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今上陛下の新年写真に関するお考えを検証してみよう(その1)

コロナ渦以降新年の天皇一家の写真撮影は天皇家・🍁一家・ミテコ夫妻に3分割されておこなわれましたが、今年も分割形式で撮影されました。

この理由については皇室関係では忖度なしのテレ東Bizで解説していますが、個人的には別の理由で今のやり方に賛成です。

何故なら平成は新年写真が当時の東宮ご一家に対する嫌がらせやマウント取りに使われた経緯があるからです。

では平成の新年写真がいかにミテコ女帝の気紛れに左右されていたか検証してみましょう。

1991年(平成3年)

1989年は昭和天皇が危篤状態、1990年正月もまだ喪が開けていないのでこの年が初めての撮影。この年から良子皇太后や常陸宮夫妻が撮影から外れてます。

新妻キーコさまが義妹のサーヤ様と仲良くお喋り。逆に皇太子さまがハバにされてる感が・・・

1993年(平成5年)

🐴子さん新年撮影会デビュー。

この年は年明けから皇太子さまと小和田雅子さんの婚約内定で日本中が雅子さんフィーバーに沸いた一年。

国民はきっと雅子さんも⬆️2枚のような暖かい関係になると思っていましたが・・・

1994年(平成6年)

雅子皇太子妃新年撮影会デビュー‼️

しかし🍁夫妻が相変わらず夫妻一緒の位置なのに(ちなみにこの頃から夫妻仲悪かったとか)、新婚の皇太子夫妻が両端に引き離される意地悪ぶり。

さらに外孫の🐴子さんがちゃっかり前列センターかつミテコ婆さんの隣というベストポディションを奪取。

1997年(平成9年)

この年からは🐴子さんだけでなく🦌子さんもミテコ夫妻の間というベストポディションに乱入する事態に。

平成の両陛下の初孫として産まれ🍵さんから「眞子が天皇でも良いではないか」と言われたとも言われている🐴子さん。その溺愛ぶりは新年撮影会の様子からも伺う事ができます。そしてその立ち位置は敬宮さま誕生前まで継続。

2002年(平成14年)

ついに敬宮さまが新年撮影会デビュー。

「皇太子ご夫妻がずっと待ち望んでいたコウノトリからの贈り物だからきっと盛大にお祝いしてくれる」と期待していた奥さま達甘いっすよ。

だって自分が一番大好きなミテコさんがそんな事する訳ないでしょ(笑)

夫妻引き離しはそのままな上に、ミテコ婆さんから離れたポディションという孫差別ぶり。

たまに敬宮さまがセンターな年もありましたが、その時もミテコ婆さんは絶対隣には来ませんでした。

ちょっと長くなったので続きはその2で。

(前半も十分酷いですが、平成後半はもっとエグい嫌がらせアングルになるのですよ。)



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