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聖女でも慈愛でもない正田ミテコさんの恥部を捲ってみるの巻

平成時代は女性週刊誌によって慈愛の聖母と謂われたミテコさま。

じつは優等生でも深窓の令嬢でもないアレレーな部分が捲れちゃってただの嫉妬深い汚ならしい婆になりさがりましたよね。

ミテコさまのお誕生日に向けてカビ臭い美談が氾濫すると思いますが、そんな今こそ正田ミテコさんの大したことない部分を改めて復習しましょー

①社長令嬢なのに正装のドレスも準備しない

ご存知の婚約内定会見。皇室の伝統破壊の先駆けになった出来事ですが、この時の衣装が物議を醸しました。

皇室に参内する際は絹のドレスがマナーだったのにこのドレスはナイロンタフタ製。しかも最初は礼装のドレスの用意すらしてなくて慌てて生地を買い求め町の洋装店に僅か4日という超突貫で仕立てたそうです。

散々社長令嬢で深窓の令嬢と吹聴されたのに、礼装のドレスの一着も用意しない(出来ない?)って有り得ませんよね。

この反動が後の衣装道楽に繋がるかどうかは謎ですが(笑)

②お嬢様なのに花嫁修業エピソードなし。

ミテコさんの年代(昭和10年前後の生まれ)ってまだ女は十代の頃からお茶・生け花・お料理といった花嫁修業を積み早くお嫁に行くイメージが残っていた時代です。

しかし当時のミテコさんは大学卒業後も就職も結婚もせずにダンスパーティーやテニス三昧でした。

きちんと花嫁修業をしていたら茎の根本が丸出しなトホホな生け花はないでしょ。「プレバト」の生け花部門に出品したら假屋崎先生から「才能なし」認定されるでしょうね?

ただザクザク茎を切って無造作に花瓶に投げ入れた感じですがこれが一応皇后と呼ばれていた方の作品ですよ(笑)。


③大したことないミテコさまの成績

ミテコさまといえば聖心女子大を学年2番の超優秀な成績と吹聴されてきました。学生時代には読売新聞社主催の作文募集に「はたちの願い」という論文を出し2位になりました。(そういえば初孫の夫や没たまも作文で入賞の箔付けがありましたがその元祖はミテコさま?)

しかし近年ハーバードをマグナ・クム・ラウデを受賞したガチの才女の雅子皇后に対抗したのか大学の成績表や教員免許を公開するご乱心に・・・

実際はBだけでなくCもある最優秀とは程遠い陳腐な成績。しかもわざわざ教員免許をとったのに大学卒業後教員やそれに準ずる仕事に着いた形跡は無し。

孔雀の羽のごとく無駄に自分の学歴や家柄をデカデカと目立たせようとする気質はA宮家に引き継がれましたよね。

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