第三話「黄昏に生きる」
10月の初旬。
貸し会議室の一角でオーディションの準備が進められていた。
『上京少女プロジェクト』と書かれた映像がスクリーンに投影されている。
定期的にDiscordで打ち合わせをしていたが、細かい段取りは尾崎達が進めていたらしい。
普段どんな仕事をしているのかは謎だったが、自分が専業になると決めたら質問しようと安川は考えていた。
「まずは、段取りについて。年内にメンバーを選出したいと思っている」
尾崎がスライドを進める。
応募概要のページが表示された。
これは、第1回の内容と大きな違いはない。
5つの県の中から1人ずつ選出するというものだ。
「支援者のメンバーには各SNSで、企画のページを拡散してもらいたい」
尾崎が号令をかけると、チャットアプリから大量の「了解」と言うポップアップが表示された。
プロジェクトは確実に動き出しているのだ。
安川は自分が武者震いしていることに気づいた。
メンバーと直接やりとりをしたことはなかったが、名の知れたインフルエンサーがいることは知っていた。
「一次審査は200人までに絞ることを目的とし、10月の末日から審査を開始する」
「1県につき200万円と言うことは、1,000万円を用意すればいいわけだな?」
尾崎の言葉にヒデが反応した。
もっと用意できると言った余裕を感じる。
「タマ数はあったに越したことはないが、上京してからの費用を考えてコストは抑えたい」
尾崎は、計画開始後のことも頭に入れていた。
アイドル5人にプラスして自分達も上京することを考えると、年間で数千万はかかるだろう。
企画がバズれば生活費は浮くかも知れないが、失敗すれば大赤字だけが残る。
どんな商売もリスクは付きものなのだ。
「分かった。見積もりをくれれば、こっちで処理するわ。派手に祭りをやりたいんだけどな」
ヒデが残念そうに両手を上げた。
「次に審査内容だが、Web会議上でオークションを行う。審査員は全員の投票で行う」
現在Discord常には47人のメンバーがいる。
尾崎・ヒデ・安川を合わせれば50人だ。
50人の投票で、メンバーの目利きを行うのだ。
メンバー結成前から投票戦が始まる形だ。
「ホントに自分たちで選ぶのか」
ショーを楽しむだけの立場だった自分たちが、演出する側に回るのだ。
Discord上でも興奮のメッセージが飛び交っていた。
「最後はメンバーが住むアパートについて話をしたい。これは第一級の秘匿情報になるので心して聞いて欲しい」
会議室に緊張が走る。
「まず住所についてだが…」
「えっ…?」
それは、皆が予想もしない提案だった。
◆
次の日、安川は職場でいつも通りの作業をしていた。
この工場では2年半働いており、あと半年働けば任期満了金の50万円が振り込まれる。
些細な金額という人も居るかもしれないが、内川の決心を鈍らせる理由でもあった。
ボーナスが支給されない期間工にとって、まとまったお金が入る機会は少ない。
もちろん、正社員試験を受けたこともあった。
筆記試験はいつも通るのだが、二次試験の面接で落ちてしまうのだ。
コミュケーションが苦手な人間にとって面接はハードルが高い。
何度も試験に落ちる度に心が折られ、いつしか希望を持つことを忘れてしまった。
推し活にハマったのも、そんなタイミングだった。
しかし、支えになった推しも今はいない。
「みんな東京へ行ってしまうのか」
休憩時にトイレで1人つぶやく。昔に比べて独り言が多くなった。
「そろそろ決めなければ」
気がつけば四六時中、同じ問いを繰り返している。
2人に期日を告げられたわけではないが、決断の時は確実に迫っているのだ。
きっかけとなったのは、工場の食堂で生姜焼き定食を食べていた時だった。
薄い豚バラ肉を使った生姜焼き定食(350円)は安川にとっての定番メニューである。
リーズナブルな値段で味も不味くない。そして、定時までの空腹を埋めてくれる。
変わらない味に安心感と虚無感を覚えていると、有線放送で懐かしいJ-POPがかかっていた。
自分が小学生くらいの頃に流行った曲だ。
「明るい未来に 就職希望だわ」
そのフレーズが何故か耳に残った。
明るい曲なのに、胸にチクリと刺さるのだ。
すぐにスマフォで歌詞を検索すると、曲名はすぐに見つかった。
流行歌なので、耳障りが良いのが理由だろうと、軽んじていた自分がいた。
なぜ多くの日本人のハートを掴んだのか、理解していなかったのだ。
自分が遥か前に、失くした物の正体はそこに書かれていた。
それは希望だった。
安川は殺風景な職場という牢獄で、希望をハードチーズのようにゴリゴリと削られてきたのだ。
どこまで削られてしまったのかは、自分でもわからない。
ただ、もう目を背けるわけにはいかない。
完全な粉チーズになってしまう前に、動くのだ。
「ダメなら、あの歩道橋へ戻るだけだ」
安川はiTunesで曲をダウンロードし、それを毎朝聴くのが日課となった。
◆
その日の夜、安川は1人車(アルト)で海岸線を走っていた。
目的地は地元の神社だ。
島に浮かぶ神社で、島自体がパワースポットになっている。
小さい頃は家族や友人と参拝に来ていたが、社会人になってからは足が遠のいていた。
近場の駐車場に車を停め、足早に境内を目指して歩き始める。
島までは400メートル近い橋を渡らなければならない。
10月と言え、夜の海は寒い。
しかも、橋の上は遮蔽物がないため、風がダイレクトに当たる。
「寒い!寒い!」
安川は数年ぶりに全力疾走で橋を駆け抜けた。
肉体労働とは言え、有酸素運動はしていないため、心臓が激しく鼓動する。
しかし、熱くなった体を風が顔を冷やしてくれのは気持ちが良い。
「整っていしまいそうだ」
先日のサウナのことを思い出し、安川は1人呟いた。
島の入り口の境内をくぐり、長い階段を登ると、ようやく本殿へと辿り着いた。
本殿は夜間のお客さんのためにライトアップされている。
参拝のマナーなど覚えていないので、財布からお金を取り出す。
普段なら「ご縁があるように」と言うことで、5円を入れてきた。
しかし、5円でありつけるようなご縁は高が知れている。
「人生で初めて真剣に祈るので、少しだけ力を下さい」
財布から5千円札を投入した。
5円で縁があるなら、1,000倍の縁があるという考えである。
鈴をガラガラと打ち鳴らし、拍手を行う。
お札を賽銭箱に投げるのは初めてだった。
ちょっとした罪悪感と高揚感を感じる。
願いは1つしかない。息を大きく吸い、目を見開く。
「『上京少女』をどうか武道館まで連れて行って下さい!」
ライブ会場でしか出したことのない声量で叫んだ。
深夜の神社に野太い声が鳴り響く。
まだメンバーも決まっていないグループである。
時期尚早であることは分かっていたが、声に出さずにはいられなかった。
自分の背中は自分で押すしかない。
翌日、安川は職場に辞表願いを提出し、活動に専念することを正式にメンバーに報告した。
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