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現代ウクライナを知るためのガイドブック:「ウクライナのこと」レビュー
今週末の、読書会に向けて読んだ、ウクライナの本二冊目です。
chatgptにウクライナに関する初心者向けの本を教えてもらったうちの一冊です。
前回の「ウクライナの歴史」今という本は、教科書的な感じでしたが、こちらの「ウクライナのこと」は、 2022年6月の発行で、ロシアのウクライナ侵攻が始まってから、ポーランド史を専門とする先生と現代史を専門とする先生が出版社のオンラインイベントでお話された内容を書籍化したものです。
副題に中学生から知りたいとあるように、優しい温かい語り口でジーンとしてしまう場面もありました。
1.「明日は美容院に行きます。殺される時は美しいままでいたいですから」
著者のお2人とも京大の先生ですが、 2022年2月26日、(ロシアのウクライナ侵攻に2日後)に京大有志のかたと、「ロシアによるウクライナ侵略を非難し、ウクライナの人々に連帯する声明」というのを出されていて。それが最初に書かれています。
「上から目線」ではなく、ウクライナに暮らす普通の人々を想像して書かれていて、遠くからテレビを通して見ていただけの私は、心を揺さぶられました。
今の国際世論があまりに、プーチン個人に焦点を当てすぎではないか。
美容院に行くと言う生活感覚からこの侵攻の暴力を感じるべきではないか?と言っています。
ウクライナの軍事施設や教育施設や住居に落とされるロシアのミサイルの映像を見て、我が子をロシア兵に銃殺された親の泣き叫ぶ声を聞いて、残骸になった黒焦げの建物を見て、しばしば私たちは遠く離れた地のテレビで、それを見ているだけで胸が痛むという後ろめたさを吐露します。・・・テレビ画面に映る顔に家族や仲間の顔を重ね、胸が張り裂けそうになります。・・・
歴史が繰り返してきた重要な問題の一つは、例えば日本のような戦場から離れた国に住む人々の、当事者意識の減退と関心の低下、そして倦怠ではないか、つまり胸の痛みが持続しないことではないかということです。
2.ウクライナの歴史の一貫性は「日本の歴史」の一貫性とは異なる
ウクライナという地域は、中心をずっと保ったまま固定した輪郭をもった領域として、歴史を通じて途切れることなく続いてきたというわけでは必ずしもない。いろいろな集団や勢力が、交わり合う、あるいは衝突し合う、そういう空間、領域、地域なのだという認識を持っていただく方が良いと思います。
これは、改めてショックでした。
ウクライナという国は、生まれてまだ30年しかたっていないというのは、ずっと、ソ連の一部だったわけではなく、隣国のポーランドやドイツなどに侵略されたり、取り戻したり、領域も変化してきてきていて、日本の歴史を見るような目では捉えてはいけないのだと学びました。
3.小国を見逃すことのない歴史の学び方
プーチン大統領は2021年の7月に「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」というかなり長い論文を発表しています。
プーチンの論文では、キエフ=ルーシに始まるウクライナの地域の歴史は、完全にロシアの歴史の中に内包されて、その一部という形で語られていますし、最終的には、ウクライナ民族は自立した国家をつくる歴史的な資格がないということが主張されているのです。
ひどいですね。
でも、プーチンだけを悪者にしても何も変わらないよと、お二人は言っています。
今まで、ロシア、アメリカ、ヨーロッパ、NATOなど、大国からの見方がほとんどだけど、小国から見たら、全く別の考え方があるはずで、それを学ばないと、歴史は繰り返すよとも言っています。
アメリカだって、ヨーロッパだって、日本だって、昔は、ロシアと変わらないようなこともしてきたはずで、当事者意識がないのは、おかしいよとも。
3.まとめ
ウクライナという、ずっと自分たちの国がなかった民族が、どのようにして現在のような国家という自決を達成したのかという質問があり、19世紀頃から、ウクライナ語とその文化に誇りがある知識人から始まり、世代を超えて次々とそのエネルギーが出てきて、今、ロシアの外圧がその連帯感を強めているのではとのことでした。
ロシア語ではなく、ウクライナ語で文学を表現した19世紀の詩人、タラス・シェフチェンコの存在も重要だと。
やはり、文学の力ってあるんですね。
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