夫婦の性生活というもの
年若い頃は性欲というものに振り回され、悩み苦しめられたものです。多感な時期にあってはそれもイニシエーションのようなものなのだと思うが、そのリビドーの強弱には自ずと個人差が生じる。私のそれが強かったのか弱かったのかはよく分からないが、多少いびつであったことはおそらく確からしい。
さて現在40歳である。個人的な尺度でいえばもはや性欲なんてほとんどない、またそのあり方に思いを馳せることも、あるいは駄文を弄する気力もない。性に対して熱い思いを文章にしたためる……そんなこともあったな。ふとそんな風に懐かしく思い返すことがある。そんな程度だ。
しかしそんなものは私の勝手な感傷であり、人は社会に生きる動物。かつ、私は現在家庭を構築している。つまりパートナーがいる。妻!その人である。その観点からすれば、性欲というものも自ずと身勝手ではいられない。伴侶を娶るということはどうしてもそういう側面も包含されてしまうからだ。
「この家に悪霊がいると思うんだけど、お祓いのためにセックスをするっていうのはどうかな?」
妻からのあまりにもワンダーすぎる提案であるが、これは痺れるほどに現実のお話。悪霊?お祓い?セックス?皆目意味が分からない。しかし要求は分かる。セックスをしましょう、実にシンプルだ。
動機や筋道はともかくとして。愛する伴侶からセックスをしたいと言われたとき、じゃあ私は性欲がないからごめんなさいね……で済む話となろうか。まず間違いなくそうはならない。するかしないか、しないならどうしてなのか、そこを煎じ詰めていかなくてはならない。家族なのだから。
「悪霊はいないと思う」
要するにノーである。セックスをしたくない、と妻に告げたに等しい。悪霊という面白おかしいレトリックでセックスをオファーしてくれた妻に対して、全くユーモアのない回答で以て拒絶をしたことは、かなり上手くない。
「まあいいじゃんそういうの」
妻からの力強い返答を受け、結局はまぐわうことで落ち着いた。しかし薄っすらとした情けなさは感じてしまうのだ。なぜ私の方から誘うことができないのだろうか、そうでなくとも請われた時点で快諾できないのか、と。そんなことを。
さて。そんな我々の性生活をXこと旧twitterに赤裸々に発信していたところ、さる方から「肉欲さんの奥さんは産後でもそんなに旺盛なのはなぜですか?私は人が変わったように性的なことに興味がなくなって、夫とも気まずくなることがあって……」というお悩み相談のようなDMが飛んできた。懐かしかった。かつてブログをやっていた頃は性的な悩みをよく相談されていたな、としみじみ思い返す。
確かに夫婦共有のリマインダーにセックスの予定を無言で打ち込んでくる妻の心の機微は私も知りたい。「セックス」「まぐわい」「チンポ挿入」という三段構えのカテゴリで波状攻撃的に毎日22時にリマインドしてくる妻は、控えめに言っても様子がおかしいからだ。当事者からしてもそうだとすれば、周囲からすると理外の存在であると容易に想像がつく。
そういう次第で妻に訊いてみた。なぜ私に対して変わらぬ性愛を求めることができるのですか?
「えっ!まーそうね、家事にめちゃくちゃコミットしてくれてるっていうのが一番大きいよ。自分がしたいこと、やりたいことが出来る時間が大きいし。あと、どんだけセックスしたいって言っても結局断られるからさ、嫌がらせ?じゃないけど、ダメもとで言ってる感じもあるよね。それとスキンシップしたいってのもあるかな。別にしなくてもいいけど、やっぱりスキンシップはしたいから。それが一番大きいんじゃないかな」
なんか普通にしっとりといいことを言ってきたので笑ってしまった。
「ていうか逆に、求めるたびに応じられたらキツいかもしれん!私だってうまくできる自信ないし、昔みたいにできるかっていえばそうじゃないし、申し訳ないって思ってしまうかも」
そりゃそうよね。
産後の性事情というのは本当にナイーブで解答を見出しづらい問題だと思う。個別の家庭ごとに正解のあり方が違うだろうし、かくあるべしといった紋切り型の説明は存在し得ないのだろう。
「あいたた!子宮が収縮して痛い!ちょっと膣のあたりを舐めてみてくんない?」
ちょっと妻の言っていることはたまに、いや頻繁に。意味が分からないのだが、こういう明るい言説に助けられているな、と思うことが多い。つまらない解答となりますが、やはりコミュニケーションを十分にとることが肝要なのではないかと。思います。