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芝麻信用について

岡田斗司夫のYouTubeで芝麻(ジーマ)信用についての解説があった。
芝麻信用とは、個人の信用度を数値化したものだ。

身分特質(社会的地位・身分、年齢、学歴、職業など)
履行能力(過去の支払い状況や資産など)
信用歴史(クレジット・取引履歴など)
人脈関係(交友関係及び相手の身分、信用状況など)
行為偏好(消費の際立った特徴や振り込みなど)

日本でも始まった「信用」の数値化、先行する中国の取り組みと課題

中国のアリババグループでは、このスコアが良いユーザーには特典を与えているらしい。
今後、このシステムが世界に普及すれば、人間を点数で評価するディストピア化が進むと思う。
食べログやAmazonのレビューのように、☆が少ない人間は相手にされなくなる。
つまり、社会で上手く生きるには常に点数を気にしなければならない。
ゴミのポイ捨てや、道路に唾を吐くなどの行為はもっての外だ。
これからはシステムが社会の教師として、道徳的に生きるように矯正するのだ。
(教師が内申書を盾にして生徒の行動を縛るようなものである)

ただ、学校や企業など評価をする側にとっては便利なシステムである。
今までのように、その場限りの嘘では相手を騙せず、数値が全てを語ることになる。
あとは、アパートの管理人も迷惑な住人を避けることができる。
結婚相手に関しても、優良物件であれば保証代わりになるだろう。

ここで、芝麻信用が進んだ社会を考えてみる。
少し先の未来の想定である。
日本は年々貧しくなっているので、評価スコアが低い人間側の目線である。

評価の低い人間は、まず無人のコンビニには入れない。
万引きのリスクがあるため、ゲートを通してもらえない。
カーシェアも、スコアの低い人間には順番が回ってこない。
車を大切に扱わない可能性があれば、善良なお客さんが優先される。
住居もスコアによって、住むエリアは区分けされる。
住む人間のレベルも均一化されるので、カースト制のように階層は固定化される。

評価システムが普及すれば、管理側にとっては低リスクで清潔な社会が生まれるだろう。
しかし、同じレベルの人間が集まることで、文化の多様性は失われていく。
行き着く先は新しい価値観の生まれない味気ない社会である。

白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき

狂歌

支配者が描くキレイな世界は大抵ロクでもない。



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