見出し画像

区切りをつける。何のために?変化を知る。生きるために。

どうぞよろしく今年のみなさま。こんにちは、今年のわたくしです。

人って何かと区切りをつけたくなる生き物。年越し、誕生日、入学卒業、何年記念日、何回忌。

どうしてこんなに区切りたがるのかしら?ケジメ?決まり事?なんとなく?かくいう私は、区切りが大好きなのだけど。仕事するにも何するにも、「ここまでしたら終える」「あそこまで必ず」。
かといってじゃあ、それが記念とかモチベーションになるかと言われたらならず、ただ通過すべき点と期限であるだけで、それ以上でも以下でもない。

イベントごとは大好き。街が変わるから。美味しいものが食べられるから。装いを変えられるから。それ以上でも以下でもない。

つまりは変化そのものが好きで、止まっているということは大きく言えば死と変わらず、そういう意味で昨年の振り返りの時に「今年は無でした」と言ったのだ。

でも季節がもたらす街の変化も、年を取るたびに新鮮味がなくなってしまった。それはきっと人工的な変化で、○月○日からライトアップします、デコレーションします、と予定調和的に決められているものだから、つまらない。決められてる変化は変化じゃない。

今年はたくさん自然に触れたい。何があるかわらないこと。目が覚めたら一面銀世界だったあの瞬間が、25歳の都会生まれ都会育ちのつまらない女にとっては大事件であったから。自然に予定調和なんて、ないのだ。

吹きすさぶ粉雪が波打つ砂浜のようになっていた不思議な景色に、心を動かされたこの瞬間を、それを、記録するのは写真かもしれないけれど、記憶に留めておくのは私なの。忘れ去られてしまう一瞬を、誰も気に留めない景色を特別だと感じるこの心を、できれば大切に守ってあげたい。
そしてそれをなんらかの形にして、誰かがそう思ったかもしれないことを代弁する。薄っすらと、私の役目はそこにあるのではと思ってきた。それは大変な傲りかもしれないけれど、いまはその一筋の希望を掴みたいから、勘違いでもいい、信じてみる。

変化がないのは死だ。何も感じないのも死だ。自分で自分を殺さないで。生き方はひとつじゃない。予定調和は愛せない。

どうぞ今年もよろしくお願いします。正しくはない私の言葉で、愛とか、好きとか、そういうことを綴っていきます。(ほんとうに)口下手だから、文字に託すの。

- なんの変哲も無い休日のこの日に。近所のカフェで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?