私がマスクをしない理由ー相手の立場に立って考えるー

前回のブログは今の社会に対する不条理に対し、自分の想いをけっこう正直に書いてしまった。

自分なりに、かなり時間をかけて考えて書いたが、不快に感じた人もいたと思う。。

でも自分の頭の中でぐるぐる考えているだけでは、自分の中の思考の域を出ない。

声に出してみて初めて、反応があり、自分の考えが間違っていることを気づかせてもらえることもある。

ボールを投げないと始まらないが、ドッチボールを投げないように気をつけよう。

キャッチボールができるように…


さて、私がマスクをしない理由を書いてみようと思う。

私は今ほとんどマスクをしていない。
この暑い時期にマスクをすることは、熱中症のリスク、雑菌の繁殖、鼻呼吸から口呼吸になりやすくなることによる免疫力の低下を危惧していて、結果的に本当に風邪が流行る秋冬に風邪をひきやすくなってしまっては本末転倒だからだ。
もちろん、自分の体調が悪いのであればマスクをする必要はあるが、無症状だし、ウイルスはマスクの目を容易に通り抜ける小ささなので、マスクをしているだけでは予防にはならないので、自分の免疫力を落としてまでマスクをする必要はないと感じるからだ。
マスクには効果がないというより、今の時期に毎日マスクをしていることは呼吸を阻害させ身体に悪い、害があるからしないという立場だ。
そしてそもそもマスクをするよりも免疫力を落とさない努力をして、感染しても発症しない、重症化しないように根本的に日々の生活に目を向け気をつけているつもりだ。
今は感染してはいけない!と考えている人が多いように思うが、感染しても無症状、軽症であればそれは自分の免疫がウイルスに抵抗した証拠でもあるのだ。

あともう一つ理由がある。
それはマスクは口封じの象徴であり、マスクをすることは支配者に対する服従、同調圧力に屈することになると考えているからだ。
同調圧力が嫌だと思いながらマスクをしていたら自分も同調圧力の加担者になるからだ。
上記のような理由で私はマスクをしないという選択を取っているが、正直マスクをしないことに対して周りの人からどのように見られているのか?ということに対して不安があることは否定できない。だからこそ、本当はマスクを外したいけど勇気がない…という人にとっては、マスクを外すきっかけになってもらえたらと思う気持ちもある。正直、みんな外すきっかけを失ってしまったのではないかと感じるからだ。

マスクをしている人たちが、何故マスクをしているのかを自分なりに考えてみた。
単純にウイルスが怖くて自分が感染したくないと考えマスクをしている人、自分が感染させたくない、ということを考え飛沫防止のためにマスクをしている人。これらの人たちは、マスクに効果があると考え、マスクをしていると考えられる。
また、マスク着用を呼びかけられているから、周りがみんなマスクをしているから、マスクをしていないと白い目で見られるから、という理由でマスクをしているのは、人が作り出した要因のためにマスクをしているのではないかと考えられる。
マスクをしないと周りの人が不安に感じるから…という人もいるだろう。
だいたいこんな感じだろうか?
正直、今のこの状況ではマスクをしないことにより感染するとかいう心配よりも、マスクをしないことを責められるのではないかという人為的リスクの方が大きく感じてしまう…。
これはウイルスへの脅威から引き起こされた人災であると思う。


おそらくは多くの人が感染対策のためにマスクをしていると思うが、私は感染対策(=免疫力低下を防ぐ)のために今の時期にマスクをしないという選択を取っている。元々、マスクというのは風邪など症状がある人がするための物であって、元気な人が付けるものではないからだ。


そして多くの人がコロナが落ち着くことを願って暑くてもしんどくても我慢してマスクをしていると思うが、私は逆にみんながコロナを恐れマスクをいつまでも言われたとおりにつけているから、いつまでもこの騒動を続けていると思っているのでマスクを外し自分なりのアピールをしているつもりである。


そう考えると、マスクをしている人と、マスクをしていない私はほぼほぼ同じ目的で動いているように思うのだ。
でも、マスクをする/マスクをしない という二つしか選択肢がない。
目的が同じなのに、手段が違う。方法が違う。    だから、反対のことを考えているように見える。
自分以外の周りの人がマスクをしている状況で日々を過ごしていると、みんなが反対のことを考えているように感じてしまっていた。
でもこうやって考えてみると、そんな単純なものではなく、みんながそれぞれいろんな理由でマスクをしているのかもしれない。
結局自分で自分の身を守るしかないから、
ウイルスから身を守るのか、
人(世間の目)から身を守るのか、
自分の身体を守るのか…

