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物語で読むウクライナの歴史:過去から現代への旅

同じコミュニティの方が、「ウクライナ・ロシア勉強会」と称して、広く旧ソ連圏について、各自が調べてきて、アウトプットしようよとイベントを立ててくれたので、乗っかりました。

何を読もうか?
ChatGPTさんに聞いた中の最初の1冊です。

2002年初版で13回も重版されています。すごーい!

ロシア・ウクライナ戦争が始まる前の発行なのですが、読んでみると、ロシアが、ウクライナを今も自分たちの一部だと思っていることが、なんとなくわかるし、ウクライナが独立を守りたい強い気持ちもわかります。

ロシア帝国やソ連だけでなく、ポーランドやドイツ、オーストリアなどに占領され、ずっと「国がなかった」ウクライナ。

それでも、生き残った民族と文化は、ウクライナの歴史のメインテーマなんだそうです。

ウクライナの人に私は、強いアイデンティティーを感じるけれど、それはどこからきているのかと、ホロドモール(歴史的大飢饉)って、どうしておこったのかを知りたくて読んでみました。



1.独立までの長い道のり

ウクライナの独立は1991年。
びっくりですよね!
まだ30年。

ウクライナの地、黒海北岸では、最初に固有名詞をもって文献に現れる民族は、キンメリア人でインド・ヨーロッパ語系の民族。
遊牧生活で乗馬術を身につけ、鉄器をもたらした。

その次に現れたのが、スキタイ人でイラン系の民族。
騎馬に巧みで勇敢な戦士。
このスキタイ人の強さの記述が面白くて・・・「正面衝突を避け、一日分の工程だけ前もって撤退しつつ、途中にある井戸や泉を埋め、地上に生えているものを根絶して行った。相手が奥地深く入り込むと反撃に転じ、相手の兵士が食糧を求めて出動する機をうかがっては騎兵隊をもってこれを攻撃する。」

このユーラシア大平原では、その後2千年たっても、同じ作戦が繰り広げられているというのが、びっくり。(ナポレオンのロシア遠征、ナチスドイツのソ連侵攻での撤退・焦土作戦とゲリラ戦法)

そのあとは、サルマタイ人とかゴート族、フン族とか、この地に侵入して支配したけれど、6世紀半ばになると、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)となった。

中世になると、ヨーロッパの大国「キエフ・ルーシ公国」
この「ルーシ」の読み方が、「ロシア」になるのだけれど「本当の継承者は、ロシアなのか、ウクライナなのか」問題があるらしく、ロシアに持って行かれた感のあるウクライナ、気の毒です。

17世紀にコサックがウクライナの中心勢力になるまでの300年間は、リトアニアとポーランドが支配した。

この期間に ルーシー民族が、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの三民族に分化し、言語も、ロシア語、ウクライナ語、ベラルーシ語というそれぞれ独立した言語になっていた。

コサックと言えば、コサックダンスしか知りませんでしたが、「15世紀頃から、ウクライナやロシアの南部のステップ地帯に住み着いた者たちが、出自を問わない自治的な武装集団を作り上げた」ものだそうです。

彼らは非常に頑健で暑さ、寒さ、渇きに容易に耐える。戦いには疲れ知らずで向こう見ず、自分の命を惜しまない。彼らは才気があり器用である。また美しい体軀を持ちハツラツとしている。そして健康で高齢者以外病気で死ぬものは少ない。最も大部分のものは「名誉の床」、すなわち戦場で死ぬ。
世界の諸民族の中で彼らほどのんべいがいるとは信じられない。しかし、それも暇な時の話で戦争や何かの企てがある時には驚くほどシラフになる。

94ページ

16世紀以来、コサックは、ポーランド王に従い、各地で戦うことによって政治的な地位を高めたが、一方で王から与えられる待遇などへの不満から、しばしば反乱を起こした。

そんな中、コサックは、ウクライナの文化、教育、キリスト教の振興に尽くし、コサックの栄光の時代となる。

ウクライナ史上、最大の英雄は、フメリニツキーで、組織者、軍司令官、外交官としての卓越した能力を持ってウクライナの歴史の中で初めて自分たちの国家を作り上げた。

しかし、他方でモスクワと結んだ保護条約がウクライナをロシアに併合されるきっかけを作ったとしてウクライナの裏切り者とする非難もある。

コサックの挫折は、強国ポーランド、リトアニア、モスクワ公国、オスマン・トルコなどに囲まれた地政学的に魅力的な土地だったからこそ、戦ったり、それがうまくいかなければ、必死になって外国との同盟や保護を求めてありとあらゆる可能性を探ったりしていった中でのことだった。

