第一話「推しが死んだ夜に」
「推しが死んだ」
夏の終わりが見える、8月のことだ。
安川康彦(30)は、夢遊病患者のように歩道橋の上を彷徨っていた。
熱中症で頭をやられたわけではない。
彼の推しグループである『ミコミコ★ナース』が解散宣言をしたのだ。
しかも、武道館ライブを前にしたタイミングで。
理由はシンプルだった。
メンバーの1人が轢き逃げ事故を起こしたのだ。
安川の推しメンである大野小町(22)が。
問題は、運転者がルックスが売りのYouTuberであり、交際が世間にバレてしまったということだ。
『ミコミコ★ナース』は清純派・神道系アイドルがコンセプトだったので、あまりにも影響が大きすぎた。
安川が青春(25~30歳)を捧げたグループは、わずか1日で崩壊してしまった。
「もう、この世界は美しくない」
リュックサックに詰まったグッズも色を失い、身体へのウェイトにしか感じなくなっていた。
歩いている最中、楽しげに話しているカップルとすれ違う。
推し活に夢中になっていた時には無視できた現実も、神を失った今では心に突き刺さる。
「思い立ったが命日だ」
安川は歩道橋の欄干に足をかけ、この世に別れを告げることを決めた。
「ちょ、待てよ」
その時だった。
安川の腰は、後ろからガッチリと拘束された。
逞しい上腕筋だ。体重が100キロ近い安川の体がビクともしない。
「もう逝かせてくれ」
暴れる安川だったが、力は一向に弱まらない。
「あんたはステージ4の患者の1人だろ?話をしたい」
男が耳元で囁く。
患者というのは『ミコミコ★ナース』ファンの通称である。
末期ファンはステージ4と呼ばれ、生活費の殆どを貢いでいる。
背中に立っている男は、紛れも無い同志である。
安川は後ろを振り向いた。
「要らない命なら、俺に預けてくれないか?」
サムライヘアーに無精髭を生やした無骨な男がそこに居た。
推しメンが違うため、直接の接点はなかったが、会場で何度か目にしたことのある男だった。
「とにかく、一旦落ち着いて話そう」
男はリュックからスポーツ飲料を差し出した。
会場でしか買えない特別パッケージの品だ。
500mlしかないのに500円もする。
「わかりました」
そう返すと、安川はペットボトルを一気に飲み干した。
ショックで、真夏日なのに喉が乾いていたことを忘れていたのだ。
同時に、涙が溢れてきた。視界が夕日がオレンジ色に滲む。
不意な人の優しさが、ボディーブローのように効いたのだ。
「ありがとうございます」
お礼と共に思わず声を上げて泣いてしまった。
◆
男に手を引かれ、安川は気がつけば居酒屋の前に居た。
涙は引いたが、我に返ると急に恥ずかしさが込み上げてきた。
「すいません、見苦しいところをお見せしてしまって」
「いや、それはいい。それよりも中で話をしたい」
男がそう言うと、個室へと案内された。
掘り炬燵式の和室だった。
そして、卓上には食べかけの料理と先客がいた。
「おかえり。遅かったから先に始めてたぞ」
小柄でハゲ頭の男が赤ら顔でフライドポテトをつまんでいた。
片手には日本酒。目の前にはiPadが置かれている。
待っている間に動画でも見ていたのだろう。
「少し時間がかかったが、これで役者が揃ったな」
サムライヘアーが席についた。
どうやら安川を待っていたらしい。
「まずは、献杯と言いたいところだが、先に自己紹介と集まった理由を話したい。アルコールが入ってしまうと、冷静な話し合いは難しいからな」
目だけが先客を睨むように向けられた。
「俺の名前は尾崎信隆という。みんなからは尾崎と呼ばれている。先に飲んでいるアイツについては、あとから説明する」
よく響く低い声だ。イケボというやつだろう。
「まずは『ミコミコ★ナース』解散について黙祷を捧げよう。黙祷ッ!」
急な黙祷が始まった。
何が起きているか理解できなかったが、安川は目を瞑った。
黙祷と言われると、条件反射で目を瞑るのが日本人である。
暗闇の中、ここ10年に起きたことが脳内で再生されていく。
推しメンに出会った日のこと。握手会で初めて女の子の手を握ったこと。
屋外ライブで豪雨の中、サイリウムを振り続けて39度の熱を出したこと。
全国ツアーについて行くために有給を使い切り、体調が悪くても出社したこと。
色々な記憶がフラッシュバックした。
望まぬ形での別れとなったが、悪い思い出ばかりではなかった。
人生で初めて全力を尽くした活動だったのだ。
「止めッ!」
尾崎の声と共に目を開く。
「それでは、話を始めたいと思う」
尾崎が正座をし、背筋を伸ばした。
「俺たちは今からアイドルグループを作ろうと思っている。是非とも協力して欲しいッ!」
腹の底から良く響く声だった。
真剣な眼差しが安川に突き刺さる。
「ちょっと待ってください、意味がわからない」
安川は完全に混乱していた。
生きるか死ぬかで揉めた数時間後に、急な展開である。
1日で処理できる情報量をオーバーしていた。