これは前回の記事に対する自分の反省でもある。
自分自身、分断社会は嫌だと言いながら、自らその二項対立にはまろうとしていた。
自分にはマスクをすることを強制しないで、と言いながら、みんなにマスクを外させようとしていた。
結局それは反対方向の正しさの押し付けでしかなかった…。

ただ、今の世の中は圧倒的に「マスクが正しい」世の中になってしまっていると私は思う。
理由も聞かずにマスクをしない人を認めない、全体主義的風潮を感じるのだ。
でも、私はマスクは身体拘束の一つだと考えているので、それをする、しないという個人の自由を認めない社会というのは、非常に危険だと思うのだ。
マスクをしていないのに、マスクをしていない理由を書いて歩くことはできない。
いくら世の中がマスクをする風潮になっていたとしても、熱中症で倒れても誰も責任はとってくれない。
実際に私の身の回りにはコロナに感染した人はいないが、熱中症の症状が出た人はいるのだ。

もう、私は一体マスク一つでどれだけ考えているのか。。
でも、たかがマスク、されどマスクなのだ。

あとこれは社会的な話になるのだが、
「マスクをしている姿」が通常になってしまっている現在、
子どもたちがコミュニケーションを上手く取れなくなるのではないか?と危惧している。
実際自分自身もマスクをしている人の声は聞き取りづらい。自分がマスクをしていて喋っているときも相手の人は聞き取りづらそうにしている。
だからといって、フェイスシールドは…
マスクも、フェイスシールドも、人間本来の自然な姿ではないので私は大変違和感を感じてしまうのだ。そのような人たちに囲まれて過ごすことへの精神的な影響は測ることはできないが、気づいてから取り戻せるものではない。
私はマスクをすることは呼吸を阻害させ、効果があるないという以前に害がある、という考えなので、子どもたちの健康という意味でも大変心配なのだが、「マスクをすること」を強制したりルールにすることは、結局マスクをしない子との間に分断を生んでしまう。子どもたちは親の言うことや教師の言うことに敏感だ。マスクをしない人はルールを守れない人と捉えられ、実際にマスクをするように要請している学校ではマスクをしない子に対して、周りの子から「マスクをしろ」という言葉を浴びせられている事例は実際に起きている。
私は今の今は直接的な当事者ではないかもしれない。でも、自分の子どもにマスクをさせたくないと考えているので、今の社会を容認することは、結果的に子どもが大きくなったときにこの社会の被害者になることは耐えられない。
子どもたちそのものを見てあげてほしい。
行政の通達であったり、社会の目を気にしている場合ではないのだ。

私はウイルスに感染することよりも、
人と人の接触の機会が奪われ、人とのつながりが奪われ、コミュニケーションが取れなくなる方がこわいと感じる。

生きている以上、私たちは死と隣り合わせだ。
コロナにかからなくても、
交通事故に遭うかもしれない。
風邪でもインフルエンザでも死ぬことはある。

今はコロナによる死をなんとかして防ごうとみな対策をしているが、
経済的困窮により飢え死にする人、
自殺でも人は死ぬ。
何も病気に限ったことではない。

「私たちは自由を奪われているのだ」、という実感があるだろうか?
「仕事はしていいが、娯楽はダメ」と言われているようなものではないか。
国民に「死」をちらつかせ、我慢を強いる。
この扇動的なやり方は戦時中そのものではないのか。

感染対策のため、と言いながら、私たちはこんなに盲目になり、大切なものを失っていて大丈夫だろうか…?

このマスクをしない人を認めない風潮が続けば、ワクチンが導入されたときもきっとワクチンを打たない人を認めない風潮が生まれるだろう。

そもそもコロナの騒ぎになる前から、そういったものは根深く社会にあった。
みんな医療や行政の言うことを信じているので、
予防接種を受けさせていないことを伝えるのにどうしてこんなに勇気がいるのか。
私は子どもに一本も受けさせていないが、体調の不安はなく元気にすくすくと育っている。
しかし現場は子どもそのものではなく、受けているかいないかという行為に目を向ける。
子どもを産んだ親の言葉よりも医者の言葉を信用する。
本当に予防接種やワクチンに効果があるのであれば、受けないという選択も認められるべきだと私は思う。だって、受けた人はかからないんだから、他人に強要する必要はないだろう。でも、インフルエンザワクチンはワクチンを打っていてもインフルエンザにかかる。果たして、本当に効果があると言えるのだろうか?
私は今、予防接種が正の社会に対して何もしてこなかったことを後悔している。社会が一方向に傾けば、個人の人権が尊重されない危うさがある。それが自分にとっての正しさでないのであれば、伝えていく努力をしなければ自分の意見を抑えるしかなくなるからだ。

