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満子ちゃんが明かすミッチーの恥部

平成時代は平和へ祈りを捧げる暖かく美しい慈愛に満ちた国母と讃えられたミテコ皇后。

そんなミテコ皇后をリスペクトしてきたミテッ子クラブの絶対的エースの渡辺満子ちゃん渾身の迷記事『ご懐妊中の紀子さまのお電話に……美智子さま「異常妊娠の記憶」と「命のスープ」』


光に包まれたひと—初めてイタリアでの取材で美智子さまをお見上げしたときの印象です。お美しさだけでなく、天皇陛下につねに寄り添って支えられ、温かく、ユーモアをもって人々と交流されるご様子。御歌(みうた・短歌)やご著書『橋をかける』(文藝春秋)などで示されたその豊かな感性。この方はきっと生まれてこのかた、この光に包まれた、華やかな人生を送ってこられたものと思っていました。

いやいや実際は常に🍵さんの肘を掴み子ども扱いし、常に陰気臭い顔であっちが痛いこっちが痛いと満身創痍演技で見る人をブルーにさせる一本眉婆ですけど(笑)

でも満子ちゃんの迷記事を読み解くとあれ~?な事実がてんこ盛り。

ミッチーはゆっくりさん🤭🤭

後年あれほど才能を開花された美智子さまが、4人のごきょうだいの中で、ちょっと遠回りをしておられるところです。

そんなに勿体ぶりっ子しなくても知ってるって。ミッチーが成績表にBだけでなくCもある大した成績じゃない事は(笑)

正田ミッチーの衝撃的な成績表。これで学年2位なら聖心女子はFランク大になりますよ。

さらにミッチーの意外なエピソードも

正田家の笑い話の一つに、美智子さまだけが小、中、高を通して、ごきょうだいの中でただ一人だけ級長や学級委員になられず、進級時の学業優秀者にも選ばれていないことがある、とうかがいました。

そりゃ23歳で富美子オカンが知人の初孫祝いに買ったオルゴール付き熊のぬいぐるみを見つけて「あげないで・・・私に頂戴💧」って駄々っ子する性格じゃ学級委員選出は無理でしょうね。

そんな劣等生な事実についてこんな言い訳を

「夫も私もあの子の育った頃が一番忙しく、勉強を見てやるということはほぼ皆無だった」と、のちに母・富美子さんはすまなそうに友人に語られたそうです。

美智子さまの世代は戦時下の「国民学校」で6年間学ばれ、正田家の疎開先も鵠沼、館林、軽井沢、また館林と二転三転。

「疎開中と戦後の3年近くの間に5度の転校を経験し、その都度進度の違う教科についていくことがなかなか難しく、そうしたことから、私は何か自分が基礎になる学力を欠いているような不安をその後も長く持ち続けて来ました」と80歳のお誕生日に述べられています。

戦中戦後の過渡期に転校を繰り返しオカンの教育も行き届かず、伝統的な教養も現代的な教養も身に付かず学力に不安とコンプレックスを抱き続けたミッチー

あれれ~?何か似たエピソードの持ち主いましたよね?

海外生活が長くて、しかも帰国後も転校を繰り返す不安定な環境で日本語も外国語も中途半端でコミュニケーションに支障を来しちゃったオネーさん。

アタクシの事呼んでくれてありがとう存じます🖤

このモヤモヤした感情を抱えた二人がハーバードで「Magna Cum Laude(マグナ・クム・ラウデ、優等賞)」を獲得したハードワーカー・マサコに嫉妬の炎🔥をメラメラさせることに😱😱😱


毎日辞書を手放さず勉学に励み「恋人が辞書」とからかわれた若き日の令和の国母。まさか嫁ぎ先が陰湿な嫁いびりが罷り通る低レベルな家庭環境とは予想しなかったでしょうね。

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