「ヒデ、例のヤツを出してくれ」
「はいよ」
尾崎がそう言うと、赤ら顔の男がタブレットを差し出した。
受け取った尾崎は両手で紙芝居のようにタブレットを持った。
筆文字書体で「アイドル創世記(仮)」というタイトルが大きく描かれている。
どうやら企画書らしい。
しかし、これだけでは何を伝えたいのかわからない。
「実は『ミコミコ★ナース』の不穏な情報は以前から掴んでいた。そこで、解散前に同じ志を持つ人材を募っていたのだ」
尾崎が指で資料をスワイプする。
そこには複数人の支援者の名前が羅列されていた。
映画のエンドロールのように、黒背景に白抜きで記述されている。
「彼らは全員ステージ4に到達した精鋭達だ。推しを失った今こそ、ガチメンで新しいアイドルを作り出すべきではないか!」
尾崎が拳を振り上げると、iPadには沢山の通知(ポップアップ)が表示された。
どうやら裏ではWeb会議が立ち上がっているらしい。
「やっさん、あんたもステージ4だろ?その格好を見りゃ分かるぜ」
今度はヒデが口を開いた。
確かに安川の服装は、ガチ勢が見れば伝わる装備で固められていた。
強者同士は出立ちを見れば力量が分かるというが、それを見抜くヒデも只者ではないのだろう。
今までの努力を理解してくれる人間がいることに、安川は嬉しさを覚えていた。
「まぁ、そうですけど。協力できることはないですよ」
褒められたことは嬉しかったが、安川はただのアイドルオタクである。
普段はT●Y○TAの期間工で、三交代勤務をこなすだけの日課である。
特別なスキルなどない。
「いや、推しを失って身投げしようとする程の殉教者は君しかいなかった」
尾崎が拳を突き出した。
どうやら以前から目をかけられていたらしい。
「やっさん、コレは人生賭けたプロジェクトなんだ。命を張れるくらいのイカれた奴がメンバーに欲しい」
ヒデが徳利を掲げた。アルコールと興奮で顔が上気している。
ライブ前のような妙な熱気が、部屋に充満している。
身体が熱いのは、アルコールのせいだけではないだろう。
安川は人に褒められる経験が少ないため、困惑していた。
意味のわからないマルチ商法のような勧誘である。
しかし、同じ推しを信仰してきたという繋がりは確かである。
そして「面白そう」という好奇心が、久しぶりに腹の底から湧いてくるのを感じていた。
「わかりました。乗りましょう」
安川は何年かぶりに、男達と硬い握手を交わした。
アイドルの柔らかな手とは異なり、ゴツゴツとした感触だった。
◆
「では、あらためて乾杯しよう」
安川のメンバー加入が決まり、本格的な宴が始まった。
まず、驚いたことがサムライヘアーこと尾崎は下戸だった。
「とりあえず生」ではなく「オレンジジュースください」でドリンクのオーダーが始まった。
ちなみに先に酔っていたヒデは、乾杯から10分も経たずに寝落ちした。
そのため、飲み会の大半は安川と尾崎の話し合いの時間になった。
元々、コミュ障の安川である。
少しでも緊張を和らげるために、生ビールを半分程口にした。
「まずはコンセプトを固めたい」
尾崎の一言で、アイデア出しが始まった。
やることは決まっていても、具体的な案はないらいしい。
手には先ほどのiPadと専用のペンが握られている。
席は向かい合う形なので、刑事との事情聴取のようだ。
しかし、いきなりコンセプトと言われても、思いつくことがない。
「自分が推したいと思うアイドルグループを思い浮かべてくれ」
尾崎が穏やかな口調で尋ねる。
安川の頭の中に『ミコミコ★ナース』のメンバーである大野小町(22)が浮かんだ。
「小さくて可愛くて健気…」
とりあえずは推しメンの好きなポイントを上げていく。
「リアクションがカワイイ…」
語彙力は皆無である。
「マジ清楚…」
普段は「尊い」や「推せる」と言った単語で会話していたため、上手く思考を言語化できない。
普段の仕事でも人と話す機会が少ないため、日本語検定に受かるか怪しいレベルまで低下している。
「よし、別の方法を考えよう」
尾崎は早々にミーティング形式を諦め、ブレインストーミング形式に切り替えた。
アイデアを大量に吐き出した後に、整理する方法だ。
自分の好きなマンガやTVなど、アイドルとは関係ないネタからも、アイデアを模索することにした。
この形式なら肩の力を抜いて話せるので、安川も饒舌になった。
話の流れが変わったのは、学生時代に流行ったTVの話題になった時だった。
店員が天ぷらの盛り合わせを運んできた。
海老天や磯辺揚げ、ナスの天ぷらなどがキレイに盛ってある。
「そういえば、なすびっていう芸人さんいましたよね」
安川の何気ない一言で、尾崎の箸が止まった。
「懸賞で生活する企画だよな?」
「そうですけど」
しばらく尾崎は考え込むと、ゆっくりと口を開いた。
「アイドルが懸賞で生活するのを、YouTubeで配信するのはどうだ?」
「いや、それは流石に電波少年の二番煎じゃないですか」