また、独立を維持するためには、中央集権国家を作らなければならないが、何者にも束縛されない社会を維持することを望んでいたので、自治を前提として大国の枠内に入るほかはなかった。

その後、強大だったポーランドは、ロシア、プロイセン、オーストリアの三国に完全に分割され消滅してしまったので、ここに14世紀に始まったポーランドのウクライナ支配は4世紀を経て一旦終了することになった。今やウクライナはその大部分がロシアに、西ウクライナの一部がオーストリアの支配下に入ることになり、ウクライナは政治上全く地図から消えてしまった。

第1次世界大戦後、ウクライナはどう変わったか。
ウクライナはソ連、ポーランド、ルーマニア、チェコスロバキアの4カ国に分割統治されることになった。

ソ連の時代に入ると、スターリンはウクライナの農民をむしろ社会主義に対する抵抗勢力と考えていた節があり、個人主義的で独立意識の強い農民を社会主義体制に組み込むには手荒な手段を使うのもやむを得ないと考えていた。

経済的には、早急な工業化のため安い食料を工場労働者に与える必要があったし、機械輸入に必要な外貨を稼ぐため穀物を輸出する必要があったので、「農業集団化」を強制した。

抵抗するものは逮捕され、シベリア送りになったり、自作農が成り立たないような効率な税を課したり、種々の嫌がらせをした。

1932年から33年の大飢饉の特徴は、強制的な集団化や穀物調達のために起こった人為的な飢饉で、必然性はなかったこと、ロシア全体がこの飢饉をほとんど経験しなかったこと、この飢饉はソ連ではできるだけ隠されていたことである。

これが、ホロドモール。
胸が痛みます。


2.350年待った独立

独立達成を決定的にしたのは、ソ連のクーデター事件。(1991年)
すでにバルト三国はソ連を離脱していたが、ウクライナの独立でソ連は事実上解体した。

やっとのことで手に入れた独立は、流血を伴わず、平和裏に行われたものであったけれど、棚ぼた的なところもあった。
何世紀にもわたってウクライナ民族の夢であった独立がやっと達成されたにもかかわらず、旧体制がそのまま独立国家に移行し、看板だけ変わって中身はほとんど変わらない状態となった。

いや~、長かったですね。
ソ連もポーランドもドイツもオーストリアも 群雄割拠過ぎると思いました。


ところで、ウクライナの将来性について、著者は大きな潜在力を備えていると言っています。

①大国になり得る潜在力・・・面積ではヨーロッパでロシアに次ぐ第2位であり、人口は5000万人でフランスに匹敵する。
ヨーロッパの穀倉地帯であって、農業国フランスの高知面積の2倍もある。工業化学技術面ではかつてはソ連最大の工業地帯であり、国民の教育水準は高く、国民性は堅実で忍耐強い。
また、外交についてもその能力は高い。ロシアとアメリカの間のバランスを巧みにとってその安全保障を確保している。その外交手法は穏健協調的で既存大国が持つ傲慢さはない。

ここはどうなんでしょう?ゼレンスキーさんになってから変わったんでしょうか?

②地政学的な重要性・・・ヨーロッパでウクライナほど幾多の民族が通ったところはない。ウクライナは、西欧世界とロシア、アジアを結ぶ通路であった。ウクライナがどうなるかによって東西のバランス・オブ・パワーが変わるのである。


3.おわりに

紀元前から ウクライナの歴史を見てみると、陸続きの国というのは、本当に過酷だなあと思いました。

ウクライナだけじゃなくて、他のどの国も、生き残りをかけて戦い続けていたんですね、今更だけど。

島国の日本でも もし元寇襲来が成功していたら、とか、黒船に襲われていたらとか、第二次世界大戦に敗戦した時、植民地として日本が分割されていたらとか、考えてしまいます。

ロシアとウクライナが、お互いを尊重できる日が1日も早く来ることを願います。


















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