ベンヤミンとグレーテル

「あなたのお手紙は、あなたに会いたいという荒々しい憧れの念をわたしの内に呼び覚ましました。その思いのあまりの激しさに、できることなら、なにか当たり前のことのように次の船に乗って、あなたのもとに旅立ちたいと思ったほどです」1938年8月3日グレーテル・アドルノからヴァルター・ベンヤミン宛 (H・ローニツ/C・ゲッデ編 伊藤白・鈴木直・三島憲一訳『ヴァルター・ベンヤミン/グレーテル・アドルノ往復書簡 1930-1940』みすず書房、2017年)

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「戦争とそれに伴う状況のゆえに多少の考えを書きとめることになりました。二〇年代は頭の中で保存していた考え、いや自分に対しても保存していた考えだと言えるでしょう。それが、お二人にすらほんのちょっとですらお見せしなかった理由です。マロニエの木々の下での議論は、この二〇年間でのひとつの突破口でした。今日でも私は、テーゼのコレクションとして以上に、考え込みながらの散歩で集めた草花で編んだ花束として、この時の突破口をあなたに手渡したいのです。あなたが受け取るテクストは、ただ普通の意味でいう以上に凝縮されたものです。読んでみてあなたがどのくらい驚かれるか、あるいは、そうは思いたくないのですが、違和感を抱かれるか、わかりません。いずれにしても第十七番の考察を見てください。この議論こそは、ここでの考察と私のこれまでの仕事との隠れた連関、しかし考えてみれば筋道の通った連関をわからせてくれます」
ヴァルター・ベンヤミンからグレーテル・アドルノ宛、パリ、1940年4月末/5月初め
(前掲書)

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テーゼXVII

「史的唯物論者のこの方法が身を結んで得られる成果とは、当の仕事のうちに生涯の仕事が、生涯の仕事のうちにその時代が、その時代のうちに歴史過程の全体が保存され、止揚されているというところにある。史的探究によって把握されたものの滋養ある果実は、その内部に時間を、貴重であるが風味には欠ける種子として含んでいる」。
(ヴァルター・ベンヤミン 鹿島徹訳・評注『[新訳・評注]歴史の概念について』 未来社、2015年)

▶︎政治的終末論が宇宙論的終末論を乱暴に統合しようとする事態を目の前にして、私たちにし得ることは、「過去に生じたいっさいの出来事を現在に呼び戻す想起の力」(前掲書、鹿島による評注)を持とうとすることにあるのではないか。「持とうとする」ことだ。あくまでも。

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