初はそう思ったんです。彼らをそう考えるようにみちびいたんです。
 ところがジュバル、わたしはかんじんなことをひとつ忘れていました。
 人間は火星人ではないということです。
 わたしはこの誤りを何回もくりかえし、そのつど、自分で正し、しかもまだまちがえるんです。火星人に対して効くことは、必ずしも人間に効くとはかぎりません。もちろん、火星語でしか表現できない概念的論理は、たしかに人類にも役にたちます。論理は不変です……しかし、条件は変わります。だから、結果も変わります。(中略)わたしの論理はまちがっていないが、条件をまちがえてしまったのです。ここでは赤ん坊が生存競争はしないが、大人がやっている。火星では成人は絶対に競争はしません。赤ん坊のときに淘汰されているからです。しかし、いずれにしても生存競争と淘汰はあるんです……それがなければ、種族は没落していく。
 しかし、どっちの生存競争もなくしてしまおうとしたわたしが、まちがっていたかどうかはともかく、どんなことがあっても人類は、わたしにそんなことはさせないだろうと、近ごろgrokしかけてきたんです」

(中略)

「汝は神なりというのは、ただの元気づけの希望の言葉だけではないんですよ。これは挑戦であり、人間の責任をおそれず臆面もなく認めるということなんです」彼は悲しい顔をした。「しかし、わたしのそれがめったに通じない。ごくわずかの、ここにいる水兄弟の数人だけが、わたしを理解し、甘いなかから苦いところもくみとり、立ちあがっていっしょに飲む――grokするんです。ほかの連中は、何百何千という連中は、それを競争なしで得た賞――入信という言葉に見られるようなものとしてあつかおうとしたり、さもなければ無視するんです。いくらなんといっても、彼らは神を、自分たちの外にあるなにかと考えたがるんです。なまけものの阿呆をかたっぱしからその胸にいだいてなぐさめたがっているようななにかをです。努力は自分でしなければならない、やっかいはすべて自分のことなのだというのが、彼らには受けいれられないし、喜ばないんです」
 火星からきた男は首をふった。「失敗のほうが成功よりもあまりに多いので、完全にgrokしてみたら、わたしはまちがった道をいってることがわかるのではないかという気がしているんです。つまり、この人類は分裂し、憎みあい、戦い、たえず不幸で、自分たち個人のあいだでも戦争をしていなければならない……どんな種族にもなければならないように、これもまた淘汰が必要なのではないかと。(…)」

(中略)

「(…)きみは小グループにきみの方針が役にたつことを証明した。わしもそれは喜んで認める。あんなに幸福で健康で陽気なひとびとは見たことがない。短い時間にきみがやったことは、それで充分なはずだ。こんどは、きみがはたらいて、幸福で嫉妬しないあの数を千にしたら、そこであらためて話しあおう。それなら公平だろう?」

(中略)

「(…)きみは百人中の九十九人をひっかけそこなったからといって、人類はいまの悪なしにやっていけず、淘汰をしなければならないのだと気にしていたな。だが、とんでもない!きみが淘汰をやってきたんだ――というより、落伍者どもがきみのいうことを聞かずに、勝手に淘汰されていったといったほうがいい。金と財産をなくすことは考えたかね?」
「とんでもない!巣のなかでは金はいらなかったけど――」
「健全な家庭なら、どこだってそうだ。だが、外ではほかの人間との取り引きに必要だ。サムが話していたほかの水兄弟のひとりは、世間ばなれするどころか、金に関してまえよりぬけ目なくなったといっている。そうなのかね?」
「ええ。金をつくることは、一度grokしてしまえば、簡単なことですよ」
「きみはいま、新しい至福をつけ加えたよ。“心の豊かなるものは幸いなるかな、彼は金をつくればなり”だ。われわれの仲間は、ほかの世界でどれだけのものを築いている?平均よりいいほうか、劣るほうか?」
「もちろん、いいほうですよ。ねえジュバル、これは信仰ではないんですよ。なんにでも充分な機能を発揮する手段にすぎない、戒律なんですよ」
「マイク、きみは自分で質問に答えたじゃないか。きみのいうことがすべてほんとうなら、わしは判断はせんで、わしが質問し、きみが答えているんだが――競争は除かれるどころか、まえより険しくなっているんだ。全人類の一パーセントの十分の一が、この話を聞くことができたとして、きみはただ彼らに示してやるだけでいい。それからは何代かのあいだに阿呆どもは死に絶えて、きみの戒律を身につけたものが地球を嗣ぐことになるだろう。千年か一万年か、何年先のことにしろ、彼らがもっと高く飛べるように新しいハードルの用意をするまでには、間にあうくらい早いよ。ただ、たったひと晩で天使にできたのが数人にすぎなかったといって、がっくりしてはいかんよ。わしはそんなものがひとりでもできるとは思っていなかったんだ。(…)」(p.750)

火星人の襲来について

 太陽をめぐる第三惑星の運命の判決がきまったことは、疑問の余地はなかった。第四惑星の長老たちも、全知全能ではなく、彼らも人間と同じように、彼らなりに地方的だった。たとえひどく優れた論理の助けを借りても、彼らの地域的価値判断の基準でgrokして、いずれは彼らにも、第三惑星の忙しくて落ちつかない、喧嘩好きな存在の癒しようのない悪がわかってくることはまちがいない。一度それをgrokし、味わい、憎んでいた、淘汰される必要のでてくる悪である。
 しかし、彼らがゆっくりとその結論にいたるまでには、長老たちがこの気味悪いくらい複雑な種族を亡ぼすことは、不可能に近いし、およそありえないことだろう。第三惑星に関係しているものが、そんなことには一永劫(イオン)の何分の一も無駄に割こうとしないくらい、その危険はかすかなものだった。(p.776)

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