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サバイバルへの思い

今回5月3〜4日、2024年天才合宿-森のサバイバルキャンプで感じたことや、企画に繋がった自分の思いなどを綴ってみようと思う。

都会の暮らし

人工物に囲まれて、人工的な空気を吸い、人工的な食事をして、人ともアンナチュラルな関わりばかり持っていたら、五感がどんどんオフになっていくのは当然だ。その環境の中で五感をいきいき使うのは不可能だ。どんなに感覚が良くても、いやむしろ良いからこそ感覚をオフにしないと平常心を保っていられない。実際に私も東京で暮らしていた時にはいろいろとオフにしていた。多すぎる人間が出すあらゆるエネルギー。多くのSOS。多くのストレスからくる他者に向けた攻撃性。騒々しさ。化学物質の匂いにストレスの匂い。ヘッドフォンで耳を塞ぎ、その中の騒音にのみ意識は向け、マスクをして呼吸を浅くし、目は地面に伏せ、素早く人を避けて進む。年に一回だけ行けるキャンプが、安心して深呼吸できる機会だった。私にとっての都会はそんな感じ。感覚が閉じていてはあらゆるものが分からなくなる。判断をミスる。自身のことさえも分からない。都会はそんな人で溢れかえっている。

田舎の暮らし

熊本の田舎に越しても、本当の自然環境は少ない。多くは人の手が入っているし、田舎の人は草と対峙するのに必死だ。田舎のヒエラルキーのトップは、一番草刈りをした人だ。どうもそういうものらしい。道路脇に伸びる雑草などは、交通安全の面では刈ってあるのはありがたいことだ。でも、どこか虫や草に対して躍起になっているというか、敵視までしているような感じを受ける。過度に人間が自然に手をいれることに、違和感がある。自然の循環の中にいる者として、『おこがましさ』を感じる時があるのだ。忘れていないだろうか。循環の全てに生かされているのだということを。それでも、都会の人に比べたら幾分もマシで、地球の生き物としての生命力は上だ。そして少し行けば自然環境がいっぱいある。今回の会場になったアルモンデの森も、民家からそう遠くないところにある。しかし一歩入れば清涼な場で、空気も水も澄んでる。そこにいるだけで、エネルギーが湧き上がる。元気になる。本来自然とはそういうものなのだろう。人間とはそういうものなのだろう。

理想の暮らし

私が理想とするのは、地球の自然との共生だ。本来であれば当たり前のことだ。自然は生きるための全てを用意してくれている。空から大地まで巡っている水も、太陽とあらゆる生物の循環で生まれる植物も、同じく恩恵を受けているあらゆる生物たちという仲間も、同じ恩恵と循環の中に生きている。近代の発展を望む人間だけが、その循環に生命を汚し殺す作用を起こす。私たち日本人も漏れなくその当事者だ。汚染し、殺し絶滅させながら生きている事実がある。自覚がある人は、なるべく汚染しないことと殺さないことを選択するのだろう。徹底できる人は少ない。私も、『なるべく』といった程度の生活しかできない。こどもを産んでいなかったら、一人山奥で腑に落ちる生活をしていたかもしれない。しかし同時に世界に興味を失っていたかもしれない。こどもがいるからこそ、私はこの世界に興味を持ち続けられているから。こどもがいるから、腑に落ちる世界を残したいという無謀にも思える望みを叶えようとしている。その腑に落ちる暮らしは、今の一般的な田舎にも存在していない。ならばもっと自然の中に入るしかない。どこに行けばおこがましくない、自然の循環に溶け込んだ暮らしができるのだろうか。まだそんな豊かな暮らしをできたことは生まれてこのかた無い。

縄文の暮らし

縄文ブームというものが、数年前からある。私は縄文テーマの映画も観に行ったことがあるが、そこまで興味は持っていなかった。しかし最近になって、縄文時代には私の腑に落ちる暮らしがあったように思う。野生動物のように生きるのが望みでもなく、でも今の田舎暮らしくらいでは満足がいかない。縄文にはその間の調度いい暮らしがあるように感じる。実際腑に落ちる、参考になる話はいくつかある。その他にも発展途上国という押し付けがましい呼び方をされている国にも、腑に落ちる暮らしは残っているように思う。耳にするたび参考にしたいことが山ほどある。

生き物としての、人間としての尊厳

災害時に備えた、非常用トイレを使ったことがあるだろうか。私はある。「とんでもない!こんなバカみたいなこと嫌だ!!」と強く思った。排泄物や遺体を地面に戻せない、地球の循環に混ぜれないのは、実に情けない気持ちになる。生き物としての誇りに傷がつく。土の上に住んでいるにも関わらず排泄物をビニールに包んで捨てること。この屈辱が分からない人は感覚がある程度麻痺していると思う(あくまで私という一個人の主観だ)。麻痺していることが悪いとも言ってはいない。ただ、感覚を開かないで生きるというのは、生き物としての幸福度は低く、生命としては弱い。それでもいい、誰かが作った既成概念やレールの上での幸せを感じていられればそれでいい、というのであれば、全然それでもいいと思う。理解はできないが、そういう人のほうが多い。私は感覚が過敏なため、集団での避難所生活も不可能でもある。災害時にみじめな思いをするよりも、むしろ快適度をあげたいという思いで、数年前から災害を想定した上での楽しいサバイバルに興味がある。尊厳は、私にとってかなり上位の大切なものだ。


アルモンデの森

共感する人がいると、嬉しくなる。
共に快適で腑に落ちる生活を築いていきましょう。

2024年5/25〜5/26天才合宿開催。お申し込み受け付け中。


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