透破衆譚

現代忍者パロシリーズ

【概要】
現代日本だが、帯刀OKだし銃ぶっぱなしOKというアングラちっくな所。
隠蓑で表での仕事は一般職、裏で透破(普段はパトロールメインの捕縛≒警察とはちょっと違う)の仕事だが、ベテランランクだと人を×す仕事も入る。
戦国時代以降も忍としての概念が残っていて、仕事もあるイメージ。
西暦カウント、化学発展や医療進歩、金銭感覚などは現代と同様である。

【服】
基本、私服でパトロール。
戦闘時用の装束もあるが、着るのは稀。
装束は渋柿色や紺色が多く、作務衣のような形をしているらしい。

【名前】
仕事時は、コードネームを使用。
もし故人となった場合は、2代目にコードネームを引き継がせるとかは無く、1人1つ形式。
そうやっていくと何回かに1回は、被らざるを得ないので…いい具合に呼称を変えてコードネームを作る模様。

【仕事内容】
普段は市内市外のパトロール。
その時に、諜報先などがあれば少し細工したり何やかんやする。
警察が捕縛し損ねたり、法で裁きれ無かった要注意人物(=根住)の斬殺処理や警察などに代わり尋問etc.....を行うのが本来の仕事。
パトロールで帯刀OKなのは小刀のみ。
最前線や戦闘へ派遣される時は長物OK。

【育成機関(草者學園)】
表向きは[リベラル學園]として、カモフラージュしている。
比較的都市部の所や片田舎の山間にある、育成機関(各地方に支部がある)である。
5歳から入学可能(プレ扱い)だが、正式な入学学年は10歳からで最高学年は19歳(9学年制)で、ほかの教育機関(大学や高校など)への編入もOKとされているが、編入する生徒は1学年の2割程。
(他機関への編入可能条件:6学年までの単位及び進級試験で、甲または乙を8割取得している事)
6年間でもちゃんと応用は学べるが、残り7年以降は応用よりも危険度が増す専門的なモノを取り扱う。
5歳から入学している生徒は数人いるが、人災孤児が大半。中には、育児放棄や口減らしの為など、親のエゴで入学させられるケースもある。

この育成機関の制服は、一般的なブレザータイプ(世間体用)と機関内用の服(作務衣と着流しの2種)に分かれている。
遠方からの生徒向けに生徒寮も…一応あり(女子寮と男子寮に分ける)、帰省期間は年に基本2回程度。
教師は入職時から教員寮(個人部屋でセキュリティ完備)住まいとなる。
教育カリキュラムや機関内のことは、明かされていなので不明のまま。入学する為に情報知りたい人は、ツテでどうにかする。
ネットのクチコミではなく、口伝で伝わるアナログタイプ。
知るのは入学した者のみ。

進路(6年生〜ver.)
編入せず7年生に進むのが7割、高校や他の教育機関へは2割、民間企業へ用心棒や社員として1割進む程度。
進路(9年生ver.)
候補生へ進むのが8割、民間企業での用心棒が1割、事務員や用務員として學園(別の支部へ)へ雇用1割程度となっている。

クラス分け(試験5割人柄2.5割体力2.5割を基準)
↳ イ組(木偏に色) 、ロ組(火偏に色) 、ハ組(土偏に色)、ニ組(金偏に色)の4種分け

【支部数】
組-各地域に分布

學園-組と同様に各地域

【階級】
各地方に組や隊が存在する。
ベテランランクは中忍以上が該当し、組頭が1番上となる。
上のランクへ中々上がれないイメージがあるが、実力のみで判断されるので上がれる人はスルスルと昇れる。
組頭ランクは30後半~40前半。
稀に30前半で組頭まで上り詰めたケースもある。
50代以降は、教職や指南役として前線から強制的に外れる。

組頭(各地域に1人)

幹部(上忍1割の中から小頭や小隊長へ分ける)

上忍-(甲乙丙の3種:副隊長や補佐はここから)

中忍-(甲乙の2種)

下忍-(甲乙丙丁の4種:教職員へ進むのもOK)

候補生(卒業から半年以内の者)

草者學園生徒(MAX9年▷希望者は候補生へ)

【編成】
**組>**隊(乙・丙)>**班 となる

【孤児】
この場合の人災は何種類かあり、現メンバーの中にも孤児は存在する。
特に被害が大きかったのは以下の3つとなる。
これ以外の民間事件等では死者は出ていない。

①毒噴霧関西クーデター:2100年12月
↳ 関西地区 住宅街 の多数箇所で発生した、毒噴霧による無差別事件(未遂4件含む)のこと。
毒噴霧は、張り巡らされている糸や視認しにくいフィルムを使った踏み込み式による仕掛けにより多発となる。
クーデターの首謀者(3人)のうち2人は捕縛のち処理できたが、1人は取り逃してしまい現代透破史上の汚点となってしまう。
この事件以来、パトロールに通常よりも75%力を入れる事となる。
この事件では、死者10名・負傷者30人出た。

②小路多発騒乱事件:2101年6月
↳ 議事堂周辺の小路で起きた、通り魔事件。
事件発生日の夕方頃から雷雨が激しく、周辺へのSOS応答が遅れたことにより、死者5名・負傷者40人へ被害拡大。
催涙弾での目眩しやタガーナイフでの切付けが主な傷害となっていた。
クーデター事件からこの騒乱事件までの間に起きていた、小規模な事件の模倣犯が首謀者となっていた。無事その首謀者は、捕縛し処理された。

③県庁所在地同時奇襲事件:2101年9月
↳ 騒乱事件から約3ヶ月後
毒噴霧関西クーデターで取り逃した1人が首謀となり、企てた奇襲事件。
この奇襲事件は、刃物と爆発物が使用されていた。
各地方の県庁所在地及び、そこから繋がっている草者學園への奇襲を目的としていた。
被害は47都道府県中、半壊は15県・一部倒壊は1府6県、未然1道15県となった。
民間・生徒含む死者200名・負傷者1500人規模を出す人災となる。


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