見出し画像

沖縄の「笑い方」

ハイタイ!
うちなーアナウンサーの阿波根あずさやいびん。

今回noteは2本立て!
1本目の記事はこちらです。

「誰しもが排除されない場所で平和を祈る」

2本目の記事では、慰霊の日の翌日に観に行った「お笑い米軍基地13」について書いていきます。

「お笑い米軍基地13」は、米軍基地をテーマにした全編コント(少しだけ余興も)の舞台。FECのお笑い芸人「まーちゃん」こと小波津正光さんが企画・脚本・演出を手がけ、今年で13回目を迎えたそうです。

13年間も続いているお笑い米軍基地ですが、私は今回が初めての観劇でした。
ちむどんどん。ちむどんどん。
会場の名護市民会館に近づくにつれ速くなる鼓動。
開演30分前に到着しましたが、駐車場は既に満車。
誘導に従い少し離れた駐車場に止め、駆け足で会場に向かいました。

観客席は満員。老若男女、皆がこのお笑い米軍基地を心待ちにしている様子が、観客の熱気から伝わってきます。
オープニングトークで小波津さんは、東京の大手マスメディアに勤めている方々も観に来ていたとおっしゃっていました。

いよいよ開演。
最初のコントのテーマは「人間の鎖」。
フェンスの前で人間の鎖をつくって新基地建設反対を表現しようとする基地反対派でしたが、鎖を作るための人間が足りない。そこでリーダー格の初老の男性が、少し冷めたように見える若者に「仲間を呼べ!」と指示をするのですが、応援に来てくれたのがネパール人だった。
お、面白すぎる…!!

他にも、一括交付金、法務大臣による共謀罪についての国会答弁、オール沖縄、基地反対派に関するデマなどをテーマにしたコントはどれも緻密に練られており、不要に傷つけることのないよう配慮しながらも、「沖縄からの視線」で痛烈に風刺しています。「右からも左からもお叱りを受けてしまう!」と小波津さんはオープニングで語っていましたが、そりゃそうだろうな、と心底、納得。
特に面白かったのが、辺野古で座り込みをする住民達と、その様子を記事にしようと奮闘する地元新聞記者のやりとりの様子を描いたコントです。全員がプラカードで「基地はいらない」と掲げなくてはならない場面で、1人だけ「求ム軍用地」のチラシを掲げる。このギャグには笑いすぎてお腹を抱えました。


……
……… コントで笑う。でも、心は、泣いていたような気がします。
最高に面白く、最も心が痛くなる、笑い。今まで観てきたお笑いでは感じたことのない、不思議な感覚でした。

お笑い米軍基地を観ながら、私は、私自身が沖縄とどう向き合ってきたのかを思い返しました。

お笑い米軍基地という舞台が最初に催されたのは、今から13年前。当時、私は中学2年生でした。父親の転勤で沖縄から大分県へ行くことが決まり、大喜びしたのを覚えています。なぜなら、沖縄を好きになれなかったからです。

「沖縄=ダサイ」

物心ついた頃から私の頭の中にはずっと、このイメージがこびりついていました。
とにかくダサい沖縄から出たかった。この閉鎖的な空間から脱出し、沖縄以外の世界に、強い憧れを抱いていました。
転校してからの生活は充実していました。「沖縄ブーム」もあり、どこに行っても好意的に迎えられました。沖縄出身というだけで注目を浴び、転入初日には廊下に人が群がるほどでした。

ただ、ヤマトから見れば、私の苗字は珍しく、顔立ちもハッキリしすぎている「違う」存在だったのでしょう。
私と同時期にアラスカから転入してきたハーフの子がいました。その子は全く日本語が話せなかったのですが、なぜか先生から「阿波根さんは沖縄の子だから英語も話せると思うし、この子の世話を宜しくね」と言われました。英語が話せるなんて伝えたこともないのに。
沖縄からの転入生も、アラスカからの転入生も、括りとしては「外(国)から来た人」というのがヤマトの感覚なのだと今ならわかりますが、当時の私は「どこか一線を引かれている」ことに気づかないフリをしていました。

私が大分県に住んでいた2004年に、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落する事故が起きました。当時のことは、全く覚えていません。ニュースで観た記憶もなければ、そもそも沖縄の基地問題に何の関心もありませんでした。

何故、この島に生まれたんだろう。
何故、私はこの苗字で、この顔立ちなのだろう。
捨て去りたいけど、捨て去れないことに苛立つばかり。
どんなに、どんなに足掻いても決して変えられることではない。
それなら、沖縄人であること、沖縄に生まれた宿命を「幸せに変えれば良い」。
発想を転換できるようになって、気持ちがだいぶ楽になりました。

今、私は、うちなーアナウンサーとして仕事をしています。
ずっと好きになれなかった沖縄で、フリーアナウンサーではなく、うちなーアナウンサーと名乗っている。
宮古島でアナウンサーとして働き、様々なお身を抱えながらも島民が心から島を愛している姿を目の当たりにしたことが私の転機でした。その後、沖縄島に帰り、ミス沖縄として活動。翌年は、泡盛の女王として沖縄の銘酒をPRしながら、フリーランスでラジオカーリポーターやイベントなどの司会の仕事を始めました。
どれも「沖縄を伝える仕事」です。
沖縄から離れようとすると、何もうまくいかなかった。でも、沖縄を受け入れていくにつれて、がっちりと歯車がかみ合い、物事が少しずつ前に進んでいく。
それが何故なのか、まだ明確には分かっていません。

「沖縄=ダサイ」が「沖縄=面白い」というイメージに変わってからは、見えてくる全てが宝物。沖縄の文化、伝統、歴史、食、音楽、言葉、笑い、生活、人。どこを切り取ってみても、面白い。沖縄は、魅力溢れる島だと、今の私であれば、自信を持って伝えられます。

私は、ようやくスタートラインに立ちました。
その何十年も前から、小波津さんは、沖縄の表現の最前線で、米軍基地を笑いに変え続けている。

まーちゃんさんは、舞台の終盤のコントで
「米軍基地がなくなったら、この舞台すぐやめるよ~♪」
と、歌いました。

基地なんていらないよ。
沖縄から発信していこうよ。
僕たちは、戦い続ける。
ひとりひとりが、考えようよ。
考えることも、伝えることも足を止めちゃいけない。
変わる日が来ることを信じているよ。

しかし、カーテンコールでは

「またね!」

と笑顔で手を振っていました。

基地が、なくなってほしい。
でも、なくならないかもしれない。
だから、これからもお笑い米軍基地という舞台を作り続ける。
また観に来てね。また会おうね。
あとからね。

切ない。
この切なさを上回る、温かくて、優しくて、生きる勇気を与えてくれる、笑い。
何よりも、まーちゃんさんの、FECメンバーの「覚悟」が込められている。だからこそ、お笑い米軍基地は、観客の心を掴み、笑顔に変えられる、唯一無二の笑いなのだと思いました。

最後まで読んでくれて、いっぺーにふぇーでーびたん!これからも、ゆたさるぐとぅうにげーさびら♪