今回私は「生命の危機」を感じている。おそらく、私にとっては今まで生きてきて初めての感覚である。
それはコロナに感染して死ぬ、という意味ではなく、自分の意見が認められない、自分の意志を殺して生きていかなくてはいけない社会になるのではないかということに対してだ。
命の危機を感じると、何のために生きているのかを本気で考えるのだ。
すると自分が何をしたいのか、何をすべきなのかが自然と見えてくるのだ。

マスク一つでどこまで語れるのだろうか…

最初は目的のためにその手段を使うが、
だんだん手段が目的化してくるのだ。
マスクを買うために行列に並ぶことは気にしないとか、
暑いから薄いマスクをして通気性をよくするとか、
これは、手段が目的化している例ではないだろうか?
もはや「マスクをする」ということが目的になってしまっていないだろうか。
そしてそれが習慣になってしまうと、そもそも何でしているのか、ということを考えなくなるのだ。
一人で歩いている屋外や一人で運転している車の中でマスクを付けている人があまりにも多い。おそらく付け外しが面倒という理由だと思う。そしてマスクをしていることがそんなに苦痛ではないのかもしれない。
私はほんの少し付けただけでもとても息苦しいのに、、
この特に誰からも制約されていない空間で、おそらく意味のないマスクを「なんとなく」付けている、というこの感覚を私は非常に危険だと感じるのだ。
「新しい生活様式」など、まさに私たちに習慣を植え付けようとしているではないか。

感染者が出ている時期にマスクをするのはまだ気持ちもわからなくはない。しかし感染者が出ていない時期が一定期間あったにもかかわらず、みなマスクを外そうとしなかった。

ウイルスがいることを受け容れないのに、
人間が作ったこの不自然な「生活様式」は受け容れている。

私たちは自然界に生かされていることを忘れ
人間界の中だけで生きていると傲慢になってしまったのではないか。

結局色々書いてしまったが、こんな風に考えて
「マスクをしない」選択をしていること
ワクチンを打ちたくないと思っている人もいるんだ、ということを自分なりに伝えたくて書きました。

個人の自由を認めない社会を容認していると
今は当事者でなくても、それはいつか自分の元に降りかかってくる。

様々な人権問題も根底は同じだと思う。
「常識」「当たり前」「一般的に」という言葉たち…。

「まだそこまで行っていない」と思うかもしれない。
そんなあからさまにしたらみんな反発するのはわかっている。
だから私たちが気づかないように、じわじわとやっているのだろう。
でももう現実から目を背けている段階ではないのではないか。

こんなことをブログに書くこともかなりリスクがあると感じているのだが、もう黙って見過ごせない段階に来ているので書いている。

「自由には責任を伴う」という言葉が、ここまで身に染みたのは初めてかもしれない。
だから、自分だけじゃ責任を取れない場面では自由が制限されることもある。
ここまでマスクが浸透してしまったら、「本当はマスクをしたくない」と思いながらも、社会的制約を受けて仕方なくせざるを得ない場面もあることは理解できなくはないのだ。
責任を取ることを回避するために自由を放棄する。
それもある種の選択なのかもしれない。
リスクを背負わないのも、自分の身を守るため。
でも、それは結局「自分を殺して生きていく」ということになるのではないか?
大人がこの社会を容認、黙認している結果、
犠牲になっているのは他でもない子どもたちだということを、忘れてはならない。

ちなみに私はこの3ヶ月ほぼマスクせずに過ごしているが、特に何も言われたことはない。
他人がマスクしないことに対して、特になんとも思っていない人の方が多いのかもしれないよ。
みんなが考えているほど、周りにいる人はこわくないのかもしれない。
そしてきっと自分はつけるという選択をしていても「しないこと」を認めてくれる人たちなのだろう。
周りがどう思っているかは聞かないとわからないのであり、結局自分が周りからこう思われたら嫌だと勝手に考えているだけなのだ。

この間お世話になった先輩に久しぶりに会ったとき、「なんだか元気そうですね。」と言ってもらった。

私はこんなことを常日頃ぐるぐると考えているので、そんな風に言ってもらえるとは意外だった。

マスクしてなかったからそう見えたのかな?       なんて思ったけど、

やっぱりどんなときでも笑顔でいることを忘れないようにしようと思った。

私たちは意識的にも無意識にも、いろんなものを選択して生きている。

この社会をつくっているのは、他でもない私たちだ。
この生きづらい世の中の空気は、
ウイルスのせいではない。
間違いなく、人がつくり出している。
私たちが変わらなければ、社会は変わらない。
だから、まず自分から変わるのだ。

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