丸パクリはマズイ。それに清潔感のないアイドルを見たい人は少ないだろう。なすびという芸人は路上生活者のようなルックスだった。
「じゃあ、ファンからのお布施で生活するっていうのは?」
「面白いですけど、スパチャで生活してるVtuberと変わらないですよ」
生活費をファンに求める商売は既にある。
アイドルでなくても、個人を推している層は存在するのだ。
尾崎が考え、安川がツッコむ。
テニスのように言葉のリレーが続く。
脳みそが回転しているのを尾崎は実感していた。
相手をする安川も相手に合わせて回転数を上げている。
良いアイデアが生まれる前の兆候だ。
タブレットには大きく5つの要素が書き出された。
重要なので赤ペンで丸く囲われている。
なすび
懸賞生活
アイドル
推し活
スパチャ
「じゃあ、どういう子だったらスパチャしたい?」
「貧乏でお金に困ってたら、スパチャ投げますね。1人暮らしでお金無い子とか」
その時、尾崎の中に1つのストーリーが組み上がった。
映画のワンシーンが頭の中で再現されるような感覚だ。
「田舎から上京するアイドル志望の子を、ファンが支えるというストーリーはどうだ?」
今度は安川が考えこむ。
「あり…ですね。田舎の子がアイドルに成長していくのは推せます」
「やっと、方向性が見えてきたな」
尾崎が口元を緩ませた。頬は興奮で上気している。
「そうですね、これは面白いものができる予感がします」
安川も、自分が推せる対象を作り上げる喜びを感じていた。
脳みそをフルで使ったのも、学生以来だろう。
疲弊した脳を回復させるために店員を呼び、デザートを注文した。
数分後、安川の前にはバニラアイス。
尾崎の前には季節のパフェというヘビーなスイーツが並べられた。
野武士のような見た目に反して、甘党らしい。
「じゃあ、今の内容を他のメンバーにも共有しておこう」
パフェを頬張りながら、打ち合わせ内容をDiscordへ共有した。
Discordは、メンバー限定で利用できるSNSサービスだ。
複数人でビデオ会議もできるため、ゲームの実況動画などでも利用される。
早速、色々な意見が飛び交い始めた。
まずはメンバーの人数について。
これは3人か5人かで意見が別れた。
集合写真でバランスが良いということで、奇数であることに異論はなかったが、意外にも議論は白熱した。
「Perfumeやキャンディーズは3人組なので、3人が良い」
「ももいろクローバーZやSMAPは5人組だ」
といった感じだった。
結局は『ミコミコ★ナース』が5人組だったこともあり、5人で収まった。
次はメンバーの集め方について。
田舎の子というのがコンセプトだが、田舎の定義が定まらなかった。
しかし、掲示板の中に「最低賃金が低いワースト5位の県から集めよう」という書き込まれることによって、方向性が固まった。
沖縄県
大分県
佐賀県
高知県
島根県
理由は「賃金の安い田舎の方が上京のハードルが高いはず」というシンプルなものだった。
また「募集する範囲を全国に広めてしまうと、収拾がつかなくなる」という意見も支持の後押しとなり、募集エリアは決定した。
また、年齢に関しては高校を卒業した18~20歳に絞ることにした。
未成年というリスクもあるが、子供っぽさが残る微妙な時期が、成長というストーリーを演出する上で上手く働くという理由で決められた。
最後にメンバーの集め方について。
これは、いつの間にか目を覚ましていたヒデから述べられた。
「一次審査をクリアした人には、1万円を渡そう」
というものだ。
参加者に金を配るのは、バブル時代の就活くらいしか聞いたことがない。
大人の1万円と若い子の1万円では価値が違う。
恐らく話題にはなるだろう。どんな良企画も人の目に触れなければ意味をなさない。
そして、面接はWeb会議で行い、合否は支援者の投票で決まる。
メンバーの選定からファン達で決まる民主主義的なシステムだ。
しかし、配るお金がどこにあるのかという疑問はあった。
安川は期間工であり、貯金も数十万しかない。
自分の周りの推し活ガチ勢も、生活費をベットしているばかりで、裕福な人は少なかった。
ヒデは自信満々な顔で「ゲンナマは用意できるから、SSRが出るまで回そう」と笑っているが、懐事情まではわからない。
「まぁ、心配するな。方向性は決まったし、改めて乾杯だ」
不安そうな安川を察してか、尾崎がオレンジジュースのジョッキを掲げた。
そういえば、3人で乾杯はまだだった。
「あいさつを忘れとったが、俺の名前は真柴秀人という。ヒデと呼んでくれ。よろしくな、やっさん」
ほとんど酩酊状態のヒデが徳利を掲げた。
「じゃあ、乾杯」
オレンジジュース、日本酒、生中。
別々の飲み物の入った器が「チン」という音と共に、乾杯の音を立てた。
こうしてアイドル創世記第一章は、居酒屋の一室で幕を開けたのだった。
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